■移動介護について■■□■■■■■■■■■■■■■■

■地域支援事業化される、移動、知的の人たちの移動の問題


中西 正司 (全国自立生活センター協議会)

 移動介助は非常に大きな問題で、我々が一番重視している問題が1つ。伊原さんは、地域間格差をなくそうとおっしゃいましたが、こと移動介助に関しては、地域支援事業に移行されると、市の予算を出さなければ、サービスが広がらないという、以前のシステムに戻る。どういう事かというと今までの手話通訳などの事業でも、東京都では、全体の予算のうち、国が2分の1を持たず、3分の1くらいしか持たなくて、それが市町村に落ちてくると、市町村は残りをもたなくてはいけないという形で、これまで事業をされてきた。以前の状況に戻ることを考えると、視覚障害でも、目的を限定され、病院や市役所以外には行けず、それ以外の社会参加には使えないことが、十分予想されます。サービス抑制をかけるためには、利用制限をかけていくしかないし、市町村に任せれば、市町村がお金を出さないということはないといいますが、実際には市町村も財政が厳しく、市町村も特別な独自事業を東京都と半々に持つことも大変な状況です。そこで市町村格差はもっと出てくるだとうと思われる。それなのになぜ地域支援事業にしてしまうのか。特に知的障害者の自立において、移動介助というのは、自立の根幹です。これがなければ彼らは外に出ていこうともしなくなる。家族や作業所の人たち以外の外にでるきっかけが見いだせなくなる。それでは自立への対処がなくなり、施設に残ったり、戻っていったり、在宅から施設、ということになりかねない。それを防ぐためには、グループホームでも使えないヘルパーができあがってくると、自立へのきっかけがつかめません。ヘルパーを利用することを、まずしてみないと、一人で、親ではなく、ほかのひとと外に出ることがどんなに楽しく、世界が広がるのか。次には1人で暮らす道ができてくる。知的の人の移動について、行動援助の一部分としか見られない。重度の人の部分だけしかない。事業所サイドから言うと1%か2%いるかどうか。行動援護というのは、使える人がいない。大変な行動援護が必要な人も、月1回、毎月行わなければいけないという問題がありますので、そういう問題は、1年に1回起こっても大変な問題です。
 自分で名前や行き先がいえない知的障害者の人もいるので、そういう人が電車に乗って出かけるときに、はぐれてしまったこともあります。すると、自分の名前も家もいえなければ帰ってこられません。 結局、行方不明者になり、ですから、どこかの施設で一生を終えることになります。1回でもそんなことがあってはいけない。その意味で、行動援護ではゼロ点になるわけですが、行動援護がつかえないのは非常に問題。意志表現が上手にできない人、誰かに何か聞かれても返事は「ハイ」としかいえなくて、押し売りが来ても何でも買ってしまうような人、あるいは外にでても、誘われたらついて行ってしまう人もいます。そういうときに、傍について「ついていったらいけないよ」と言ってあげる介助者がいないと、大変なことが起こるわけで、そういう人がいても、それも、行動援護では0点扱いです。事故が今後発生する可能性があります。その意味でも、介助者はボランティア料金ではできません。かなり訓練を積み、いろいろな人に入ってもらって、現場に何度も入ってもらい、外で気を付けることなど、注意してあげる。そういった支援をなぜ切ってしまったのか。行動援護でこれを復活する道はないのか。自立訓練給付に入れられるのでは、という噂が飛んだこともありましたが、それらも含めて、聞いておきたいと思います。
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■ALSの方の移動について


北谷 好美(NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会)

 全然足りない。
 この5月から支援費更新があり、移動を増やしてもらおうと思ったのですが、福祉事務所に昨年の実績をみせたが、だめだった。「出かけたら、あとでその分請求してください」でした。普段は介助者は一人ですが、外出介護には2人必要。それも認めてもらえませんでした。大変厳しい状況です。


川口有美子(NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会)
 今日も2人の方がお手伝いに来てくれています。呼吸器がついていなくても、やはり2人必要で、1人は通訳ですし、1人は車いすを押したりです。特に母になると、3人ぐらい必要です。個別性がありますし、危険が伴いますので、ALSの移動介護は1人ではきっと難しいです。 そして、包括にもどりますが、これを見ると、医療モデル的なものを感ぜざるを得ない。 特に、福祉と医療の「協働」は私たちも望むところですが、例えば、訪問看護所長さんが来たとき、ヘルパーだけ勝手に動かしていた。そのとき、「患者さんをなぜ勝手に動かしたのか」など管理的なことをいわれた。 でも、患者は家で暮らす以上、自由なわけで、自分の好き勝手をしたいわけです。命に危険があるようなことはしませんよ。でも、どうしても管理的な方もいます。 心配なのは、包括になると、ALSは移動できなくなるのではないか、社会参加ができなくなるのでは、と心配しています。 移動ですが、さっきもいいましたが、ALSの人でも飛行機で外国にも行こうと思えば行けます。 社会参加自体が生きがいにつながります。特に重度の方だとますますそうだと思います。重度だから、大変だから、うちにいたほうがいいでしょうとか、人手を煩わせたり、介護者のアレンジが難しいとか、家族が遠慮することも多いです。本人も家族に遠慮して外出したいといえないこともある。社会参加の面では、他人の力が重要になってきます。補足がありますか?北谷さん。

北谷/
 始めに、移動の支援費支給をとってないと、自己負担になるんです。事業所に頼めない。
 移動の時間をとっておかないと、自己負担になるんです。

川口/
 それは自治体での格差があると思います。北谷さんは練馬区ですが、移動介護を使っていないと、あとから申請しても、認めてもらいにくくなるのですね。要するに、自治体によっては、職員の、ALSに対する個人的な考え方だと思います。病人だと思えば、移動なんてするもんじゃない。移動介護は初めからくれない。そういうことはすごくあります。その辺を本当に変えていかない限りは、ALSは病人の枠から抜けられません。

樋口/
 ありがとうございました。移動の問題、ALSの方からの問題と、中西さんは知的障害者の人たちに関する今、利用していた人が使えなくなることについての問題を出されました。 時間がおしているので、ここで伊原さんのお答えの前に、指定発言をしていただき、その後で、また伊原さんに、戻っていった方がいいと、コーディネーターが勝手に決めさせていただきます。 指定発言をされるかた、ここにいらっしゃいますか?

樋口/
 では、最初に、福島の渡邊貞美さん。マイクをどうぞ。では、お願いします。
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指定発言

渡邊/
 私は、福島県田村市船引町で、障害者自立生活支援センター(福祉のまちづくりの会)で、副代表を務めている、渡邊(わたなべ)といいます。私は、今年の1月下旬に船引町を相手に支援費に関しての裁判を始めた者です。私は、見ての通り、全身性の障害を持っています。脳性麻痺者です。生活は、生活保護を受けながら高校1年の娘と暮らしております。介助に関しては、生活保護の他人介助料大臣承認プラス、支援費月125時間(日常生活支援)の介助を受けて、その他、自己負担で、月3万円以上の有料介助を使っております。 2004年6月支援費更新時、有料介助の(自己負担)時間数月40時間、をプラスして、月165時間(日常生活支援)で、申請を行いました。町のほうで「金がない」と言われました。しかし、支援費支給の決定は、前年と同じ、月125時間でした。125時間というのも、金額設定があり、125時間では、朝晩使えないだろうということで、26万円までは出してもらえましたが、それ以上は、超すといけないということで、月に123時間しか使えないことが多かったです。1円でもオーバーすると戻されます。そこで、異議申し立てをしましたが、却下されました。その後、町と話し合いをしたのですが、却下されました。ことごとく退けられてしまったのです。それで、仕方なく裁判という法的手段となった訳です。 ここで、船引町福祉課のとった経緯をお話します。
 支援費制度で、船引町が最初に対応したことは、「福祉のまちづくりの会」に係わる、障害者を(5〜6人)1人10分位の聞き取り調査でした。「これで聞き取り調査?」という感じでしたが、国の対応はまた全員集めての支給決定の説明でした。 その時、最初に出た言葉が「みなさん、国庫補助金以内ですよ。」これが最初です。「町には金がないんです、予算が無いんです。」でした。支援費制度の「個々の障害に応じた、介助ニーズを最優先する。」「自己決定。自己選択」など、どこかに吹き飛んでいました。金がないという理由でした。
 それでも私は、再々福祉課の窓口で話し合いをもちました。その時出て来た言葉は、「あなたは、わがままだ、みんな、我慢して生きているんです。」「私たちは、こんなにやってやっているのに。」「感謝の気持ちが無いんだよ」「私は、あなたに、支援費月125時間でも多過ぎると思ってます。」他の市町村の支援費決定の感想を言うと。そんなに多くもらえるなら、「その市町村に行けばいい」「なんでここにいるんだ」と言われました。私はそのとき、口もきけず、どうしようもありませんでした。私の障害を知っているはずなのに、福祉課という職務にある人の口から出る言葉なのだろうかと、思ってしまいました。小さな町の福祉に携わる、公務員の認識が凄く出ているものです。その上、ここに、障害者自立支援法などとなったら、もっともっと「金が無い」を通し、「出来ない」、「出せない」を主張するでしょう。審議会などが出来たら、これに拍車をかけるのに違いありません。障害を持つ人を知らない専門家といわれる人が私たちを、重度の障害を持つ人を苦しめるであろうことは、ALSの患者さん達の尊厳死問題にも出てきています。生存自体を脅かされています。 私達の生命と生活の保障には、十分な介助を含めた社会保障制度が必要です。
 私たちの生活権を求めて法律を創る事が必要であり、新たな運動としてやっていきたいと思っています。

樋口/
 ありがとうございます。
 裁判を続けていらっしゃるということで、全国の仲間も支援していきたいと思います。
 地方の小さな町では、この様に国の政策が、即制約、制限になります。拡大とか、かさ上げをするために基準を設けるというのが、かさ上げではなく、押さえ込みにつながっていくところがたくさんあるということです。
 もう一件、地方の実情ということで、CILちくごの日高さんより地方の実情を伝えていただきます。

日高/
 こんにちは。福岡から来ました。日高です。よろしくお願いします。
 筑後市は、福岡県南部の小さな市で、人口約48000人。市内には、重度障害者が入所する身体障害者療護施設、身体障害者更正施設、小規模作業所が多くあります。 現在は統廃合でなくなってしまいましたが、昨年までは国立療養所筋ジストロフィー専門病棟もありました。 それらから地域に出てアパートで1人暮らしをして自立する最重度障害者が多いため、市内に最重度障害者の1人暮らしが多く、ヘルパー制度の予算が足りません。そのため近隣市町村よりもヘルパー制度の水準が低く、24時間介護が必要でも5時間しかヘルパー制度が受けられません。重度障害者は介助時間も必要最低数にも満たない状況で、大変な生活を強いられています。
 それらから地域に出てアパートで1人暮らしをして自立する最重度障害者が多いため、市内に最重度障害者の1人暮らしが多く、ヘルパー制度の予算が足りません。そのため近隣市町村よりもヘルパー制度の水準が低く、24時間介護が必要でも5時間しかヘルパー制度が受けられません。重度障害者は介助時間も必要最低数にも満たない状況で、大変な生活を強いられています。 今、障害者自立支援法が国会で審議されているところですが、平成18年1月から国庫補助の配分方式も大きく変わる事がほぼ決まりつつある、と言われています。 今までの障害ヘルパー制度では、ヘルパー利用障害者を障害の重さによって3つの区分に分け、それぞれの「支給決定者数×基準金額」の市町村全体の合算が国庫補助上限でした。これにより、利用者が10人程度の市町村部でも、10人全体の基準額を合算することにより、パイが大きくなり、このうちの1人が家族が入院などで障害者が1人暮らしになった時や緊急の場合でも、必要な長時間のヘルパーサービスを受けることができました。 しかし、次の障害者自立支援法では、障害者を8〜9程度に分けた上で、それぞれの区分の中でのみ合算する方式に変えるということです。これでは、筑後市など小規模市町村では1つの区分のパイが小さくなりすぎ、1区分に最重度障害者が1〜2人ということになります。 これでは、このうちの1人が家族が入院などで障害者が1人暮らしになった時、ヘルパーサービスを伸ばすと国庫補助基準を超えてしまい、市町村は超えた分は100%負担しなくてはいけなくなるため、財源の少ない市町村では必要なサービスを受けられなくなります。 このような制度にする理由は「区分を超えて使い回しするのは国民の合意を得られない。区分を作った意味がない」ということだそうです。 “国民の合意を得られない”とは一体、どういった意味なのでしょうか?
 ヘルパー制度が措置制度だった頃、また2003年度から始まった現在の支援費制度導入の際、ちゃんと“国民の合意”は得られたんでしょうか? 国民の合意どころか、障害当事者のヘルパー利用の実態調査も行わないまま導入した、支援費制度の誤算がこの新法の改悪につながっているのではないでしょうか? ここで、私個人の生活の実態をお知らせしたいと思います。
 約4年前、国立療養所の筋ジストロフィー専門病棟を出て、市内で一人暮らしを始めました。本来なら24時間介護の必要な最重度の障害ですが、先にも述べたように、小さな市の割りには1人暮らしの重度障害者も多くヘルパーの利用時間は、1日約5時間程度が上限です。 それではとても生活は成り立たないので、生活保護他人介護料1日約4時間、合計1日約9時間の公的介助制度を利用しています。 夜間の体位交換も必要なのですが、今の現状では24時間の介助体制が組める状況ではないので、夜間の介助はヘルパー事業所に有料で依頼しており、私は生活保護者ですが生活費から自腹で費用を払っており、生活費のほとんどは介助料に回っている状態です。 その他の不足している空白時間は、知人や、介助の保障も安定もない、ボランティアで何とか繋ぎ、やり繰りをしているのが現状です。これが私たちの現実です。 今の支援費制度でさえ、こんな状態です。田舎の過疎地の市町村では、「障害者自立支援法が導入されたらますます大変だ」という以前に、今現在も厳しい生活を強いられています。 先日、某テレビ局の報道番組で障害者自立支援法が取り上げられていましたが、その中で地方の役所の職員が支援費支給量の少なさの理由として次のように話していました。 「ヘルパーの時間を増やすことは、障害を持った方の自立を妨げることになるのではないでしょうか?」。 このコメントを聞いた時、行政職員の自立観と私たち障害当事者の自立観の大きな違いをまざまざと思い知らされました。 現実は、この支給量の少なさが、障害者の自立を大きく妨げているのです。 その人個人に必要な時間を支給してもらえれば、自分で人生を決定し、自分で生活を作り上げていくことが出来るのです。 「人の手を借りて生活することイコール甘え」と捕らえている行政職員の自立観こそが、私たちの自立を妨げているのです。 現在行われている審議の中では、「一人ぐらし重度障害者の状況を想定しているのか」という問いに、厚労省は「想定している」と言っているそうですが、その中身は明確ではなく、曖昧なままです。その中身について一刻も早く明確にしていただきたい。地方で暮らす障害者は、低いサービス量のために無理な生活からくる二次障害を抱えながら、また施設や病院へ戻らざるを得ない状況になるのではと不安と危機感を抱いています。筑後市のような小さな町で一人暮らしの重度障害者の割合が多い地域においても、必要な長時間の介護サービスが保障される障害程度区分の設定と共に区分間を流用できる弾力的な国庫補助金の運用を図っていただきたい。このような地方の実態を踏まえた慎重な国会審議を行うとともに必要な財源措置をしていただきたい。以上です。

樋口/
 ありがとうございました。地方の実情を聞かせていただきました。
 続いて、こらーる・たいとうの加藤さんに精神障害者の立場からの発言をお願いします。

加藤/
 加藤です、よろしくお願いします。私は今日のシンポジウムの、伊原さんはじめ皆さんの発言を聞いていて、今、特に言いたいのは3つあります。 精神障害者が今回の支援法の対象者に入ること、私自身は、精神障害者全員ではないですが、私としては、廃案とは言いづらいのです。 少しはいいこともあるのではないかと思っています。
 一方で、精神障害者が入るということだけが理由ではないと思いますが、財源が厳しくなるのでということで、当然、いっぱい介助をもらっていい人がもらいづらくなる、そう聞きました。 これは絶対にあってはならないと思います。今、私はこう思っています。 精神障害者の人で、32条を使っている人、ましてや入院している人は、重度包括の対象者として入れていいのではないか。 今はそう思っていますが、でもそう言い切ってしまうとき、2つの心配があります。 一つは、まだ決まっていない基準です。もう一つは審査会のメンバーです。
 実はこの会場内に、心神喪失者医療観察法に基づく、病棟が問題になっています。あの法案そのものを無効にしたいという署名を回しています。基準に関して、精神障害者については、「とても重度だ」という判断、今までの医療が決めたように、「自傷他害の恐れがある」だとか、「人様に迷惑をかけるだろう」というような表現が入ってきたら、サービスを受ければ受けるほど、これはその人たちの人権的に問題が生じかねないと思っています。
 審査会のメンバーについて。 精神医療だけではないでしょうが、いつも入ってくるのはお医者さんです。それプラス、このごろは健常者の専門家がだいぶ入るようになりました。しかし、私が思うのは、これ以上悪いところをあげつらうのではなく、万が一、誰かを殺してしまうかも知れない、そういうところで精神障害者を見る、そういう人たちに審査会入りしてもらいたくはないのです。
 最後に、私は、32条の存続署名を色んな団体がやりました。私たちの団体も全国の仲間とやりました。12月10日に始まり、事実上、2月末で終わっていますが、この間、23万人分集まりました。これは何を指しているか。 精神障害者にとっては、もうこれしかなかったんです。これがなくなることに関しての危機感をこんなに多くの人が持っていた。 昨年夏にやった、「精神障害者も支援費に」という署名は、残念ながら4千人分しか集まりませんでした。支援費の対象にも落ちてきている、そんな我々にとって、支援費は介護保険に比べていい、ということを現実的に分かれ、というのは非常に難しいと思っています。
 最後に、統合失調症ではなく、「境界性人格障害」です。これに触れて終わります。 1週間ほど前のNHKのニュースで、「恐喝境界性人格障害」という障害を持っている人がパートナーさんが育てた介助犬のおかげで発作を予知し、発作を食い止めることができ、今は、ボランティア活動をしている、こういうニュースこそ精神障害の啓発活動に必要だと思います。外国では介助犬も活躍していると聞いています。恐喝境界性人格障害の人が大阪の池田小でたくさんの子どもを殺した。犯人について、「精神障害者医療観察法」のきっかけをつくったことに対してのたくさんの思いがあります。池田小の人は児童虐待の被害者だったとも聞いています。目に見えないところで想像力を働かせてそういったたくさんのことにも目を向け制度を作っていって欲しい。

樋口/
 指定発言の最後の方、ピープルファースト東久留米の小田島さん。お願いします。

小田島/
 やはり介護保険統合はやめてもらいたいと思います。ぼくたちも、国会で泊まり込み活動をやったり、ビラまきや座り込みもしたり、今がんばっています。遠くに行くとき、行方不明になる人も多いので、それには介助者がいないと、やっていかれない、と僕は思います。もう一つ、ヘルパーを使う理由は何かというと、ぼくたちにはできないことが一人暮らしにはたくさんあります。新聞などで、脅かされるのは、いやですし、お金があれば使う人もいますが、色んな人が知的障害者にいます。そういう人のことを思えば介助者が必要じゃないかと僕は思います。ピープルファーストの人たちに「これからお金をとる」と言われても、ぼくたちには働くところもありません。ピープルファーストの人は知的障害者の団体の組合を作って、デモもやっています。みんな力を合わせて頑張っているからこそ、介護保険統合をやるといわれても、どこからぼくたちはもらえるのか。働かないともらえないことは分かっていますが、働ける人がいないんです。右に行けば左に行っちゃうような人が多いです。ぼくたちの周りにはそういう人がたくさんいます。そうなると、グループホームをつかうかということになるが、難しいところがいっぱいあります。何をこれからやっていくか。それがピープルファーストにもあります。その中でやっていくのは、色々な課題がつくんじゃないかと思います。

樋口/
 ありがとうございました。
 移動の問題から、指定発言の方の発言をいただき、また移動の問題に戻ろうとやってきました。
 伊原さんに、たくさんの質問、地方の問題、それから移動がどれだけ個人に必要か、というようなことが話されたので、移動の問題と、それらのことについて、お答えいただきたいのですが。 その中に、もう一つ。
 移動の問題で、質問がきています。支援費制度では、地元や学校へ行く送迎は支援費制度では認められていないのですが、就労支援というのが大きく柱の中にありました。就労支援の施策では、通勤する介助も含めて、施策として取り組むのか。今はそういうことがないので、働きたくても、働けないということで、制限を受けている人もおおい、という質問です。
 では、よろしくお願いします。
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質疑応答

伊原/
 いろいろ重い発言をいただきました。僕から、申し上げられることを説明したいと思います。
 ひとつは、移動介護、移動介助に関して。地域生活支援事業になるということで、多くの人が不安を感じられています。
 まず正確にどうなるかを申し上げます。
 「重度の障害者の移動支援」(27ページ)
 今はどうなっているかを最初に申し上げます。
 今は個別給付によるサービスを実施となっています。ただ、精神障害者に関しては補助事業。身体、知的障害児については、支援費であるが、裁量的補助金。国が一回お金を渡したら、その範囲でやってくださいという事業です。 これを今回の制度改正では、行動援護と重度訪問介護、介護給付と移動支援という地域生活支援事業に分けます。このうち行動援護と重度訪問介護は介護給付と考えるので、従来どおり、1人に対して1人必ず、ヘルパー、支援者を出し、その費用は国が義務的負担として、必ず負担します。逆に言うと、国の義務的負担となると、範囲の基準はかなり厳しく、全国一律、どこでも同じということになりますので、従来に比べると、基準をきちんと決める必要があります。 それに対して、新しくなる地域生活支援事業について。今、一人一人で支援費の支給決定をしている、身体障害、知的障害、精神障害、障害児。補助事業である精神障害者のことを含める。すると、自治体がそれぞれの判断で運用することになります。地域生活支援事業とは、この資料にあると思いますが…。(74ページ) 地域の実情にあわせて柔軟に実施されることが好ましい事業について、地域生活支援事業として法定化する。 中身については、自治体が障害福祉計画に詳しく定めることになる。それから、その補助については、予算の範囲内で、国が市町村や都道府県の実施する…市町村の2分の1の経費を負担する、ということで、今の裁量的補助金と同じルールのまま、移行することになる。 では、どこが今と変わるかというと、今までのような支援費決定のような、一人一人に対する決定ではなく、自治体がかなり柔軟に運用できる仕組みになります。ひとつは、今までですと、1人の障害者に対して1人のヘルパーとルールが決まっていたが、知的障害者の軽度の方がどこかに行く場合、1人のヘルパーで2人をケアするとか、あるいは支給決定について、今までは事前に支給決定をしなくてはならないのが一般的でしたが、要綱の範囲内なら、自由に使えるように、という形に柔軟化する、弾力的な運用にしたいと思っています。 申し上げたかったのは、義務的経費か裁量的経費かということでは、今の移動支援と同じ裁量的経費ですが、問題は、予算が確保できるかどうかがポイントになります。 今でも裁量的経費という点では同じですが、他のホームヘルプ事業が個別給付になったとき、社会参加的な移動支援について、自治体がきちんとした補助金を確保できるか。国としては、引き続き予算を確保しようと思っています。逆に言うと、皆さんの力を借りて、財務省を説得していかなければならないが、国としても確保しなければならないし、ある意味では、市町村においては、皆さんも含め、予算を確保することが必要です。よく言われるのが、昔の社協みたいに、うまく動かないのではないか、という話もあります。 今までの支援費が実施していく場合のように、本来地方自治とはどうあるべきか、ということから考えて、そういう運用ではなく、できるだけ障害者にとって使い勝手のいいものであるよう、そういうように勝ち取ることが必要だと思います。よく言われるのが、「10年前に戻る」ということです。私が最初、ALSの方に会ったのは昭和62年ごろですが、あのころの現実と、今のサービスの水準は大きく変わった。 皆さんもそうだと思いますが、中西さんも詳しいと思いますが、ずっと活動されてきて、この15年間の地域の変化というのは、皆さん方の運動の中でも勝ち取られてきたものだと思います。時代時代で、人々のサービスやケアのあり方に対する意識が変わっています。 自治体職員の自立観がとんでもないというお話がありましたが、それも変えていかなければならないし、私自身も変わらなくてはなりません。その時代、時代で変えていく、そういう意味では、国だから確実で、地方だからダメなんだという形で物事を考えるのではなく、今までのように霞ヶ関の人間が地域のすべての事情に答えるのは、実際は不可能です。地方分権の流れの中で、地方政府をどう変えていくか、という部分で取り組むことも大事だと思いました。 逆に、我々としても、昔に戻るような運用にならないよう、国としてできる範囲で、地域生活支援事業の枠組みの中でできることを考えます。 通学や通勤の介助問題です。長年議論されるものですが、1人の障害者の方にとって、教育を受けることも通勤も、一連だと思いますが、問題は、霞ヶ関だけでなく、仕事の中でそれぞれの役割分担があります。就労でいけば、旧労働省です。学校の場合は、文部科学省です。 確かに、考え方として、支援費制度の中で通勤・通学もカバーできるというのも一つのやりかたですが、逆に、多大な予算をのばしている中で、さらに、田舎のほうではサービスが足らないということ。優先順位をつけるとなると、そちらに優先順位をつけることになります。 そうなると、学校だと、文部科学省がバスの運行をしたり、となります。今回の制度改正で、学校や通勤などをこの制度で直ちにカバー、というのは、まだ決まってはいませんが、直感的には難しいかなと思っています。財源的都合を申し上げれば、どこからお金が出るか。 利用する人からすると、同じ流れですが、制度でいうと、福祉サービスの財源と、雇用保険の財源と、学校の財源と、分かれています。 どこから支援していくかは別の判断なので、福祉の分野では、今回は難しいと思います。
 それから、福島の渡邊さんや、ちくごの日高さんからのお話で、過疎地域とまで言いませんが、郡部の問題です。 一つは、今回の自立支援法の大きな問題の一つでもある、地域格差をできるだけ小さくしていこうということ。全くなくすのは、地方分権の理論からいっても違うでしょうし、今の格差は大きすぎるので、そこを小さくしていきたい。障害程度区分などに基づく国庫負担基準は、その部分、格差を縮小していくような機能をするような方向にしていきたいです。 その中で、障害程度区分間の流用を認めるべきという意見がでました。この問題は、私ども自身、すでに結論が出たという問題ではありません。正直いうと、障害程度区分で、何段階に分け、一番高い人は何時間にするか。それとの見合いの問題です。多分、今の125時間を前提にすると、流用しないと、今の地域の現実には合わない、というのはそのとおりだと思います。 今の、25,50,125時間の限度時間ルールは何年か前に作られたもので、その当時の資料を読みましたが、当時はヘルパーの派遣実績もよく分からないまま決めています。実際のサービスの程度について、どの程度の人がどのくらい必要なのかは把握していないので、正面から流用について議論していきます。実際のサービス利用量について、調査を全職員にお願いしてあります。データから、それに見合った時間が把握できる。どの程度の区分を設けて、どの程度の時間にするか。それによって、本当に流用制度が必要なのか、また対応はどういうやり方があるかが考えられます。流用はなぜ良くないかを申し上げると、格差があります。障害者も障害程度の差はあれ、みんな利用は必要だと思います。 本来、流用というのは、軽いと思われる方の分を他に回す、となると、その部分で格差が生じる。その意味で、それが運用として良い方向なのか、我々は慎重に考える必要があります。 もう1点。
 小規模自治体の例は先ほど話しました。町や村にとっては、地域によっては重度が一人という場合も実際に、あります。ですから、流用では答えが出ません。やはり流用で答えの出る問題ではないと思っています。 いずれにしても、その辺も実態を調べた上で、良い案を考えたいと思っています。
 それから、加藤さんの話の中で、精神障害者の人に対することですが、32条の存続について、関心が高いというご意見でした。 今度の制度改革においても、精神障害者に対する自立支援として残ることになっています。
 利用者負担が増えることに対する大きな不安感がありますが、モデル例がでています(66ページ)。ここに、うつ病のケースがあります。
 今だと、生保はゼロ円。低所得1〜一定所得の方は500円。これが見直し案では、倍の1000円とか。一定所得以上のひとは3千円とか。ただ、一番心配される統合失調症の方の場合。今だと生保はゼロ。今回の見直しで、低所得1,2のひとはむしろ今より下がり、所得税課税の方は増える。そういうきめ細かな措置を投じており、国としては、できるだけ配慮を行っているつもりです。 ただ、しばしば批判を受けるのは、地方自治体が、今、上乗せ措置で無料にしているケースが地域によってあるから。その自治体が、今回の改正に伴って、上乗せ措置をやめてしまうのではないかという心配があるようです。国の制度としては、むしろ所得の少ない地域で暮らす精神障害者の方にはできるだけの配慮をしようと思っています。他にもありますが、とりあえずこれで終わらせていただきます。あとまた質問があったらお答えします。

樋口/
 ありがとうございました。
 質問が多く時間が押していますが、これから、皆さんからいただいた質問に全て答えるのは難しいので、いくつかに分けて、質問を重ね、いくつか複合した形で伊原さんにお答えいただき、その後、シンポジストの他の3名の方から、伊原さんに、皆が言いたいであろう事柄を付け足して言って頂く形で、最後をしめていきます。 財政面で納得できないという部分を書いておられる方が多いです。日本の福祉の理念とは一体何なのか、そこが、お金がないというところで、自分たちが何かワガママを言っている、もっとお金をくれとねだっているように扱われているような感じで、みんな、不服で納得できない思いで、ここにいらっしゃるんだということ。それから、明日の生活が不安という思いで、いらっしゃるということ。ここに赤字と言う前に、支援費制度をもう少し継続して、議論を進めた上で、きちんとした法案として出すべきではないかという意見。 伊原さんからの説明の中で、今、実態調査をしているということと、試行事業をされているというお話でしたが、その試行事業を大津でしていて、委員の1人として入っていらっしゃる方が、委員会の中で、例えばズボンに少しでも足を通すことができたら、「できる」と書いてください、というように、ちょっとした介助がなくては完結できないような動作も、どこかが動けば「動く」と書け、と言われてしまうと、トイレ介助や自立はできないと。こんな調査をベースに、自立支援法の中身が組み立てられるとすると、とても問題である、という質問があります。また、財政の問題で、施設と地域生活の予算の配分が大きく違っている。 施設の予算から、地域生活への予算へ、方向転換し、増やしていくことはできないのかということと、財務省にかけあって、お金を持ってこれないの?という率直な質問。それから、中核市は今まで支援費制度では、負担金が2分の1だったが、これから4分の1になると言われているのはほんとうですか、それで、4分の1になるから、中核市の負担が少なくなるから、その分を自立支援法やヘルパー時間数に反映できないのかというと、この枠組みや、審査会をつくったり、システム構築に負担があるので、それはできないと言われているが、そこはどうなのか、というような質問が出ています。まず、答えていただいていいですか? 

伊原/
 たくさんの質問にすべてお答えできるか分かりませんが、せっかくの機会ですので、私自身が理解していることをすべてお話したいと思います。
 一つは、試行事業を始めたばかりの大津市の方からの質問ですが、1秒でも立てれば「立てる」とか、寝たきりの人が介助者に介助されてできれば「できる」と書いてくれとか、この基準では、予算は考えられませんというご質問ですが、今回106項目の項目で、障害程度区分の調査をしています。79項目に相当する項目は要介護認定基準、それ以外に今のIADA、あるいは支援費の障害程度区分などを含めて、106項目。障害程度区分は障害の程度を判定する1つの基準として、それですべてのサービス量を決めていくものではない。一つの判断材料だということを、ご理解願いたい。例えば、障害の方が外に行きたいとか、こういうことをしたいということは、障害の程度とは別に判定しなくてはいけないことです。 今回、質問票の106項目とは別に概況調査というものもやっていて、その中でも把握して、その中で決めていきたい。
 障害程度を判定する項目の一言一句をとって、これではできない、と考えるのではなく、全体としてどういう仕組み決定されるかということでお考えください。いずれにしても、この試行事業の項目や運用法は、まだ決めたわけではなく、これをやってご意見をいただいて、関係者の方とか、中西さんからもご意見をいただいていますが、最終的には決めたいと思います。 施設のサービスをもっと回していけないか、という話ですが、先ほど、資料でご覧いただきましたが、支援費がスタートしてから、在宅はほぼ倍になっています。この間、施設はそれほどのびていません。今、障害予算全体からいけば在宅サービスの充実を地域生活支援のために伸ばしているのが現実。 それから、知的障害でいけば、入所厚生施設からグループホームへという流れもあります。こういう中で、今日は説明しませんでしたが、施設体系、サービス体系の見直しを提案していきます。入所施設についても、昼と夜の活動を分けて、昼間は自由に選らんでください、という提案もしています。このような動きが進めば、別の地域生活も広がっていくのではないかと思っています。財務省にもっと予算を要求できないかということは、それは、我々もできる限りは正直、やっています。財務省には、我々もいつもケンカをしているようなものです。政府内の予算でいえば、±ゼロ、あるいはマイナスの予算の中、皆さんから見れば「たったこれだけ」、「イラクにこんなに派遣して」とか、思われるでしょうが、我々はそんなことを言っても仕事にならないので、財務省とはいろいろやっています。 そういう中、これまでもやってきましたし、来年以降も、今回、これだけ皆さんから1割負担反対とか、厚生労働省の周りに座っていただいて、反対されている中で、法案をなんとか成立させて、利用者負担までいただくのだから、財務省にはちゃんと金をくれと、これは強く言っていきたいと思っています。 そのあたりは、我々も当然、頑張ろうと思っていますし、ぜひ、皆さんからも、そういう動きを応援していただきたいと思います。私を攻撃してもお金は出ないので。 中核市の話がありましたが、今回は、国と都道府県と指定市町村の費用負担の関係を、国が2分の1、都道府県が4分の1、その結果、市町村が4分の1と統一することにしました。 指定都市と中核市については、今まで2分の1だったのが4分の1に下がりました。そういうと、4分の1になるんだから、よほど伸びるんだね、と言われそうですが、実は、その負担部分については、地方交付税でまかなわれるものなので、自治体全体から見れば、負担が楽になったわけでは決してありません。 ただ、もちろん、交付税をもらうよりは、補助金や負担金でもらうほうが確実に福祉にいきますので、やりやすくなるかもしれません。ただ、全体額から見れば、あまり変わらないと思います。 審査会や調査の費用がかさむのでは、ということに関しては実際の所はわかりませんが、審査会や障害程度区分にかかる金額については、国が補助金を用意しています。お金は確かに、自治体は、今までに比べ、4分の1多くなるわけですが、サービスを提供することに比べると、事務コストはそんなに大変なことではないと思います。ただ、熊本市の方でしたか、役人の肩を持つとすれば、交付税がその分減るからしょうがないかもしれません。 国庫負担金について理念的な話があったので、申し上げます。国の基準を超える人の生存権を国はどのように考えているのか、社会参加して地域で暮らす人についてはどう考えるか。 介助という社会的に必要なものに、上限枠でつけることは、幸福追求権を奪うのではないか、ということについて。私どもとして、障害者の社会参加に枠をはめようという気は全くありません。国庫負担基準は逆に言うと、何をもって幸福、何をもって最低基準と考えるかは、生活保護の話からずっとあって、社会が動くたびに変わってきました。私が学生時代に活動していたところの障害者の介助は、その当時は、全身性脳性麻痺の方が生きていくためには、多くのボランティアに頼る時代だった。でも、今では支援費を使って生きていく。そうやって時代にともない変わってきたということ。では今回なぜ国庫負担基準になるのか。もう一つの制約として、国や自治体のお金を使う。これも無限でなく、まして今日のように、国が700兆、地方が200兆、合わせて900兆の赤字を抱えている中で、どうやって日本が進むかを考えないといけない時期です。 簡単に、ハイ、そうですかとは財務省ではいえない状況。私ども厚生労働省の職員としてひしひしと感じています。限られた財源を、自治体ごとに配っていく。そのときの配り方の基準を国庫負担基準というのです。財源は限られていますので、東京だけにいっぱい、というわけにはいかず、格差が広がらないようにする。これが国庫負担基準の意味です。ですから、基準を決めたから、同時にそれが地方の支給の上限があるということではありません。

樋口/
 ありがとうございました。
 時間も迫っています。質問もたくさんありますが、制限させていただきました。
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