当事者エンパワメントシンポジウム東京

2004年3月28日

あいさつ
・ 中西 正司(全国自立生活センター協議会代表)

●シンポジスト紹介

大熊 由紀子 (大阪大学大学院教授)
有留 武司  (東京都福祉局障害福祉部長)
上野 千鶴子 (東京大学文学部社会学科教授)
塩田 幸雄  (厚生労働省障害保健福祉部長)
樋口 恵子  (高齢社会をよくする女性の会代表)
中西 正司  (全国自立生活センター協議会代表)

●シンポジウム討議 
〜前半〜
・上野 千鶴子
・樋口 恵子
・有留 武司
・塩田 幸雄
・中西 正司
・討議前半の各シンポジストコメント

 〜後半〜
・樋口 恵子
・有留 武司
・上野千鶴子
・塩田 幸雄
・中西 正司

・質疑

◆あいさつ

中西 正司(全国自立生活センター協議会代表)■■■■■■■■■■■■■■■■■■

皆さんお休みのところをありがとうございます。今日第9回のこの当事者エンパワメントシンポジウム、東京で開催されます。そしてこの当事者ネットワークの発想の元に生まれた『当事者主権』という本の出版記念会も兼ねて、開催できる事を嬉しく思っています。共著者の上野さんとご一緒してシンポジストとして出るのは初めてです。そしてこのネットワークは、いままで北海道から九州まで、全国を駆け巡ってきました。塩田部長にも何回か出ていただき、厚労省職員の課長のみなさまにもご出席いただきました。そして介護保険の話を含めて、広島集会あたりではかなり具体的な話にまで塩田さんが踏み込んでくれましたので、今日もそういう発言が期待できるかもしれません。

このネットワーク自身は、知的障害者、高齢者の高齢協会などとの連携の元に行われております。自立生活センター協議会がそのまとめ役となりこのシンポジウムを続けてまいりました。この取り組みが大きな地域の流れを作っていく基になっていけばと思います。これからは高齢者、障害者、患者運動などのあらゆる当事者がネットワークを組んで進んでいく時代かと思いますので、その先駆けにこのシンポジウムがなればと思っています。そういう事で皆様のご協力を今後ともお願いしたいと思います。ありがとうございます。


◆シンポジスト紹介

大熊 由紀子(大阪大学大学院教授)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

大熊由紀子でございます。いまだに朝日新聞の、と言わないとわからない、あそこは何年務めたでしょうか、3分の1世紀以上務めました。今日ここにお呼びいただいているのは、ちょっと冊子を広げていただきますと、64、5ページに「哀れみの福祉、さようなら」という社説がございますけれども、1991年のJIL設立総会で中西さんが「今歴史が変わろうとしている。障害者が福祉サービスの受け手から、担い手へと役割を変えつつある。庇護された自信の無い存在ではなく、力強く社会を変革していく存在として」とお話になったことを、十数年前にここで引用させていただいたのが1つのご縁です。

その他に今日ここに載っていらっしゃる全ての方を私が存じ上げているという事も、司会役を仰せつかった理由かと思います。次を開いて66、7ページには樋口恵子さんが作られたといっても良い、高齢社会を良くする女性の会、一方の当事者運動ですけれどもそのことが書いてございます。次のところで「施設が段々遠くなる」、これは東京都を悪玉にした社説でございまして、当事者の意見を全く聞かずに知的障害の施設が秋田とか北海道とか、そういう所に作られていく問題を取り上げました。でも今日いらっしゃっている有留さんは、これを何とか変えようとしていらっしゃる方です。次のページに商売敵だった読売新聞の記事ですけれども、有留さんのご活躍が載っているという次第でございます。塩田さんとは、いま私と有留さんと中西さん、障害者の地域生活支援のあり方に関する検討会というのに入っておりますが、その時いつも事務局の真ん中に座ってらっしゃるのが塩田さんでございます。

それでは皆様から今日のテーマにふさわしく「当事者」という言葉をキーワードにして簡単に自己紹介をしていただきたいと思います。この冊子の1ページ目にあいうえお順でお名前が載っていますので、その順番で有留さんからお願いたします。



有留 武司(東京都福祉局障害福祉部長)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

東京都の障害福祉部長の有留でございます。私は東京都独自の福祉改革を進めております。そういう意味で東京都の障害福祉行政の政策立案と事業実施の当事者です。東京都の場合は国の省庁と違って福祉に限らずいろいろな経験をします。7、8年前は、臨海副都心というウォーター・フロント開発の担当者でした。3、4年前は山谷のど真ん中に城北福祉センターというのがあり、そこの所長をしておりました。いわば極貧層のホームレスと毎日向き合いまして、山谷や大阪の釜ヶ崎、それからニューヨークのNPOや支援団体と議論しながら、東京独自のホームレス自立支援施策をゼロベースから立案しました。いま都と23区の共同事業として実施しております。それから私事ですが、家庭ではちょっと事情がありまして、3年前から娘2人との父子世帯。子育ての当事者です。いろいろな事がありましたけれども、家事を娘も分担してがんばっていますけれども、土日は「主夫」として、他人に頼らず自立した家庭生活に務めております。



上野 千鶴子(東京大学文学部社会学科教授)■■■■■■■■■■■■■■■■■■

上野千鶴子でございます。社会学者で札付きのフェミニストでございますが、本日は女装をしてまいりました。先ほどから「おきれいですね」と言われているのですが、「はい、首から下が」と言っております。私が女装してまいりましたのは、こうでもしないと私が当事者だということがなかなかわかっていただけないからです。私は当事者でございます。「女」という当事者です。日本一怖い女といわれているのですが、その称号は隣の樋口さんに差し上げたほうが良いかと思うのですけれども、女はマイノリティーです。人口の上ではもちろん数が多くて、こんなに怖そうな樋口、上野と並んでいてどこがマイノリティーかとお思いかもしれませんが、皆さん方が政界、財界、官界のお偉方のお集まりに行けば、私はこれをメンズクラブと言っていますが、そこは真っ黒でございまして、女は社会的にはっきりとした少数派でございます。中西さんと共著で、『当事者主権』という本を書かせていただきました。この本を書いたときに、障害者運動と女性運動のあまりの共通点に、お互いびっくりしたという経緯がございます。それが第一なのですが、私はその点では女性解放運動の当事者であり、かつ女性学を運動として担ってきたパイオニア世代の1人であると0しあげる事ができるかとおもいます。もう一つ、年を取ってまいりましたので、私どもの世代、50代の団塊の女は介護世代の当事者真っ最中です。それともう一つ、私どもの目の前に老後が控えておりますので、近未来では要介護当事者でございます。以上、紹介を終わります。ありがとうございました。


塩田 幸雄(厚生労働省障害保健福祉部長)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

厚生労働省の塩田と申します。私は三つの意味で当事者です。一つ目は、母親が瀬戸内海の小豆島で1人暮らしをしております。要介護度1、週1回デイサービスを受け、その他の日は農作業をしております。私は介護保険に親の介護を委ねてしまった、都会に出てきた親不孝な息子という立場がございます。二つ目は地域と家庭においては、これは100%濡れ落ち葉予備軍で、全く何の活動もしておりません。全く100%落第生の社会の一員としての当事者であります。三つ目は仕事場での私でありまして、日本の障害福祉行政の実質的な責任者という立場でありまして、こちらは今日もここにきましたように土曜も日曜も含め、昼も夜も仕事をしているつもりです。夜も実は枕元に鉛筆と紙を置いて夢の中に出てきたキーワードを書き留めるくらい、この仕事に没頭しておりますが、この当事者についての評価は、これからの仕事の出来次第という事であると思います。よろしくお願いします。


樋口 恵子(高齢化社会をよくする女性の会代表)■■■■■■■■■■■■■■■■

年が上で、体がでかい方の樋口恵子でございます。もう上野さんからご紹介半分いただきましたけれど、皆様おっしゃるように当事者といってもみんな複数の顔、三つ四つ五つの顔を持っていると思います。私自身当事者としては、まずこの中の最年長で71歳でございます。昨年は同じ70歳同士という事で、お隣の有留さんの上司にあたる東京都知事現職に果敢に挑戦をいたしました。そういう65歳以上の女性当事者、女性高齢者というのは実は大変な意味を持っております。先ほど上野さんから障害者と女性は似ているといわれましたけど、女性はちょっと違うと思いますのは、数のうえでは絶対多数であるにも関わらず力が少ない、ということだと思います。この点果敢に戦ってきた障害者当事者運動から学ぶべき事は、高齢者としても、女性としてもたくさんあると思っております。2050年の予測によりますと、なんと中位推計で人口の35.6%が65歳以上になります。その中の6割以上が女性ですから、ざっと計算すると、2050年には日本人の5人に1人以上が65歳以上の女性になるのです。これを21世紀はおばあさんの世紀と言わずしてなんといいましょうか。このおばあさんのあり方が日本社会を左右すると思っています。このおばあさんがリッチかプアか、前向きか後向きか、当事者意識を持つか持たないかで、日本の21世紀は左右されると思いますから、私はこれまで大変弱かった女性の当事者意識、特に高齢者の当事者意識というものを進めていきたいと思っております。

22年前に高齢社会をよくする女性の会を私たちが作ったときは、介護の当事者といっても、介護する側の家族、嫁、という当事者意識が強かったです。22年を経てまだ日本の中では非常に弱い、介護を受ける側の高齢者の当事者としての発言、研究、連帯を続けていかなければならないと思いますし、それを発見していく途上で否応無く若い障害者の方々との出会いがあるのじゃないかと今日は期待してまいりました。今日はよろしくお願いします。


中西 正司(全国自立生活センター協議会代表)■■■■■■■■■■■■■■■■■

僕はこの当事者運動というのがこの十数年間でこれほど大きくなっていくとは思っていなかった。なるようにはなると思ってはいたけれども、大きなうねりになって全国に広がり、そしてアジアに広がり、世界に広がるというような意味では時代の子なのだな、という気がします。上野さんとこの本を書く中で、僕自身が意図しないままにやはり当事者運動というのを広めてきたのだなというような気もしました。

僕自身が当事者であると自覚したのは、障害を負って一ヶ月くらいたって、これは治らないんだなというように思ったときからです。障害者として生きようと考え直してきたわけですけれども、この切り替えというのはなかなか大変なものだと思います。ただ僕の場合は、こうやってゆっくり静止視点から世界を見られて、本を読めて、歴史を考えられるいい立場におかれた、というようにいつもポジティブにしか考えない人間なので、積極的に評価をしています。こういう中で当事者運動というのは、自分がマイノリティーではなく、これは非常に有利な立場を与えられるのだと考える所から始まっているのだろうなと思っています。今日の話し合いもそういうポジティブな話し合いができればいいと思います。

大熊

朝日新聞に出ていたのですけれども、トイレに行き移るために長時間、いわゆる自立のための訓練を受けられたと。屈辱といわれましたが、ちょっとそのあたりを。


中西

リハビリテーションで、あなたはトイレから車イスに戻ってこられなければ施設から出られないよという事で、看護婦さんが30センチも段差がある便座に僕を座らせて、上がってこいと言われてですね、ナースコールを呼んでももう来てくれないというようになって、6時間も便座の上に座っていたということがあります。そういうようなムダなリハビリテーションというのを昔はやっていたという事で、そういう事を書きましたけれども、結局高さを合わせたトイレを作ればそれで済んだのに、わざと障害を生み出してきたという社会があったということだと思います。


◆シンポジウム討論

■上野

 上野です。端っこにいる中西さんと一緒に『当事者主権』というこの赤い本を書きました。毛沢東の本ではありません。みんな持ってます?読みました? Say Yes! 売れています。

『当事者主権』という言葉は辞書には載っていません。こんな言葉は世間にはありません。勝手に作りました。作って広めたいと思いました。理由はとってもはっきりしています。「私が私の主人公。私のことは私が決める」、これをどういうように言うか考えました。「当事者主義」というのが真っ先に浮かびましたけれども、日本語では主義という言葉はとっても評判が悪いのですよね。「偏った主義主張」とすぐに言われる。これを上野のような性格の悪い女と、中西さんのような偏った人が二人で書くと、「当事者主義なんてまた誰か偏ったことを言っているやつらが現れた」と思われるに決まっているから、「主義」とは言いたくなかった。

それからじゃあ「消費者」とか「弱者」という言葉があるのですけれども、最近「消費者主権」という言葉があります。「消費者主体」という言葉もあります。サービスのユーザーだから利用者で「利用者主体」とか「利用者本位」もあります。でもこれもここのところサービス業者の間で手垢にまみれておりまして、「利用者主権」とか「消費者主体」なんてマックのお兄さんだって言いそうです。だからこんなのも嫌だ。それから「弱者」という言葉もあって「弱者中心」という言い方もある。「弱者に優しい社会」。でも「なんで私が弱者なのよ、私を弱者に誰がしたのよ」と思うから、自分で自分のことを弱者なんて名乗りたくない。というわけであれこれ一生懸命頭をひねって「よしこれしかない」というので、「当事者主権」という言葉を創って広めたいと思いました。岩波書店の編集者の坂本純子さん、今日いらっしゃっています。彼女が強力にサポートしてくださいましたが、岩波書店のオヤジどもが眉をしかめるのを押して通しました。

この本を出したのですけれども、『当事者主権』という本を出してみて、私ずっと女性運動の当事者でしたけれども、女性運動ととっても似ているなと思ったのですね。フェミニズムってカタカナ言葉で舌を噛みそうな言葉なんですが、フェミニズムというのを今から振りかえってみて非常に簡単に言うと、マイノリティーの自己定義権の要求だったと思うんです。というのは、女ってずっとちっちゃい時から、「そんな事するとお嫁に行けないよ」とか「ブスは女じゃないよ」とか「子宮とったら女はあがったよ」とか言われるんですよ。子宮があろうが無かろうが、ブスだろうが何だろうが、あぐらをかこうがタバコとを吸おうが、「私が女だってことはあんたに決めてもらわなくていいよ。私が女だってことは私が一番良く知っている。私がどんな女であるかってことは私自身が決めるよ」ということを言ってきた。これをやってきたのがフェミニズムっていうものだったんですよね。

そうするとマイノリティーといわれる人たちは、どの人たちも実は「お前は何物か」という定義を他人に奪われてきた人たちだってことがわかった。それでじゃあ「私のことは私が決める」というので「当事者主権」ってなるだろうと思ったんです。これで中西さんと出会ってみて、障害者運動とはいろいろなところで接点があるし、学ぶことが多いなと思いました。私の今の研究主題、一番熱心にやっている研究主題は、介護を巡る市民事業の研究なんです。これから要介護になった時にそのケアというサービスの需要と供給をどうやって地域で満たしていこうかっていう。動機はとてもはっきりしています。私の前に待っているのは子のない女の老後なんです。こういうのは昔オールドミスって言いました。今は少子化世代の先兵、一番一周遅れで先頭を走っているんですけれど、昔はこういう人は老人ホームで一人寂しくっていうのが、だいたいの図式だったんですけれども、介護保険ができたときにこれは私のためにできたんだと思いました。介護保健のおかげで施設で一人寂しくという老後を考えなくても済む。

そこでいま高齢シングルの老後というのを私の研究主題にしているんですが、学問というのはなんのためにあるか、私利私欲のためにあるんです。自分のためにやるんです。でも私のためにやると思っていることが、実はどの方にとって関係がある。子供がいようがいるまいが、夫や妻がいようがいるまいが、最後は一人。そういうような最後は一人ということを考えた時に、一人の老後をどうやって人に支えてもらいながら生きるかという、そのために介護保険ができたんだっていうようにとっても嬉しく思いました。

たとえどんなに問題があっても、使いかってを良くして使い回しをしながらこれから先の未来を切り開いていかなきゃ行けない。その点では高齢者の運動が障害者から学ぶことがたくさんあると思います。というのは、介護保険というのはまず高齢シングルが家族に頼らなくても済む老後というのを可能にする仕組みを、作り出しているかどうかはわからないけれども、少なくとも作り出そうとはしているからですね。これが第一。二つ目には、残念ながらいま施設志向は強いですけれども、施設から在宅へという在宅福祉への大きな流れを作り出した。私わがままものですから、定時に起きて定時に眠るなんて嫌だ、好きな時にご飯を食って、好きな時に寝たり起きたりして、そうしたらわがままものが在宅で老いる老後っていう可能性が出てきた。これが二つ目ですね。

三つ目は何かというと、女はずっとかわいくなくっちゃ女じゃないって言われてきました。日本の女には年を取ったらどうやって生き延びていくか、どんなおばあちゃんになりたいですかっていわれるときに、かわいいおばあちゃんになりたいという生存戦略があるんです。そのかわいいおばあちゃんになりたいってたくさんの方がおっしゃるんだけれど、私それを聞くたびにいつもこう思うのですね。「いまかわいげのない女である私が、これから先、かわいくなる可能性があるだろうか」。まずありません。だとしたら介護保険は何かというと、かわいくてもかわいくなくてもお世話してもらえる権利が堂々と私あるっていうことなんですね。そういう制度をようやく日本が作り出した。これは家族革命だったと思っています。そういう意味で、やっと高齢者も自分の権利を主張するという当事者になってきた。

当事者であるという事と当事者になるという事とは違う事だということを申し上げたいと思います。黙っていても当事者である、という事はないんです。権利を自覚してニーズを主張したときにあなたは初めて当事者になります。考えてみてください。高齢者介護でこれまで一番惨憺たる負担を背負ってきたのはお嫁さんでした。お嫁さんたちは黙って耐えてこられて、孝行嫁の表彰とか受けてこられたわけですね。じゃあこの人は介護当事者かというと、黙って耐えて要求を出さない人は当事者じゃないんです。それを私の隣にいらっしゃる樋口さんはギャグ名人で、彼女は何て言ったか。こういう人たちがやがてヘルパーになったとしても、結局のところ同じことをおやりになるというので「家の嫁から社会の嫁へ」という名言を吐かれたのですが、私はこんなように言いました。「良い嫁は福祉の敵」。

なんにもニーズを言わない人は現状の社会をこのまま支えてしまうんです。ニーズを持つという事は社会を変えたいと思うことです。ですからニーズを持ってそのニーズに自分の権利があると思うときに、あなたは初めて当事者になる。だから当事者になって欲しいと思います。そこで私たちが考えるべきことは何かというと、社会のデザインを変える。ユニバーサル・デザインという言葉がありますね。ユニバーサル・デザインというのは何も建築や街作り、空間ばかりじゃありません。デザインというのは設計ですから、私たちニーズを持った人たちのために社会の制度や仕組みの設計を変えていくということが、当事者主権の向かう方向だと思っています。10分経ちましたのでこれで一旦終わります。ありがとうございました。

■大熊

 ありがとうございました。大学のプロの先生は10分間で話を終えられる事がわかりました。私も実はこの当事者主権にちょっと登場させていただいていて、それは「患者学」という言葉を広めたことになっているんですけれども、この患者学というのもいろいろあって、かわいいというか賢い患者さんになりましょうね、いいお医者さんを選びましょうねっていう患者学というのは結構いろいろな所で書かれているんですけれども、私が朝日新聞で患者学シンポジウムというをずっとやっていたのは、かわいい患者さんにとどまらず、社会の仕組みを変えていくということでいっていましたので、共通する所があるのだなと思って聞いておりました。順番では樋口さんになっているのですけれども、このキツイ話を塩田さんなどはどう受け止めて聞いていらっしゃいましたかということを聞いてみたくなったので、ちょっと順番を変えてみました。

■塩田

 今日一番心配だったのは上野さんがどんな人かと一番心配だったのですけれども、大変優しい方で安心しました。ユニバーサル・デザインという言葉を言われたので驚いたのですが、実は僕は常々考えているのはユニバーサル・デザインという点で共通性があるなと思いました。それが感想です。

■大熊

 どうもありがとうございました。後でまた論議をしていただく事として、順番通り、フェミニズムの日本における大パイオニア、元祖といってもいいような樋口恵子さんにお願いいたします。

■樋口

 もう上野さんと中西さんの本の中にはたびたび登場して評価していただきましたし、上野さんがもうほとんどお話になっちゃったんですけれども、「上野のしゃべった後にはペンペン草も生えない」という有名な話があるんですが、じゃあ私はやはりこの介護保険をどう評価するかということをまず若干お話したいと思います。効果はたくさんありました。まず予想以上だったことに、家族のビッグバン効果というのがありました。それまでは家族の古い意識、その舅・姑にたいする嫁の介護責任などというのは、介護する嫁さんが60、70になっているのですから、もう実態を保てないんですけれども、しかしあるかのごとく言われていた。いわば影絵のようになってしまっていた部分にみんな感情的にしがみついていた。それが介護保険によっていい意味でのビッグバンができて意識が非常に変わった。最近の高齢者にたいする様々な多様な流れ、全部がいいとは言いませんけれど、これはある意味で介護保険によって、子供や嫁、息子や嫁の介護にかわいくなって頼らなくても良くなった親たちからの、精神的自立の縁切状だと思っています。このビッグバンができたのはやっぱり介護保険のおかげで、まっとうな親と子の老後の自立が可能となった。

それから街の風景が変わった。私は杉並という所にすっと住んでいますけれども、たった1年でこんなに高齢者が近所に増えたはずはないのですね。それがうようよと出てきました。みんな家の中に引っ込んでいた人がデイ・サービスができて、それを利用していいんだというので、みんな出てくるようになったんですね。街に看板はできるし、家の中にひそみ隠れていた高齢者が巷に出てきた。風景が本当に変わったと思います。

デイ・サービスなどは少し前からあったんですが、私はある町に行ってそういう指摘を受けて本当にそうだと思ったんですけれども、ある団地で、私もそこにちょっと宿泊したので見ましたけれども、幼稚園の送迎バスがやってくる。お母さんたちがいっぱいやってきて、みんなで手を振って送る。その後のお母さんたちの姿というのが見物で、まるでジーンズの脚の先に根が生えたのかのごとく、そこで数人が立ち、三人四人と輪ができて、いつまでもおしゃべりしているんですよ。これがまた楽しくていいんです。

同じ頃やはり同じ駐車場にデイ・サービスの車がやってくる。誰も待っている人はいない。ところが車がくると、あちらの物陰、あちらの木陰から三々五々と車イスに乗せた、あるいは抱きかかえられるようなお年寄りが出てきて、そして車イスに乗せて「すみません、お世話になります」と言う。つかの間お年よりの介護から手が離れるのですから、家族たちはお話し合いをすればいいのに、あっという間に悪い事でもしているようにそそくさと散ってしまう。これが介護保険以前の保育サービスを利用する親たちと、福祉サービスを利用する子供家族の風景の違いでした。これが無くなりました。みんなおおいばりでお年寄りをお預けするようになりました。風景が変わりました。

これは社会で高齢者を見ていくぞという、いまはやりの言葉でいえばマニフェスト効果があったのだと思います。サーチライト効果というのも大きな効果の一つだと思います。今まで見えなかった部分が介護保険という光があたることによって、いかに医療と福祉の連携が悪かったかとか、いかにもお医者さんの世界だけでものが決められていたとか、いろんなことが見えるようになった。これがサーチライト効果。立派な事だと思っています。それからやっと医療と福祉、保険、地域のさまざまな事業というネットワークが出てきた。これは大変良かったことだと思っています。

私は介護保険を推進する方向で活動した「高齢社会を良くする女性の会」という会の代表をいたしておりますのと同時に、介護保険論議が始まりました時に、これは労働組合や市民で作られた、「介護の社会化を進める1万人市民委員会」という会の代表を、さわやか福祉財団の堀田力先生とご一緒に二人代表で務めさせていただきました。こちらの方は介護保険の具体的な条項などについてのロビーイング活動などもしたのですけれど、この二つの活動をしてきた中で、成果と同時に今まだ不充分だなと思っている事を二点申し上げて終わりたいと思っております。

この1万人市民委員会のほうで、いろいろな要求をロビーイング活動もいたしましたけれど、成果を収めたなと思うのは、介護保険法の117条5項です。面倒な法律の話で恐縮でございますが、私はこれを介護保険の基本的なDNA、欠くべからざるものだと思っております。「参画条項」と私どもは呼んでおります。これは最初の案には無かったのですけれど、まさに1万人市民委員会など市民運動の結果、衆議院で明文修正されて参議院を通過し、本法の中に入っております。

何が入っておりますかというとこれはごく簡単な事です。介護保険の策定にあたっては、被保険者の意向を反映する。当事者という言葉は使っていませんが、要するに非保険者、40歳以上の人が当事者であるよということなんです。そしてその法律はもう自民党の方からもみなさん賛成なさってこの法律は成立しました。そしてガイドラインについては当時審議会の委員をしておりまして、その審議会で省令の部分の案を検討いたしました。その中で私は1万人市民委員会の代表という立場もふまえて、介護保険計画や事業計画に公募も含めた住民が参画できることとか、アンケートのこととか、いろいろな具体案を入れました。

私は日本の社会保障法の中で、このような被保険者の参画を具体的に書いた法律もかつガイドライン、省令もこれは初めてことだと思います。障害者の方の法はどうなっていらっしゃるのか良く存じ上げませんが、ぜひ当事者の参画ということを法律や省令に盛り込むような形をとっていただきたいと思います。これのおかげで、例えば高齢社会を良くする女性の会のメンバーも、介護保険策定にさまざまな委員として市民を代表して加わるようになりましたし、介護保険が一つのきっかけとなって自治体の議員になる人も増えております。

それにも関わらず、というところなのですけれども、残念なのはこの条文についての宣伝が少ないので、介護保険を批判する人も賛成する人も、この参画条項の大事さということをまだあまり認識されていないのですね。当事者主権ということから言うと、障害者運動の成果というのは目覚しいものがあると思うのだけれども、やはり高齢者というのは何歩も立ち遅れている。ただ介護の問題についてこの117条5項というのはもともと案に無かったことを市民活動で入れていったという意味で、大きな自信を持っております。これをもっと活かしたい。地域の介護計画というのは、もっともっと住民の参画でもって決めるべきだと思っています。

いま規制緩和の真っ只中に介護保険というのは施行されたものですから、その良さと悪さがあります。民間が入ってきたのは良いのですけれども、一方であまりにも営利的な市場主義が先行して、「民」といいましても本当の市民という部分の「民」が後退し、それと同時に公的な責任が少し後退しすぎているのではないかという感想を持っております。

それから、これはもう上野さんがこれはほとんどおっしゃってくださいましたけれど、結婚しようとするまいと女はしょせん独り者なのですよ。私なんか二度も一緒になっていますけれども、二度とも先立たれ、今やまた一人ですよ。そして一人暮らし高齢者の4分の3は女性でございます。やや時代が先に行きますと修正されるでしょうけれど、2020年ぐらいになっても3人に2人は女性でございますが、一人暮らし高齢者はどんどん増えます。介護保険が一人暮しをまっとうできるためのものである事を私どもは願っておりましたけれど、残念ながら今の介護保険は、重度の要介護者が自宅で一人暮しできる介護のサービスの供給量ではございません。

だけど上野さんがおっしゃりましたように、そこへ向かう端緒はできたと思っています。介護保険の世論調査はみんな評価高いのです。このように施行して何年も経っているのに、やって良かったっていう世論調査はめったにないです。けれども残念なことに、家族の負担が軽くなったって部分はそれほど点が良くありません。段々軽くはなっている。軽くなっているとは言うけれど、これはやっぱり外部サービスを利用する、心のバリアフリーかが行われたということであって、現実の重さはそれほど変わっていないのではないか。これからは重度の要介護者が一人で在宅で暮らせる道を目指していきたいと思っております。以上です。



大熊

ありがとうござました。介護保険ができるとき寝返りができない要介護度5のお年よりは自宅で暮らせないではないかということを、当時の担当の香取さんに詰め寄った事があるのですけれども、その時はそんな事を言ってきたのは大熊さんしかいないということを言われました。そしてこの法律を成立させようとしているときに、大蔵省とか自民党の人から「そこまで言ったら全て話しが壊れてしまう」というようなことを言われたのを思い出しました。

ただそうはいっても、2000年と2003年を比べると、施設と在宅にかけているお金で言いますと、2000年当時は施設に72%、在宅が28%だったのが、2003年になると施設が52%、在宅が48%というように、明らかに在宅にシフトしている事は確かなんですけれども、それはまだ完全とは言えないという状況ではないかと思います。

それでは障害者の自立について非常に先見的に応援してこられた東京都を代表し、有留さんにお願いいたします。

■有留

 ひょっとしたら私のボスになるかもしれなかった方の次にしゃべるのはちょっと緊張するのですけれども、皆さん石原慎太郎の下にいて大変だろうと良く言われるのですが、大変なことはぜんぜんありません。何がいいかというとやりたいことをやらしてくれるんですね。私は美濃部さん、鈴木さん、青島さんと四代の知事に仕えましたけれども、従来ですといい案でも小役人が途中でインターセプトして潰れていくというのが多いのですが、いまは知事までの距離が非常に短いです。時代のニーズに即した施策でちょっと社会にアピールするものであればあっという間に実現できちゃうというところが今の都政の良さです。仕事そのものについては、鋭い判断をされているなと考えています。国とはどんどんケンカしろとも言われていますし、いま実は大変なケンカをしております。そんなことで今日はちょっと率直なお話をさせていただきたいと思います。

 私に与えられたのは都として支援費制度をどう評価するのかというような事でございますが、基本理念は自己選択・自己決定ということで、理念的には非常に優れた制度だと考えています。東京都の独自の福祉改革、これは社会福祉基礎構造改革を踏まえて大都市特性に応じた福祉改革をやっているわけなんですが、キーワードはまず「選択」、選べるということです。それから「競い合い」で、いろいろな供給主体が競い合ってサービスを向上しようと。それから「地域」、地域での自立生活。この三つのキーワードです。そして自己選択、自己決定ということで「選択」です。それから「競い合い」。行政かあるいはほとんど税金で運営されている社会福祉法人のみによって、今までの福祉サービスが提供されてきました。そこにNPOだろうが民間企業だろうが多様な事業所が参入しなさいと。大変に結構なことで、都の福祉改革の観点からも基本的な支援費制度の理念は評価できるというように考えております。

ただし改革としては極めて中途半端だというように考えております。二つの点がありまして、一つは基盤整備。選べるだけの制度はできたのだけれども、選べるだけの基盤があるのですか、という話です。二点目は仕組み。介護保険の場合はケアマネージメントなどいろいろご意見がありますけれども、例えば知的障害者が施設から地域に移行する時にどういうかたちで当事者意識を発言して示して、どういうかたちでメニューを作っていくのか。そういう事をアドバイスする仕組みがなされていない。その二つの面で非常に中途半端な改革だと私は考えております。

 資料の4ページを広げていただけますか。ひとめで東京都が何をやっているのか、この絵柄を見ればわかると思います。基盤整備で何が問題なのかという事なんですが、国の方はある程度財源を増やしました。規模増というのですね。ニーズが増えるから予算をちょっと増やしましょうということをやったわけなんですが、サービス基盤を具体的に促進するためには特別な仕掛けを普通はやるわけですね。例えばグループホームの整備助成など、痴呆性高齢者のグルーホームでは制度化されていますが、そういうのが用意されていない。結果どうなったかというと、ヘルパー財源の問題。つい4、5日前に発表になりましたけれども、全国で25億円不足して、東京都はそのうち12億円、区市町村がかぶる形になったということです。

 それからもうひとつ、団体の方々はあまり言われないのだけれども、社会福祉施設の整備費、これは例えば通所施設なんかは知的障害者の方をはじめ、一般就労のできない人が働いたり、リハビリをやる場として地域で非常に重要な役割を果たしています。住む場がグループホームでこれは通う場として非常に大事なんですが、これについて国庫補助が極めて厳しい状況になっています。今まで国庫補助がつかなかったことは殆どないのですが、今もまだ結果は出ていませんが、簡単に言いますと国の予算で、高齢者施設も入れて、新規事業分の予算は600億しかない。その中で全国での新規事業の見込みが1500億くらいある。要は900億円くらい足りないというような状況と聞いております。塩田部長をはじめ、国が大変な財源確保の努力をされたことは評価します。それから当然われわれはタックスペイヤーに責任がありますから、障害者が自分でサービス量を決めて、量も全部青天井で決めましょうというわけにはいかない。予算の範囲内、流用も含めての対応というのは東京都も行政の立場だからわかります。ただ問題は、後でちょっと申し上げますけれども、東京都には府中療育センターの問題があって、『当事者主権』の中に中西さんが書かれていたと思うのですが、30年以上にわたって当事者参加を重ねてサービス基盤を整えて高い水準の福祉を実現してきたわけです。しかし地方のホームヘルプサービスではやっていないところがいっぱいあったわけですね。そういうところに、高きを削って薄く広くまわすという発想は、支援費制度の理念とは基本的に相い入れないんじゃないかと私は考えております。

中・長期的に安定的な財源を確保するにはどうしたらいいのかと言う事はきちんと議論する必要がありますけれども、過渡的には当然しかるべき財政措置をやっておくべきだと考えます。

二点目が仕組み作りの面でございます。左側にありますけれども、制度を支えるなど独自にいろいろな仕組みをやっていますけれども、障害者のケアマネージメントシステムは支援費制度の枠外にあると言う事は先ほど申し上げました。東京都の取り組みはいろいろやっていますけれども、その前に支援費制度でどんな成果があったのかという事もきちんと押さえなければいけないと思います。やはり措置から契約ということで制度が注目されて、知的障害者のホームヘルプサービスの利用だとか、新たに利用をする動きが全国的に広がったこと。それから障害者をはじめ、お年寄りが地域で暮らすのは当たり前ということが、当事者はもとより家族とか福祉関係者、行政、世間一般が認めるようになった。実は知的障害者が施設移行、施設から地域へとよくいわれるのですが、一番反対するのは親御さんなのです。私たちや福祉事務所のケースワーカーが最初に説得しなければいけないのは保護者なんですね。そういう事である施設ではトラブルが起こっていたりします。施設入所者に支援団体を会わせるなというような父親の強い意向で、支援する団体と施設側でトラブルが起こったりしています。

そういうことが支援費制度の流れの中で、コンセンサスが得られたと。お金が足りないということでどんどん報道された事が、逆にいえば支援費制度のPRになったのかなという感じがしています。そういうかたちで、全国に、宮城県だとか長崎県などでいろいろな先駆的な取り組みが広がってきたというのも大きな成果だと思います。

自立生活運動の評価ですけれども、昭和47年から49年、府中療育センターに関するテント闘争で、まだ私が都庁に入る前だったんですけれども、テントをはって2年間障害者団体が頑張りました。そこから私たちとの対話が始まりまして、その中で、例えば9ページを見てください。東京都単独事業ということで、例えば重度手当月額六万円とか、心身障害者福祉手当とか、それから医療費助成をあわせると、すごい額になってくるわけですが、重度脳性麻痺者介護人派遣事業の実施。要するに極めて日本全体が福祉の水準が低い、そういう状況の中で、高度成長の時代ですから原資はあった。それから美濃部革新都政の登場という中で、東京都は先駆的にさまざまな事業を始めて、実は知的障害者のグループホームは78年、昭和53年に東京都が始めたものです。国が始めるのは元年度になります。

その時の交渉形態は団体交渉。私もその時代の学生を経験しているので、この交渉や形態はよくわかるのですが、対話ではないですね。要求をぶつける場です。だから行政側からすれば、想定問答を読んで、ちょっと要求入れて段階的に上げていくか、という発想もあったかと思います。

その後中西さんたちが86年にヒューマンケア協会を作られて、そういう実践を踏まえて、『当事者主権』の中で哲学だとか、上野先生という強力なバックアップを得て集大成をされたなという感じがします。

自立生活運動の評価ということですが、やはり運動体だけではなく事業体である事から、実践を踏まえた政策提言能力というのが飛躍的に高まったと思います。そういう意味で運動体への対応というのは楽なのですね。一方的な要求の投げつけに対して、適当に対応して入れてば良い面がある。ところが相手に理がある場合には、議論をきちっとしなければいけない。そういう意味で実はあまりいえませんけれども、この2、3週間の過程で、中西さんだとか、ある団体のリーダーといろいろな議論をしながら、東京都の方針を大胆に私は変えたことがあります。自立生活運動というのがここまで成長してきたというのは、あるいは成熟してきたということは頼もしいパートナーができたかなと。もちろん緊張関係はあります。

若干の注文、あるいは課題・期待ということになりますが、知的障害者への対応が不十分ですね。やはり身体障害者中心にみえます。あるいは他機関との連携、例えば就労支援センター、東京都独自で区市町村が実施主体でやっておりますけれども、それから入所施設、通所施設と様々な関係団体があります。そういうところともどんどん連携ができたら良いなと。それから自立生活センターの設置主体である区市町村では若干の警戒心がまだあります。彼らに任せたら理念型に走って、サービスが青天井になるのではないか、というような警戒心があることはちょっと申し上げておきたいと思います。

いずれにしましても、東京都は東京都心身障害者対策協議会を始め、条例で当事者参加を明記しています。それからあらゆる審議会、いっぱいあるのですが、そこで全て当事者を入れております。知的障害者本人、精神障害者ご本人だとか、名前を挙げたら切りがないのですが、東京都の全体の総合計画を決める東京都障害者対策推進協議会、これは東京都の障害者の総合計画、それから障害者施策の基本的方向についていく度も提言をいただいて、それが東京都の方針として昇華されています。

それから例えばケアマネージメントに対する整備検討委員会。福祉の街作り推進協議会。それからちょっと分野が違いますけれども、介護保険を育くむ会では、樋口さんのお仲間が入られたりしています。ちなみに昨年度の正式な会合、交渉を数えたら60回やっておりまして、その他個別に話し合いを入れると大変な数になります。私は所長室開放、山谷の時も所長室は開放、それから部長室も開放してアポ無しでも会うことにしていますので、そういうところでの議論が、実は私たちに逆にいい実践から得た提言になって重みをもってきます。全部受けとめる事はできませんけれども、行政と同じ土俵での建設的議論ができるようになってきたというのが最近の実感でございます。

■塩田

まず始めに支援費の評価ということで申し上げたいと思いますが、東京都の部長さんも言われましたように、支援費制度は障害者の自己選択とか自己決定とかを目指すということで、大変意義深いものであったと思います。課題は山のようにありますけれども、大勢の方のご努力で何とかスタートを切れました。東京都の部長さんからは中途半端な改革といわれましたが、私自身では発展途上にあるのだろうと思っています。坂口厚生大臣がある時の記者会見で支援費の評価を聞かれて、全国の津々浦々にサービスが広がりつつあるということを言ったのですけれども、まさにその通りだろうと思います。

個人的な話しで恐縮ですが、私の甥っ子は知的障害がありまして、京都のパン屋さんに勤めておりますけれども、今年の正月に姉がまいりまして、うちの息子が一人で初めて初詣に行ったと言っておりました。本当はガイドヘルプと一緒に行ったのですが、母親からすれば彼は一人で行ったという事だということで、支援費制度がここまで普及したのだなということを、担当者として実感しました。

支援費制度の最大の問題の一つは、特に在宅の予算措置が制度的に不充分だということでありまして、部長はささやかな増みたいに言われましたが、3割増の予算です。厚生労働省の一般の予算が殆ど伸びていない中での3割増なので、当時の担当者としては大変思いきった予算増だったと思いますが、実際のサービスは6割とか7割伸びてお金が足りないということになったわけであります。皆さんのお力を借りて何とか最悪の事態は乗り越えたわけですが、東京都には大変な迷惑をかけている事はきちんと認識しておりまして、できるだけ早く国と地方自治体との保証金のやり取りのルールを作って、その新しいルールに基づいて1日も早くやりたいと思っています。

財源の観点からだけ議論するという批判をよくされるのですが、例えば家を建てるときに自分のお金、預金がどれだけあるとか、資金がどれだけあるかということ抜きで家をどんな家にするのかと議論しても 全く無意味なように、財源の確保というのはいろいろなことをやる上で本当に大事な要素であると思っています。支援費制度のねらいであります自立とか地域生活という事はこれからも続けて、これを実現するために財源をどう確保するかという事は本当に大事な話です。私はよく支援費制度「しえんひ号」は、本当に乗り心地がよくて形も姿もきれいだけれどもエンジンがいかんせん弱すぎる、ということを言っているのですが、このエンジンの部分をいかに強化するかということが非常に大事な話だと思います。それではどうするのだ、ということで持ち出しているのが介護保険の話しでありまして、介護保険に統合すべきだということで私が発言した事は実は一度もなく、介護保険が持つ優れた理念やシステム、これをいかに支援費の中に組みこむかという立場で問題提起をしていくつもりであります。

幾つか優れた点を既に何人かのシンポジストがおっしゃいましたが、私の立場から見て高齢者の介護保険が優れている事の一つは、市町村の責任がかなりはっきりしていると言う事です。市町村主権ではなくて、市町村主義とか地域主義と言う言葉を行政的には使っておりますが、市町村が責任を持ってサービス提供の計画を作って、その計画に基づいてサービスをきちんと提供していくという仕組みがかなりしっかりしていると思います。また市町村が財源を確保していくという考え方も相当しっかりしていると思います。

それからもう一つ介護保険が優れていると思いますのは、財源を国費と自治体の費用だけではなくて、いろいろな立場の人が保険料という形で持ち寄っている事ですね。保険料を持ち寄るというのが、高齢者の介護が他人事ではなくて、1人1人自分自身の問題であるという事の反映なわけでありまして、これを社会保険方式と呼ぶか共助方式というかいろいろな言い方ができると思いますが、とにかく税金だけではなくて、いろいろなお金を持ち寄って介護保険というシステムを国民みんなで支えようという思想が根っこにあるという事であります。3年間なら3年間ルールを決めて、その間に必要な費用については国も地方自治体も責任を持って財源を確保するということがかなりはっきりしていることであります。

支援費制度目指した理念を本当に実践するためには、こうした介護保険の優れた仕組みの部分を導入する事が私は不可欠だろうと思っています。この支援費制度のいろいろな課題というか弱点を克服する取り組みをしていくと、結果的に高齢者介護保険の優れた制度の部分と共通制度ができるわけです。その共通部分については高齢者の介護保険と、障害者の支援費が同じ基盤に乗って仕組みを作れば良いではないかという事を申し上げているつもりです。共通する部分については共通する仕組み、しかし人生を健やかに終えようとする高齢者の介護と、これから何十年も生きていこうとする障害者の介護が理念もサービスの内容も必ずしも一致しないという事は明らかでありまして、そういう障害者の介護に固有の部分については、それは高齢者の介護とは違った形できちんと制度に組みこまなければならないということだろうと思います。例えば超重度の方が地域で暮らすという意味で、今の高齢者の介護保険の限度額で地域生活が仮に不可能だとすれば、新しい仕組みの中では介護保険でまかなえない部分については、補完的なシステムを、上乗せというか2階建てというのか、そういうものを必ず作らないといけないと思っています。

それから、例えば知的障害者のガイドヘルプのように社会参加のための介護というのがあります。本当は高齢者にもあるのかもしれませんが、人生経験をいろいろされた高齢者と、これから社会にいきる障害者とは違いますから、障害者の方も社会参加のための介護についても何らかの形で制度に位置付けるということがあります。議論はこれから始まるという事でありまして、どういう制度設計をしていくかについては、いろいろな制度設計の仕方がありますので、これはまさに当事者主権ではありませんが、当事者の方が発言をしていただく。そういう発言を聞きながらいろいろな制度設計、デザイン作りをしていくという事になるだろうと思います。その際厚生労働省の案というのもまだないので、いろいろな方々からいろいろな批判をされていますけれども、私自身がどのような観点でこの問題に取り組むかという事でありますけれども、一つは施設から地域への移行を加速するような制度でなければいけないと思いますし、地域で障害者の方が普通に暮らせるような内容のものでなければいけないと思っています。それから2番目に、これは先ほど申し上げましたが、障害者の固有のサービスについては上乗せとか横出しいう言葉が適当かどうかわかりませんが、そういったものについては必ず制度の中に何らかの形で位置付けなければいけないと思っています。

それからもう一つあるのは、今は介護保険との関係だけが主として議論されていますけれども、東京都の部長も言われましたが、障害者の方々が地域で生活していく上では介護だけではなく住まいの問題や就労の問題など、いろいろなものが全てミックスされて基盤が整備されている状況が不可欠だろうと思います。就労については、これはせっかく厚生省と労働省が一緒になったことですし、私の今のパートナーの企画課長は障害者雇用政策のエキスパートでありますし、就労の部分では福祉就労だけではなく一般就労につながる道筋を作りたいと思っています。この関係では小規模作業所の関係、私は去年の8月29日に部長に就任して、その時一番驚いたのが小規模作業所に対する厚生労働省の予算措置の考え方でした。幸いこれは与野党の先生方が非常に理解してくれまして、今の国会で障害者基本法が改正されて、障害者の方の地域での作業の場とか、職業訓練の場について法律で明記して、財政措置まで明記してくれる事になっていまして、障害者の就労の問題については小規模作業所から一般就労まで含めて抜本的に見直しをしていると思っています。

それから住まいの問題では、知的障害者と精神障害者は公営住宅に1人では居れないという話しがありますが、これも私自身が国土交通省の審議官に会って一緒になって考えようと提案しました。これは国土交通省だけで問題を解決しようとできる話ではありませんので、厚生労働省の地域生活支援の取り組みとセットで国土交通省にも何らかの制度の改正をしていただきたいと思っています。それから実は制度の谷間になっている人たちがたくさんいます。例えば高機能自閉症の方とかアスペルガーの方もいらっしゃいますし、精神障害者の方もいらっしゃれば難病の方もいらっしゃいます。仮に介護について、さっき上野先生が言われたユニバーサルなデザインが仮に可能であれば、こうした方々も新しい制度の対象となって、地域生活は少し楽になるのではないかと思っています。

いろいろな介護保険との関係ばかりが突出して議論されているのですが、障害者の地域生活という観点からはいろいろなことを総合的に改革をしなくてはいけないという事でして、これを来年の通常国会にどんどん法律を出して17年度予算に反映をさせたいと思っています。来年の通常国会の法案だからまだ先の話だろうとか、17年度の予算だからこれから先でいいだろうと思われるでしょうが、17年度予算の国の方針を決めるのは6月なんですよね、今年の。よく骨太の財政基本方針というが時々新聞の一面を飾ると思いますけれども、実は次の年の予算というのは実質的に6月に大方針が決まってしまっているのですね。ですから私が8月29日に部長になった時点では今年の予算の骨格は事実上決まっているわけです。そういうわけで6月というのが一人歩きしておりますが、6月までには大きな方向性についてコンセンサスを得たいといっている趣旨はそういう意味でありまして、いろいろ細部は時間をかけて、例えばテーマによっては何年もかけて議論して結論にいく話しもありますが、一体私たちは富士山に登ろうとするのかしないのか、この大きな方向付けは6月までというのが私の気持ちでございます。




■大熊

ありがとうございました。中西さんはまた異なった観点をもっていらっしゃるようですので、この争点がはっきりするような感じで話をして下さい。

■中西

だいぶ踏み込まれて話されたと思います。2階建て制度と具体的に踏み込んでおっしゃられたのだけれども、これをやったところでどっちみち税金になると我々は考えています。支援費の税金で安全ではなかったものが、なぜ2階建てならば税金で安全なのか。そういう意味では義務的経費化という言葉を使うのか、特定財源化という言葉を使うのか、何らかの方法がないとそうは言えないでしょう。社会参加の問題もお金に関わる問題で、障害者の社会参加というのでは東京都では全身性障害で1日8時間の利用が保障されていて、それが高齢者の場合には今のところ0です。この大きな格差を全国で埋められるのかという問題は大きいと思います。

就労の小規模作業所5000ヶ所にお金をつけていくということが新聞にも出ていたのですけれども、これは地域での受け皿の一つで必要なものだとは思います。しかし一般就労をする作業所だけにお金をつけるよというような方向付けをやるのであれば、今までのある意味では親のレスパイトに使われていた作業所、一部は自立生活運動の拠点にもなってきましたが、こういうさまざまな使われ方をしている作業所の特定のものだけが救われる心配はないのかというように思います。

国土交通省の住宅の問題は、おそらく知的・精神の個人住まいを許そうということだろうと思います。これはいいことだと思います。ここは今までネックになっていました。17年度改革には6月からとおっしゃっていたのが、介護保険を6月までに決定しろということをまた迫られているのだと思いますが、このあたりが一番大変な問題ですね。

介護保険もそうですが、障害者計画を市に義務付けていないのですね。国だけには義務付けられているのですが。予算をもとにして5年計画を市に義務付けないで、介護保険の中でどうやるのだと。こういうような基本的な方針がないと、予算をつけるといっても5年後どうなるのという話だと思いますよね。それから当事者参画というのは、国は当事者と話し合っているとして7団体のボス交渉みたいなことをやっているのですが、こういうのはあまり良くなくて、もっとあらゆる場面で当事者の声が聞けるようにする。東京都には知的障害者もケアマネの時は半数くらい入れていただいて、大きな変革を遂げました。国も恐れずに精神・知的を含めて当事者を政策参加させていくべき時代かなと思います。

今回いろいろ調査・アンケートをやりました。55ページにJILの緊急アンケートが載っています。介護保険「反対」に85%、「わからない」に10%、「賛成」に3%。「わからない」というのは、介護保険に入ってもお金がないのではないか、介護保険自体の財政が破綻しているのではないかということで不安。支援費に残ってもきっと支援費に残ったからって塩田さんにいじめられるだろうからこれも不安。どっちも不安だということで「わからない」になってしまっているのですね。非常に正直な感想だと思います。こういう意味では、入りたくない理由で一番多いのは、理念が全く違うものを一緒にするのは難しいのではないかということなわけですね。これは非常にわかりやすい話だと思うのですが、サービスが4時間になってしまうのではないかという不安と並んでトップですよね。

こういうような介護ホームヘルプの現状の不安というものを塩田さんからももっと離してもらえれば、我々の不安は解消されるのでしょうけれど、たった2週間で600名のアンケートが返ってくるほどみんなこの事にはピリピリしています。そのうち560名が反対の方向だということでは、政策立案者としてはここを説得できないと難しいのではないかと思います。

ほかのもう一つの調査で、このネットワークを一緒に主催している高齢協会のみなさんとの調査アンケート、一部をそこに載せてありますけれども、これも明らかな介護保険との違いを提示しています。高齢の場合は1人暮らしが30%、障害の場合は54%が1人暮らししている。親族介護を60%の高齢者が望んでいる。それに対して障害者の方は親と同居していても他人介助を受けたいというのが35%で、親族介助をそのまま受けたいという場合は、これは奥さんでしょうけれども、10%いるくらいです。介助者を入れて自立して暮らしたいというのが90%近くで圧倒的に多い。高齢の方は親族同居で行きたいというのが60%、親族同居でも他人介助でやりたいというのが35%です。そういう意味では、5年後の高齢者はおそらくみんな親族の介助は望まなくなると思いますから、介護保険の将来像としての方向を今から目指していかなければいけないのかなと思います。

そのほかにも社会参加部分での希望は今の高齢者はほとんど持っていないのですね。障害者のほうは80%近くが社会参加をどんどんやりたいといっているということから、今の高齢者は介護保険下では社会参加を望んでも無理なんだと諦めきっているということが言えると思います。諦めないで本当に社会参加を望んでください、こんなにサービスがありますよと、高齢者も社会参加をできるようにしたいというのがわれわれの願いです。そのためにはまず支援費制度というのがきちんと基盤を固めて、こういう立派なサービスシステムに高齢者も入ってきてもらいたいと思います。介護保険にわれわれが入るのではなく、高齢者の方がわれわれの支援費のシステムに乗ってくるべきではないか、基本的な理念制度からいえばそうかなと思います。中村秀一さんと縁の会でやりあったとき、僕はそんな介護保険のような理念の低いものにこの理念の高い支援費制度にいる障害者はとても入る気はしないと言ったら、中村さんは怒っていたのですけれど。そういう意味では彼は制度を作ってきた自負はあるでしょうけれども。やはりこの十数年間の有留さんがおっしゃった運動の成果として、高齢と障害でおおいに格差ができてしまったのですね。それをこれから埋めていくのが塩田さんの務めということでは、この6月までにそれを埋めようというのは大胆過ぎるのではないかと思っています。

■大熊

 ありがとうございました。この余韻が冷めないうちに皆さん他の方がおっしゃった事について一言ずつコメントをしていただけるでしょうか。

■上野

行政の現場にいらっしゃる有留さん、塩田さんは、どちらも非常に具体性のある政策的なお話をなさって、しかもその設計者であるという責任感と自負に満ち満ちておられることがわかりました。両方とも隠し球を持っておられるみたいなのですね。有留さんは何だかここ数日間に大政策転換をなさったとおっしゃるし、塩田さんも6月予算で何か決まりそうだと隠し球が有りそうだしね。中西さんは今それにプレッシャーをおかけになったばっかりなのですね。後半でできれば隠し球をもう少し見せていただいて、展望が見えてくれば嬉しいなと期待しております。


樋口

中西さんの方から問題提起があったところなので、後段はこの介護保険と支援費制度について少し話さなければいけないのかと思いますが、実はまだ高齢者の側はそういう事をしっかり話し合っていない状況ですので、ちょっとつらいかなというのが感想です。


■有留

介護保険については東京都の正式な提言を4月の、たぶん5日くらいに出すと思いますので、あまりしゃべってはいけないのですが、後段の議論の中でエキサイトすれば出るかもしれません。


塩田

6月というのが一人歩きしているのですが、6月は私にとってはスタートラインという認識でありまして、残念ながら隠し球はありません。隠し球はみんなで作るものだと思います。


■中西

なかなか出してくれないのをどうやってしゃべらせるかというのはとっても大変です。僕はそこのところは厚労省の今の問題点かなと思うのは政策設計というところまではわれわれは立ち入らせてはもらえない。これはキャリアが作るものだという伝統を踏んでいるわけでね。それを今回当事者参画というのがどこまで制度設計の中でやらせてもらえるかというのがわれわれの期待です。


■大熊

このことで言うと千葉では昨日10回目のフォーラムがあったのですけれども、全く白紙のところから当事者参画で政策を作ろうという壮大な試みをやっているので、やってできないことはないかなという気もしております。


シンポジウム後半

■大熊

後半は障害者の今後の地域支援についてということで計画しております。その議論が済んでから皆さんからいただいた質問・ご意見を取り入れて行いたいと思っております。まず樋口さんから、主婦労働を前提としない介助サービスとはというあたりから、高齢者の経験から障害者の問題にというように話を展開していただけたらと思います。

■樋口

私たち高齢社会を良くする女性の会が介護保険を推進いたします時に、幾つかのメルクマールになったような、別にこれは会で申し合わせたというほどではありませんが、少なくともかなり重度でも1人暮らしができる方向へ向く保険サービスの内容であるということ。これは中途半端ですけれども方向は目指せるだろうと思います。

もう一つ私たちは親の介護ということが女性の就労を中断させる。その中断させられた雇用条件その他が、貧しい女性の年金や社会保障、個人資産にも結びついてきている。女性の貧しさの悪循環をいやというほど見てきましたので、少なくとも共働きができる介護サービスということが私たちの間の暗黙の了解だったと思います。それが実現したかというと、まだ実現していないと思います。ただパート労働だけは多少継続するようになったと言えると思います。

そして私たちが危惧していたような事が結果として出てまいりました。先ほども上野さんが「家の嫁から社会の嫁へ」とおっしゃってくださいましたけれども、確かに介護報酬だけを見ますと家事援助が大変低く位置付けられているだろうという問題点が幾つかありました。時間あたりの給料で見ましても、レジを打つよりは確かに高い報酬が与えられているかもしれないけれど、ホームヘルプサービスで一家を為していかれるか、一家を為することができなくても、せめて1人暮らしで自立できるかといいますと、勤務形態、それから仕事の継続性、安定性、その他からいってまだまだ1人の女が1人暮らしを保持できる報酬をこのホームヘルプという仕事から得られていません。

多少有償にはなった。ここは上野さんが評価してくださるところですが、これは嫁という名の無償労働、アンペイドワークが、ホームヘルパーという名の半ペイドワークに変わった、と言うことです。これがきちんとペイドワークになっていく仕組みが必要です。誇りを持って働く人々が周りにいなければ、要介護者の誇りも保たれるはずはございません。そういう意味で介護の1番末端で働く、末端という言い方は実はおかしくて末端ではなく先端なのですが、そこで働くホームヘルパーの労働条件をどのように改善していくか、保証していくかがこれからの大事な項目です。そしてこのことが中高年の女性の再就職なども可能にしていくのではないかと思っています。

これからのネットワークという点なのですけれど、今日のことも本当に一つの場だと思っています。これだけ私たちが高齢者の運動をしてきながら、障害者と本当にどのくらいしっかり出会っているかというと、出会っておりません。むしろ私がずいぶん出会ったのは、これもまた1年前を引き合いに出して恐縮ですが、都知事選において障害者の皆様から本当に応援していただいた時です。本当にあれだけ時間をかけて出会ったり話したりしたことは私の人生の中でもあまり無かったなと言うくらい、やはり高齢者は高齢者、障害者は障害者でいたのだと思います。ですから今日のような会を通して、出あって語りあって違いを明らかにし、何が共通点かということを明らかにする事によって、新しいネットワークが生まれるのではないかと思っております。

高齢者の中でも、私の感じでは、やっと女と男が出会い始めているところです。ご存知の通り高齢者の運動は、介護責任を担っている女性の側から介護の社会化を求めること起こりました。もちろん男性にも協力してくれる方はたくさんいらっしゃいましたけれど、しかしある時期には「あれは介護を嫌がっている悪い嫁がわがままで言っている会だ」などとも言われました。その時、これも上野さんがいいだしっぺではないかと思いますけれども、「悪い嫁、みんなでなれば怖くない」これは私が言いました、「出歩く女が世の中変える」、これは彼女が言ったことです。

高齢者社会における家族の現状を見つめた時、日本型福祉の政策というのは、本当は証拠に基づいた政策でなければいけない。そういう意味でいうとエビデンス・ベースド・ポリシーでなければいけないのに、むしろ感情とか伝統とか慣習に基づいた政策であった。私たちは何度も調査を繰り返し、高齢社会はかくの如くもう家族介護だけではできない状況になっているという、まさにエビデンス(証拠)を提供する事によってやっとこの介護政策を変え、そして政策にのせることでやっと男性も変わってきました。

この頃は高齢者団体としてたくさんの団体がでてきましたが、いつも男の方がトップでした。けれども昨年の11月、トップが2人いる高齢協と言います高齢者会連携協議会、51団体が入っているアンブレラ組織でございますが、たまたま二人代表制でお一人の方がご高齢で引退なさいましたので、じゃあ男女共同参画型でと言うので、お一人が堀田力さん、そして私が任じられまして、いま堀田・樋口の男女共同参画型の団体になってきております。これでようやく男性高齢者、女性高齢者が出会う場が公的な場で出てきました。これから高齢男性の生き方の変化なんてことを思いますと、ずいぶん男女が近づいてきたような気がいたします。NPOにいたしましても、ご承知のとおり1万6千からあるNPOの中で女性が主体であったり、女性が代表者であったりするNPOが全体の6割を占めています。その半分しか男性主体のNPOというのがなくて、後に2割が混合型なのですけれども、この頃みておりますと地域社会に定年後の男性がどっと戻ってくる事によって、高齢者障害者に対応する男性のNPOが増えてきております。

そういう男性たちの動きを見ていると大変生き生きとしていて、NPOというのは本当のところ「ニッポン(N)のパパ(P)、おたすけ(O)機構」の頭文字ではないだろうかと思うくらいです。私は高齢社会というのは女と男をつないでいく、本当に結び付けていく、性別役割分業を崩していくということをしみじみ思いました。それと同時に、高齢者となって私自身も三ヵ月車イスの生活を経験いたしましたし、さまざまな障害を持つ可能性が非常に高くなった高齢期を体験する事によって、障害者との出会いも非常に近しいものになってきていると思います。

ですからこれからそういう出会いを繰り返していく事なんですけれども、難しいなと思うのは65歳以上の男女をもし高齢当事者というのならばここで二つにスパッと分れます。要介護当事者という方と、あまりその事を考えない単に年令だけで65歳以上の元気高齢者という事で、もしかしたらこの二つの溝、つまり65歳以上の中でも要介護当事者と元気高齢者ないしそれを目指す人との溝というのは、とても大きいのかもしれません。高齢者当事者の力が弱いのはその辺だと思っています。それをどういうように障害者の方々と連携しながら克服できるかというのが、これからの課題だと思っています。

最後に言いたいのは、この高齢者や障害者、そして子供に対する福祉、そういうものをみんなで自前の地域を作ることに重ねあわせることです。これも私10年前から造語で言っているのですが、「ローカル・コミュニティ」といいます。地域社会と言う事ですけれども、「ローカル」の「ロー」は老人の「老」を書いてください。「カ」は有・良・可の「可」です。「ル」は「留」という字をかきます。漢文の読める人はすぐに分ります。「老可留」で「老人そこに留まるべし」ですから、遠くの収容施設に行くのではなくその地域の中に普通に住んでいくということです。つぎにちょっと発音が合わないので困るのですが、コミュニティの「こ」は子供の「子」と書く。「みゅ」には子供を見るの「見」をあてる。見るということにはお世話をする事もあれば、成長を見守る事もあります。「に」には「新」という字をかいてください。「てぃ」には地域の「地」。「子見新地(こみにち)」で構いません。こういう言ってみれば家族の4世代、5世代同居などというのができない今、人生100年社会を地域社会において、その時その時のニーズを支える形で障害者も零歳児も100歳の高齢者もその地域の中に共住している「ローカル・コミュニティ(老可留・子見新地)」をつくるなかで、障害者の出会いというものも可能ではないかと思っています。以上です。

■大熊

今日は新しい言葉をいろいろ教えていただきましたけれども、エビデンス・ベースド・ポリシー(Evidence Based Policy)というのもこれからはやらせたらいいのではと思います。エビデンス・ベースド・メディシン(Evidence Based Medicine)というのは科学的証拠に基づいた医療という意味ですけれども、これまではABMといってオーソリティ・ベースド・メディシン(Authority Based Medicine)、権威がある人が言ったらそのようになるということでした。政治の方もたぶんいままでそうだったと思います。67ページのところに樋口さん独特の証拠の言葉が書いておりますけれども、「負担負担と騒ぐな男。介護は女が体で負担」とか、それから替え歌なども作りながら、こういう事の証拠を提示しながら樋口さんは世の中を変えていかれたわけです。ローカル・コミュニティというとやはり東京都というような自治体の出番だと思います。施設から地域への移行について政策的にどう進めているか、当事者のニーズをどのように政策に反映させているかなど、有留さんお願いします。

■有留

4ページをお開きください。先ほど国の改革は基盤整備と仕組みの面で中途半端だといった以上は、では東京都は何をやっているのかという事はきちんと言わなければいけないと思います。地方からいらしている方も多いと思うので、まず簡単にご説明させていただきます。まず15年度、一番左の端は先ほど申しあげた支援費制度をどうやって容易に使えるかという仕組み作りです。ケア・マネージメント・システムがないという事だったら、東京都独自で作ってしまいましょうということです。利用援助事業という事で、主として知的障害者などが地域移行をする場合にサービスプランを作成して差し上げるというような事をやって、重度障害者が施設から地域に移行したり、あるいは重複障害者とか、非常に困難なケースについて地域の資源を集めて実現したというような報告書があがってきております。

真ん中が一番大事なところでございまして、本当に地域での自立というのはずっと昔から言われてきたのですけれども、やはり具体的な基盤を整備していくという事で、東京都はいま財政危機にありますが、そのような中でも3年で160億円、300ヶ所3千人分のグループホーム、通所施設を集中的に整備しようということです。通常の補助率というのは国が4分の2、都道府県が4分の1で、後の4分の1が区市町村とか法人の負担になるのですが、これを8分の7の特別補助をしています。国庫補助がない場合、例えばグループホームの整備助成というのは国制度にありません。東京都が単独で8分の7補助、2500万まで補助できますから、2〜300万あればグループホームができるわけです。昭和53年にグループホーム制度を作りまして、ようやく今年で定員1400人になりました。これを後2年で2200〜2300人に持っていこうとしています。とにかくいくら能書きを言っても選べるだけの基盤を作らなければいけないと言うことで、東京都は必死の努力をしております。その財源をどう生み出していくのかということは後でお話します。

それから在宅サービスの面では、ホームヘルプサービス、前年度比約40%増ということでやりました。東京都では都内の区市町村で大変な伸びを示したけれども、東京都の責任はきちんと果たせます。東京都の責任分は、実績どおり全額区市町村に補助します。

それから都型ショートステイといって、聞いた事がないと思うのですけれども、ショートステイというのはいままでは泊まりを伴うものとして入所施設や病院だけに認められていたのです。それを通所施設、来年から国も通所施設でやっていくということでございますけれども、あるいはグループホーム併設も可能です。4人〜7人のところでもう1人か2人のショートステイをやりましょうということです。簡単な事です。運営主体はしたがって社会福祉法人だけではなくてNPOでも構いません。それから株式会社でもいいですよということにしました。グループホームも同様です。

じゃあその財源はというと、これは非常に大事な話です。そこで私どもが考えたのが、都立施設の民間委譲を中心とした、入所施設の改革です。都立施設は、特に最重度障害者を中心に都立が受け持ってきたわけですが、コストが非常に高い。だいたい1人平均すると1700〜1800万円かかり、その8割が人件費、1割が建物維持管理費、そして1割がお世話をする費用処遇費という形になっています。東京都の職員の1400人ぐらいが都立入所施設・通所施設で働いていてその人たちの職場を奪う事にはなるのですが、時間をかけてやるので急にクビですよという形にはなりませんけれども、そういう高コスト体質を改善するために将来は原則として都立施設がなくなります。

そういう事で、例えばここ5年間で都立の入所施設を5ヶ所、支部にある東京都が運営する通所施設11ヶ所を民間に委譲するとどうなるかというと、平年度化すると年間でだいたい40億円くらい浮きます。しかし節減のための民間委譲ではありません。先ほど申しあげたような高コスト体質ですから、民間に委譲して熱意があって柔軟な運営ができると。民間の方が今は進んでいる時代ですから、サービスの向上と財政効果を両立させるという事です。今まで歴代知事が誰も手をつけてこなかったこの聖域に切り込んだというのが東京都の対応です。

それから民間社会福祉施設に対して、非常に手厚い、障害者施設だけで年間100億円もの独自補助を実施しています。ですから都内の民間、あるいは都外の都民利用施設は、支援費に加えてサービス補償という独自補助を受けております。これを今までちんたらやっている所も、地域移行だとか先駆的に努力している所も画一的に補助してきた。それを努力した所、例えばどれだけ地域移行をさせたのか、どれだけ強度行動障害とか処遇の難しい人を受けいれたのか、そういうことをものさしにして、努力に応じた補助に切り替えていこうという再構築をしました。

それから施設そのもののコンセプトを変えることです。通所施設も含めて「入れば一生」という生活施設、これを回転型、つまり地域社会に帰るための訓練の場に変えます。それから同時に一つの一つの地域の中で、塀の中で入所者の支援だけをやっているという事ではなく、地域の障害者に対する支援機能を持たせましょうという事で、デイリー・サービス、ショートステイ、それから自立支援センターを作ろうというようなこれからの計画もあります。それからグループホームをつくって施設のノウハウで運営していくというような事をやります。

この三本柱で東京都は障害者の地域生活を具体的に実現していこうと考えております。これをさらに推進するために、その真ん中の16年度に向けた施策でグループホーム設置促進事業本部というのを作って、トップセールスから、われわれレベルは区市町村長や法人を、悉皆訪問をしたりして、今の1400人を2200〜2300人に大幅に増設していこうとしています。

それから株式会社の参入です。これは日本中どこでもやっていないと思います。補助率は2分の1と低いのですが、株式会社の参入を狙う。これからは社会福祉法人、NPO、株式会社がサービス競争する時代です。これは既に高齢者のグループホームで行っています。それから東京都独自の認証保育所というのがありますね。認可と無認可で全くの単独事業で駅前で零歳児を含めて13時間以上保育する場合には、きちんと補助金を流していこうというような事をやっています。そこで民間企業が進出して質の高いサービスを提供しています。これからはサービス競争の時代です。理念も大切ですが、いいサービスをくれればそれにふさわしい対価をさしあげましょうというような事です。

それであと大熊先生のペーパーの中に都外施設について90年の段階で厳しいご批判を受けていますので、それについて一度は皆さんの前で言わないといけないと約束をしております。現在の状況を申しあげます。現在東京都は入所施設79ヶ所を持っております。うち都内が38ヶ所、都外が41ヶ所。定員が約5800人くらいなのですが、都内に2500人くらい、都外の方がちょっと多くて、3200〜3300人。定員のベースでいきますと、都内が44%、都外が56%となっております。

なぜこういうことをしたのかということなのですが、私は実は児童相談センターというところで入所調整をやっておりました。千数百人の入所待機があり、例えば母子心中を図りボランティアが見張っていないと危ないというケースも入れられないという仕事を二年やりました。やはり土地が極めて高い。都立施設を作ると1ヶ所の土地代だけで50億くらいかかります。そういう中で学校や公園を都外に作る自治体はあるのかというようなご批判を受けたのですが、学校や公園に反対する人はいないですね。しかし施設については今でも杉並区で反対運動が起こっているし、ほかの所でも30人定員の民間施設を多摩の山の中に作るのに10年かかりました。そういう状況の中で行政責任を果たすためにやらざるを得なかったと。当時の地域生活の条件というのは極めて不充分で、国のグループホーム制度は平成元年度、東京都独自のグループホームも当時たった200人分しかありませんでした。それからホームヘルプなどもほとんど不備だというような状況でございまして、親亡き後は施設というような背景があった事はご承知おき頂きたいと思います。

ただじゃあそれをどう評価するか、これからどうしていくかということが問題になってくるかと思います。一般論で言えば当時の状況を踏まえないで今の視点で過去の事を全否定するというのはいかがなものかというのもあるのですが、大熊先生はさすが90年にそういうご批判をされているので受けとめなくてはいけない。これも当事者参加の推進協議会の提言の中で、もう都外施設は辞めるべきだという提言を受けて、平成8年で私たちはやめました。

豊な自然、広大な敷地、町ぐるみで温かく迎えられて地域交流もやっているというような現状でもいい面はあります。それから生活習慣病とか青年期特有の行動障害、それから非行ケースなども含めて心身の改善効果が高いのです。ですから都外施設イコール収容所列島みたいな発想ではないのです。利用者・保護者が納得ずくで利用するなら私は基本的に問題ないのじゃないかと思っております。ただやはり今の時代で地域で移行させるには東京に比べれば障害が多い事は確かです。就労の場がない、もしくはほとんどない。通所の場が少ない。地方なので家賃は安いのですが、東京都のような独自加算がないので、住む場やグループホームなどがあっても県民優先という事でなかなかできない。

ある地方の大型コロニーを見てまいりました。そこは施設解体宣言をした所なのですが、そういう状況の中でどうやっているかというと、確かに施設の周りにいっぱいグループホームを作ってます。JRの駅からバスで1時間半くらいかかる新興住宅街で、コンビニくらいしか商店がありません。そこで昼間は何をしているのかというと、施設で巡回バスをまわして入所施設に通っているのですね。それを私は批判しません。それはある県の地域実態に応じた方式です。でも東京は違いますね。東京は本当に地域の中で暮らせる。家賃は高いというハンデはありますけれども、就業の場、通う場、あるいは地域社会そのものがあります。そういう中で暮らせるという事で、今後の方向に入っていきますけれども、これはあくまで私見ということになりますが、やはり長期的には縮小廃止の方向に持っていくべきだと思います。

でもこれはせっかくの貴重な社会資源ですから、ある県では県民のための通所施設に使いたい。大いに結構じゃないですか。その代わり今の入所者を東京都の独自制度である重度グループホームに、非常に手厚い体制で加算をしております。そこで都内の重度グループホーム2ヶ所に7づつ計14人を移して県のニーズに対応していく、あるいは高齢者施設に使うことなどで施設の縮小廃止を出していくと。

それからもう一つは一番大事な、利用者が選択できる方策をどう実現していくかです。それを先ほど以来申しあげている都内におけるグループホームの大幅な増設が大前提です。今グループホーム数が伸びてようやく入所者1400人になりました。これを3千人、4千人、5千人という規模に持ち上げていくことが大前提です。来年度からはもっと具体的に都外施設での東京都独自の自活訓練事業を実施します。アパートの借上げ経費などを補助したりする。それから、訓練したら都内の新しいタイプの体験型グループホーム、これは回転するグループホームで専門の生活支援ワーカーをおいて、専門的な支援を行うということで、ここで何ヶ月間か訓練をして、今度は出身地域、出身区市町村のグループホームに戻していこうというような、新しいタイプの体験型グループホームというのを来年度から新規事業として立ち上げます。こういう取り組みの中で長い時間はかかると思いますが、戻れるための基盤および仕組みの両面で東京都としては、彼らを希望すればそのままそこに戻ってその県で就職したり生活しても構いませんけれども、希望する方は戻れることに力を傾けていきたいと考えています。

■大熊

お尋ねをしてから何ヶ月かぶりに答えをいただいたのが嬉しいのですけれども、今更ながらこの1990年時点で都外施設は29だったのが、今のお話だと41になっているということにかなり愕然としております。62ページを見ていただきたいのですけれども、これは知的障害の施設ではなく、精神病院についての人口1000人あたりのベッド数についての国際比較なのですけれども、どこの国でも1960年ごろから街の中へといったのに、日本だけが増えていった。どこの国でも地域の人たちが無理解であるということと偏見を持っているということは同じで、やはり行政の人たちがどれほどの熱意と哲学を持ってそれをやっていったかという違いがあるのではないかな、と思います。これで知的障害に付いてグラフを書いてもこれによく似たようになります。このことをお伝えしたいと思います。でもきちんと調べてくださいましてありがとうございました。それではこの次は上野さんお願いします。

■上野

有留さんのお話を聞きながら、なるほど制度の設計者というのはこんなふうに考えるのか、と思いながら聞いていたのですが、私の発想の源というのは、あくまでユーザーとワーカーの立場です。私が中西さんと一緒に組んで学んだ一番大きいことは、運動と事業の一体化ということだったんですね。有留さんはずいぶん挑発的なことをおっしゃるかたで、私よりすごいなと思うんですが、「運動って無責任でいいね、言いっぱなしで」とか言うのですが、なるほど私はずっと女性運動をやってきましたが、女性運動はその事業化がうまくいっておりません。女の運動の中で事業化が成功したのはたった一つ、生協なんですけれども、生協は悪い例です。はっきりいって事業に運動が従属し、事業の主導権を男が握ってしまった。そういう悪い例で、そうすると事業を運動に従属させるという形で一体化させるという事がいかに必要かという事を考えたときに、「よし希望は介護市民事業体だ」と。わたしはNPOという言葉をあまり使いません。有留さんは、先ほどこれからは福祉法人、NPO、株式会社が競争する競い合いの時代だ、いいサービス提供したら評価したいとおっしゃったんですが、私は「ピキッ」と「誰が評価するんだよ」と思いました。東京都なんかに評価されたくないと。

ユーザーにいかに権利と金を配分するかという問題だと思っているんですが、そうするとこの、福祉法人、NPO、株式会社の三つの中で、NPOが生き延びられるための条件はなにか。ここに生き延びてもらいたいと。まず第一にどう考えても、サービスのクオリティでいうとNPOが勝つ。現場のニーズに最も近い所にいる人たちの提供するサービスのクオリティが必ずやユーザーに選んでもらえる。これがまず第一の条件です。二つ目には私が実際に調査研究をやった上ですが、経営効率の上ではっきり言ってNPOが勝つ。行政系の法人は1時間あたりのサービス提供のコストが800%、株式会社が300%、NPOが200%という結果がきっちり出ています。エビデンスベースドです。経営効率でも勝てる。

それから三つ目に何が大事かというと、ワーカーとしてどの働き方を選ぶのかと言う時に、自分が納得できる労働条件がどこでだったら持てるか、自分が口を出せる経営の場で働けるのが一番だと。どうもこういう障害者の団体ですと、中西さんやっぱりユーザーだから、ここに介助者の方がたくさんいらっしゃるでしょ、介助者の方たちにちゃんと食える労働条件を確保できるのかということを考えなくてはいけない。そこで私は介護市民事業体というものを研究しました。これをNPOと呼びたくないのは、日本ではNPOをNPO法に言う法人格を持ったもののみを指すかのように使われているからで、NPOになるとどういう具合の悪いことが起きるかというと、法律が定款を決めろ、理事長を決めろ、理事会を作れ、雇用関係を作れとやっている。気がつけばどこかで見た景色。株式会社とそっくりなんですよ。そしてNPOになると市民運動の時代よりも男が元気付くとはっきり分ったんです。なぜかというとオヤジがよく知っている組織、オヤジのノウハウの生きる組織になるからです。本当は組織の作り方だってこんなのをおかしいよという事を私たちはずっと言ってきたので、そうじゃないような納得のできる働き方という意味でいうと、私は例えば介護市民事業体の中で、福祉ワーカーズコレクティヴという自分たちで経営に参画しながら自分たちで納得のできる働き方を作り出す女の人たちの団体といっしょに共同研究をやってきました。

 ただし問題は、この人たちはボランティアから出発していることです。有留さんはこれからは民間委譲だとおっしゃった。私はこういう市民事業体にどんどん委譲していただきたいが、この民間委譲に待ち受けている罠がある。これを前門のトラ、後門の狼といっています。前門のトラは何かというと、安上がりボランティア団体が要するに使い捨てられるということですね。もう一つの後門の狼とは何かというと、既得権と利権を持った自治体の行政の御用商人化ですね。ですからこういった危険が待ち受けている中で、どうやって福祉法人や株式会社と競争をしながらNPOが勝ち抜いていかなければいけないかということで、最終的にはユーザーに選んでもらわなければいけないということが出てくるわけです。

そこでとても大事なのは、家族介護が1番というこの考え方を捨ててもらうしかないと思うのです。先ほど中西さんの出されたデータだと、家族介助が欲しいというのは高齢者がいまでもそうおもっている。でもこれははっきりいって経験がないからで、家族の会ごとヘルパーのような専門化の介護と両方を受けて比べてみたら、私は今までこんなに質の悪い家族の介護を受任していたのかと本人たちが気が付くに違いないのです。家族介護が1番だという神話は見る見るうちに崩れるのは時間の問題だろうかと思うのですが、そこで提供される社会的に責任のあるケアというサービスを、きちんとした評価と報酬の伴う労働に変えていくということがどうしても必要なのです。そうするとやはりここでは、いま介護保険の中では生活支援、むかしは家事支援といっていました、それから身体介護、これが二本立てになって料金格差が大きいです。このもとにあるのは家事なら誰でもできるだろう、女なら何もしなくてもできるだろう、それから家事を提供できる資源は無尽蔵だろうという誤った考え方があるからなんですよね。この考え方を見直して、残ったものをあくまでもこの二本立てを一本化していく、廃止していって欲しいということを言い続けていかなければならないし、そのためには何が生活支援で何が身体介護かなんてことをグチャグチャ行政に言われるよりも、現場のヘルパーの裁量権というものをもっと大きくしていかなければいけないと思うのです。

私が一緒にやっている福祉ワーカーズコレクティブの担い手の人たちは、50代から60代のおばさんがた、この不況期でどこにも行き場のないおばさん方です。このおばさん方は自分たちが待ったなし介護世代だから、自分たちのためにやっているけれども、いずれは自分たちが要介護者になった時に使いたいと思っている。それはいつですかと聞くと、いま50代の人が要介護者になるのはいまから30年後の80代と考えましょうよと。だったら30年後にあなたがいまやっているこの事業体は生き延びていますかねと聞くんですよ。もしその時になくなっていたら彼女たちこういうんですよ。私が使いたいサービスを私がいま提供しているんですというんです。でも30年後私が使いたくなったときにそのサービスがなくなったらどうします?これをやらずぶったくりといいます。じゃあそのためにはどうするか。30年持つ経営を考えようよといったら、これは樋口さんと同じで、だったら30歳若いといったら20代から30代のシングルが食える労働、誇りを持って続けられる労働にしましょうと。ここに介助者の方がずいぶんいらっしゃるけれど、介助者は自分が当事者じゃないと思って遠慮してらっしゃるかもしれない。でも介助当事者ですよ、立派な。介助当事者という当事者性だってあるのだから、そういう人たちがちゃんと誇りを持って続けられる労働というのを考えていかなければいけない。

最終的には何が問題か。ちょっと一つだけこういうエピソードをお話して終わりたいと思います。私がこういう話を経営者団体でいたしますと、オヤジの集まりです、散々脅かします。こんなふうに介護の常識は変わったよと。そうすると彼らが最後に決まっていうセリフがあります。「やっぱり最後は金ですな」。私はそれを聞くたびに「バカもん。オヤジという病気は死ぬまで治らんわい」と思うのです。「何かというと金さえ出せばクオリティの高いサービスが買えると思うか、バカものめ」と。そんなことはありません。それは実際に介助を行っている現場の方は誰でもよく知っている。現場のニーズに最も近い所にいる人でなければ要介護当事者にとって一番欲しいサービスを提供することなんかできません。それはお金を出せば高いクオリティが供給されるというような市場淘汰の原則には必ずしも従わない、そういう世界なんです。ですから私たちは自分が安心していつでも要介護者になれるために、そのためにこそ運動と事業の一体化、つまり信頼でき本当に頼りになる介助サービスを、安定して供給できるような仕組みを作っていかなければいけない。それをどうしても言いたいと思います。ありがとう。

■大熊

ありがとうございました。せっかくですから介助者の方、2、3人前に出てきてくれますか。どれくらいのお給料で生活が成り立っているかどうか。

■介助者

時給で1200円くらいです。保険・保証はありません。

■中西

彼は非常勤の介助者です。うちの団体には400人の非常勤がいて、常勤が20名います。常勤の介助者は25万以上の給料を取っていますので、その人たちは生活が可能な範疇に入っていて、社会保険も全部入っています。

■大熊

 例外的に私が知っているのは秋田県の鷹巣という町で、役場の人と同じ給料を保証し、そのほかにも上乗せ横出しとか個室とか目いっぱいやっているんですけれども、一般財源の3%くらいを出すとそれができているということなので、実はそれほど高い目の玉がひっくりかえるようなことではないお金をケチケチしているために、いろいろな悲惨なことが起きているのかなと思ってます。

■有留

上野さんに反論させていただきます。行政に評価されたくないよ、というのは当然です。第3者評価システムというのを既に東京都は15年度から本格実施していまして、誰がやるかというとコンサル会社とか調査会社とか福祉系の団体がやりますが、形態別に言うと株式会社とかNPOそのものとか中間法人とか、当然当事者のNPOも入り、自由に選べることになっています。

サービスの質の問題ですが、安かろう悪かろうと言うことは考えておりません。資料の14ぺーじをご覧いただきたいと思います。民間委譲でどうするか。サービス水準は落としません。例えば最重度障害者施設、独自の加算で利用者1人に対し1職員でやっています。ところが公務員の悪い所は80人に対して80人雇うんだと。ところが繁忙時間帯だとか、介助の厳しい忙しいときというのは時間帯が1日の中で限られているのですね。そういう時には非常勤の職員。それから日中活動なんかは、専門性の高い音楽療法とか、非常勤で質の高い人がたくさんいるわけです。ですから80対80の体制が、80対100とか、80対120にできるというのが東京都の民間委譲でございます。

ちなみNPOが一番サービスがいい。私はたまたま山谷のNPOと議論をしながら今までつきあってきて、はじめは運動団体、次ボランティア団体、いまはNPOですが、当時売上年間500万、飲むたび私が全部持って貧乏になっていきましたけれども、向こうはどんどん豊かになって今売上3億5000万になってきました。けれども問題なのはその500万の時代に、奴隷労働、カリスマ的なリーダーがいて運動体的な領域を抜け出せないものですから、例えばナンバー2、ナンバー3になるべき人が倒れてしまったり亡くなったりしました。そういうことが無いように私どもはきちんとしたお金を、注文をつけないサービス水準の成果だけもらえればいいパッケージで出すといったような発想をしていると述べさせていただきました。

■大熊

それでは今度は塩田さんの番ですが、政策過程に当事者の意向をどのように反映させるか、介護保険と支援費制度の統合論の中で当事者のニーズをどのように生かしていくのかという課題が事務局から与えられています。

■塩田

一つの法律を作ったり制度を作ったりする営みは、これまで福祉分野であれば厚生労働省で立案をして、審議会にかけて了解をしてもらって、与党に根回しをして、仮に野党にどんな反対があろうとも、賛成多数で原案どうりに作るというプロセスだったと思います。けれども今は世の中が非常に多様化して複雑化しまして、多分官僚とか一つの役所が単線で問題を解決できるという時代というのはもう終わっているのだろうと思います。介護保険法も厚生省も頑張ったようですが、さっきから出ているように一万人の市民委員会の後押しとか、いろいろな応援とか推進力とかが出てきた法律ですし、そういった流れの先駆けだったのだろうと思います。

 法律を作るというのはいまだにほとんどが政府提案の法律ですが、ようやく議員立法も増えてきてまして、いま私たちが関わっている障害者基本法も今回議員立法で改正案が出ますが、その中には非常に優れた要素が、例えば私たちが各省折衝でやっていたのではまず実現しない要素が幾つかは含まれていますね。例えばさっき話題になった市町村が障害者計画を作るのを義務付けることが法案に盛り込まれていますし、前半で申しあげた小規模作業所の財政措置を法律に書くなんてことは,霞ヶ関の行政システムではできないような法案の中身だろうと思います。

 これからやはり多様なやり方で一つの法理や制度を作っていくことになると思います。少し話が外れますが、いま介護保険との関係でいろいろ議論をしているのですが、これから私たちがやろうとしていることの中に、発達障害者の支援をする新しい制度を作ろうというのがあるのですが、それは高機能自閉症の人とかいわゆる今までの知的障害者福祉法とか身体障害者福祉法とか精神保険福祉法では真正面から取り組まれなかったテーマになるのですが、実はこの新しい制度を作るのに、学識経験者とか実践をしている人を20人くらい集めるだけではなく、文部科学省の役人もきてもらい、旧労働省の人から省内の母子保険課の人、それともう一つミソなんですが、国会議員に最初から入ってもらっていろいろと議論して、その結論を法律につなげたり、17年度の予算案につなげるようなチャレンジをやっております。

 それから介護保険との関係では中西さんにボス交渉と言われましたが、8団体の人とも週1回勉強会をしております。これもおそらく介護保険との関係だけではなく、厚生労働省の政策決定に大きな影響を与えるし、必ずその成果が政策に反映することになると思います。それから今日のようなシンポジウムでいろいろといっていただくのも大変参考になりますし、四六時中は困るのですが時たま厚生労働省を取り囲んで要求をされることも、いろいろな問題提起になると思います。

 それから介護保険との関係の議論がこれからどう進むかについてですが、私自身は障害者の立場に立って障害者の目線でこれからの議論に望みたいと思っています。そしてこの介護保険との関係での最大の当事者が障害者の方々であることは間違いないのですが、実は介護保険との関係では関係する当事者といっていいのか、他にいっぱいいるわけでありまして、まずサービス提供の現場の責任者になる東京都とか都道府県の方々とか、さらには一番大変なのは市町村の方々ですね。こういう方々もまだ実は厚生労働省自身がしっかりした決算を出していませんので、その方々も面食らっていて、いまもいまだに意見が分かれています。その他にサービスを提供される方々、これもいろいろな立場の方がおられます。

 それと最大のハードルと思われるのは、財源の負担をすることになるであろう経済界の方とか医療保険者の方々ですね。この方々をいかに説得したらいいだろうか、ということにはいつも頭を痛めています。明らかに彼らは負担が増えますので、彼らもこういう障害者福祉こそ税金、自分たちで払っている法人税とか消費税の中でやるべきだと主張していますので、この人たちの説得は大変難儀を極めると思います。

 そして何よりも1人1人の国民の人が、仮に20歳から保険料を負担していただくことになれば、本当にそんな負担ができるのか、その必要性があるのかなど、とにかくこれからいろいろな立場の人のいろいろな観点から物事を考えている方々と話し合いをして、全員のコンセンサスを得るということが新しい法律とか制度を作る上で不可欠ということでございます。ですから厚生労働省だけで決められる話ではないわけで、私たちとしては今いろいろな検討会を三つ四つとやってますし、社会保証審議会の障害者部会という公的な機関でも議論していただいていますし、そういう議論を通じてグランドデザインというかデッサンを示さないと分らないので、その作業を今一生懸命やってます。

6月までにはどんなデザインなのかを明らかにして、そのデザインに基づいてさっきいった関係の方々がどういうご意見を持つのかということになるわけです。仮に障害者の方々だけでなく、その他の大勢の関係の方々もこれでいいじゃないかということになって、ようやく法律案というのを作れるのであって、その法立案の形になるのが来年の1月とか2月になるなるわけでありまして、それからさらに国家で審議して、今の年金法もいろいろな議論があるように、仮に障害者と支援費制度を見なおすような法案が出たとしても、かなり大きな社会的テーマですから、おそらく国家でも長い審議をしなくてはいけないと思います。

 仮にその法律が通っても、実際に新しい制度に移行するまでにはまた数年の準備期間が必要ですし、有留さんがおっしゃっているような基盤整備をする時間も必要ですし、新しい制度に移行するまでもまだまだ道程が遠くてハードルが高いということであります。6月、6月と申しあげておるのは6月には少しは厚生労働省のグランドデザインのようなものがお示しできると思うからです。仮にそのグランドデザインが自分たちが望む方向としていいということになれば、みんなでそのグランドデザインに到達するために、登山にたとえると、じゃあいつ山頂を目指すのか、どんな装備で行くんだとか、どんなルートを通って行くんだとか、そういうのをみんなで議論して行こうということを申しあげているつもりです。

 その介護保険との関係で、厚生労働省の障害保険支部の基本的視点はきちんと申しあげておかなければならないので、繰り返しになりますが、私たちの基本的視点は障害者の自立と地域生活支援にプラスになる制度が作れるかどうか、これに尽きております。その観点で高齢者介護と障害者介護は、人生経験を終えてこれから老後にはいる人の介護と、これから社会人になり長い長い人生を歩もうとする人の介護とは目的も手法も違うわけですで、高齢者介護と共通の部分の所は共通のルールですが、違うところは違ったルールを適用するということに当然なるわけであります。ですから重度の人が今の介護保険、新しい制度でサービスが充分得られず地域生活が不可能であれば、補完するシステムを考えるということだし、障害者の社会参加のための介護については横出しになるのか、ちゃんとした仕組みとして位置付けるということであります。

 それから制度の移行には十分な準備期間がいるし、基盤整備の必要が当然あるということであります。仮に介護保険とのルールを共通部分は一緒にしようといった場合、何が共通ルールかというところなんですが、そこは1割負担の話と、保険料の話です。これは介護保険制度の骨格となる基本ルールですので、ルールはルールとしてこれでみんなで行けるのかどうかなど、しっかり議論していただきたいと思います。しかしこれは原理原則なので、低所得の場合には、ルールには例外というのがありますから、緩和措置などは必ず講じられます。具体的にどういう緩和措置になるかというのかは、グランドデザインを提示した後の議論でありますので、それは厚生労働省が決めるというよりかは、最終的にはいろいろな世論を踏まえ、国会の議論を踏まえて、国民の代表である国会が決めるということになると思います。

 繰り返し申しあげますが、介護との関係だけを私たちが6月までにグランドデザインとして出そうとしているのではなくて、就労と住まいと制度から取り残された人たちへの対策、その全てをパッケージを何らかの形をお示しして、そのパッケージに向かって行こうというコンセンサスが得られるならば6月までに議論のスタートラインに立てるということを申しあげているわけでありまして、いまはスタートラインに立つまでの助走期間の前で、皆様もそうですし私たちも非常に悩みながらいろいろなことをやっている段階です。もう少し待っていただければ、それなりのデザインはお示しできるのではないかと思います。

 それから厚生労働省全体の発想としては、障害者も高齢者も子供も含めて地域福祉をどう取り戻すかという発想で議論をしているつもりであります。これはある市長さんから私自身も直接聞いたのですが、地域福祉計画を作っておられるんだそうですけれども、それは高齢者が今まで中心だったんでしょうが、障害者も高齢者も児童・子供も含めて、その自分の障害者地域作業所の中の地域福祉計画を本気で作っている中で、障害者福祉をどうしたらいいのかが具体的に見え出したとおっしゃっておりました。ですから最終ゴールは障害者だけを目指しているわけではなくて、高齢者も含めて、あるいは難病の方々の介護、あるいは40才で脳卒中で倒れて介護が必要になった人、あるいは病院から退院して社会復帰するまでの間に介護が必要な人、いまの障害者福祉法、身体障害者福祉法とか、知的障害者福祉法とか、対象にならない人たちも含めて、地域全体で支える体制をどう作るかという観点から、厚生労働省は議論をするつもりです。いずれにしてももう少し待っていただきたい。中西さんたちとも議論していますし、そういう全体像を見てぜひみなさんで議論していただいて、その議論を私たちのほうに返してただいて、あっちに行ったりこっちに行ったりしながらゴールに到達することになると思うので、よろしくお願いします。

 最後に申しあげたいのは障害者福祉の取り組みが樋口先生がおっしゃったローカル・コミュニティを変えるという、その発想でぜひやっていただきたいと思います。ありがとうございました。

■大熊

グランドデザインの話が出たところで中西さんはこう考えるという話と、これからの知的・精神・高齢・患者・女性運動の自立生活運動との連携という二つの話題についてお願いします。

■中西

今日は論客ぞろいで話を聞いていて面白いのだけれど、まとめるのはなかなか難しいだろうと思います。まず塩田さんが言われたことから話しておきたいとおもいます。6月にグランドデザインをということなので、そこで完全に決定せずに入るかはいらないかその後で決めてもいいんだよというニュアンスのように聞こえたと思います。そこで今いわれている統合で一番難しい利用料の支払いの問題ですけれども、介護保険では93%の人が払っていますけれども、障害者のほうは77%払っていない。それだけ低所得者が多いとか、今の支援費制度は負担を迫らない制度になっているわけですね。

それで高齢者の中で53.1%は払っていても負担に感じていない、介護保険の月一万程度は負担に感じていないという。結局収入のある人が主だということです。障害者のほうは66%の払っている人が負担に感じているという違いがあるわけです。介護保険でこれを適用してやった場合、もっと多くの障害者が負担に感じると思います。

それからケアマネージャーがケアプランを作るということに関しては、高齢者はまだ家族が4割もケアプラン作りを本人に関係なくやっちゃっているわけですね。家族の都合でデイケアに行ってください、この日は家族みんなで遊びに行きたいからというような、家族の都合でケアプランが決められていると。障害者のほうは8割が自分でケアプランを決めている。こういうように自立どのレベルが格段に障害者のほうが高いので、ここの高齢者のエンパワメントを何とかしなくてはいけない。われわれが同じレベルに入るには、同じレベルの要求を高齢もやってもらわなくては、サービスレベルの統一というのはむずかしいわけです。「高齢の方がいいですよ、ケアプランをみんな作ってもらったほうが楽ですから」とか「家族にお願いしたいのがわれわれの希望だ」と言われてしまったら、われわれは一緒にその家には住めないわけです。

そういう意味ではわれわれのニーズベースでも統一しなくてはいけない。そのために樋口恵子さんをお呼びして、高齢者のエンパワメントシステムをもっとできないかと思っているわけです。この夏にもAARPというアメリカの高齢者団体に研修に行こうと思っているわけですけれども、これは組織運営で2500万の会員をどうやって組織するのだろうか、それからその会員システムはどうなっているのか、それから2500万票という票をもっている組織と言うのはどういうようにロビー活動をして政府の政策を動かすのだろうか、地方レベルはどうなっているのだろうかなどを見てみたい。そのあたりはまだ200ヶ所ではあるけれども全国3000ヶ所を目指している自立生活センターとしては、全国の会員のシステムを作ることとか、ロビー活動のこととかは考えておかなければいけないターゲットだと思うのです。

それから『当事者主権』の中で僕は最後に自己消滅系のシステムと書いたのですけれども、そのあたりは有留さんなんかにはまだ理解されていないのか、われわれは運動体であり事業体である。でも事業体というのを最終ゴールまでひきずっていくのかというと、われわれは全ての市民と同じように障害者は社会参加でき、アクセスが良くなり、そして介助が普通に受けられ、そして地域の中で学校にも普通に行け、就労も問題なくなるというようになってくれば、当事者運動というのは解散しても大丈夫なんですね。そういう意味では当事者運動というのは、今はどうしても必要な時期です。これは患者運動も、高齢者も当事者運動をもっと盛んにしていって、ニーズを社会に訴えていかないといけない。社会の99%は、障害者の支援費の介護保険への組み込みなんて問題があるなんていうのは知らないわけですよね。こういう問題があったのかなどと昨日も言われましたけども、そういうレベルなんですよね。NHKの報道局の中ですらそうなんですから。ですからわれわれとしてはもっとそれを伝えていかなければいけない段階にあります。

それからダイレクトペイメントというようなことを提案しているのは、今の事業所ベース、自立生活センターがベースになっているとどうしても介助者というのは自立生活センターの顔色をうかがってしまう。利用者の顔色をうかがってくれない。中間的な組織があるので、そこのご機嫌伺いをしてしまうという問題です。ですからそこで当事者が介助者に給料を直接払えば、当事者の顔色を伺う以外はない。そういう意味ではもっと当事者に近い、もっといいサービスができる。そうするとどうなるかというと、自立生活センターにお金が入らなくて倒産していくということになるわけですけれど、それだけ自分でセルフマネージドケアができて、地域で暮らしていける力をみんなが身に付ければ、高齢者も障害者ももっと社会の中での個々人の意思を表明して生きていけるんじゃないかと、われわれはそう思っています。

そして今介護保険の6月の問題が出てきているけれども、支援費制度は今やったばかりでまだ施行調査もできていないのに、いったどうやって介護保険の話をするんだと。介護保険でも今5年くらい立ってようやくどういうように使われるかがわかってきた。高齢の調査でもようやく使い方がわかってきたというレベルですね。障害者の方はいまホームヘルプサービスを権利として自分は使っているんだという人が8割いるわけですよね。ところが高齢の方にはそういう意識はまるでない。ようやく使い始めて利用者の権利というようなところにはとてもいっていないというのが実状です。それをわれわれは変えていきたい。変えていくためにはわれわれ自身が65さいの当事者にならなくてはいけないんですけれども、日本の自立生活運動のリーダーもそろそろその時期には、5年後にはそういうところに突入しているから、当事者であり障害者であるというところで、もっと過激な高齢者運動が展開されるのではないかと思っています。


質疑

■大熊

有留さんに「東京都は精神の分野でもやっと健康局から福祉部へ統合されますが、目指されている方向をお尋ねします」「石原都政での福祉の切捨てが目立っているように思えるが、都の職員としての認識はいかがですか」「台東区で精神の支援センターを作ろうとしているが、計画書を保健所に出しても拒否したり、当事者外しをしたりしているのだけれども、この問題についてどのようにお考えか」というご質問がきていますのでお願いします。

■有留

 8月1日から福祉局と健康局が統合されます。それで障害福祉部には精神障害福祉課というのと、療育課、これが何をやるかというと重症心身障害児のセクションです、この二つの課が来ることになっています。そこで最重度の知的障害者と、重症心身障害者と紙一重で、福祉分野では医療が弱い、重心の方では医療の力が強いという状況で、また精神障害者の方の地域生活支援策は知的障害者のほうをまねた形で、整合がとれていないということがあります。そういうのを含めて、はじめて三障害が一体的にできるということで、私たちはこれから再構築の作業を、当事者参加で推進協議会のようなものを開いて議論しながら、福祉保健医療が一体となって、どのように本当にパワフルにできるのかということを検討することになると思います。

 3番目の質問は個別の問題なのでお答えは差し控えさせていただきます。

 石原都政が福祉の切捨てということなのですが、具体的に先ほどのペーパーで私がお話したように、東京都全体の予算はピーク時で7兆円だったのですね。昭和61年ぐらいの水準だと思うのですが、これがいま5兆7000億円くらいで、全体が2割以上下がっている中で、福祉のシェアをたまたま手元に持っておりまして、福祉のシェアは今が最高なんですね。一般会計というのですが、シェアは9.2%です。青島都政8.9%、鈴木都政6.9%、美濃部都政は6.5%でした。それから絶対額でもこの4年間で、美濃部都政の3.5倍の額、その間の物価の伸びが1.4倍ですからそれを上回る伸び、絶対額でも伸びています。

それから具体的に一人当たりの比較をして見ます。15年度予算で比較すると、都民一人当たりの15年度の福祉関係予算が43000円です。千葉県19000円、埼玉県22000円、神奈川県17000円。千葉・埼玉・神奈川首都圏で、大都市特性に近い形ですが、このような差になっています。あるいはヘルパーの全身性障害者、東京都244時間、全国平均をはるかに超えてお金が足りなくなった原因にほとんど東京都がその高いサービス水準を守ってきたと。それから先ほどのように経済給付、重度障害者手当、福祉手当を合わせますと、障害基礎年金に匹敵するような額を一自治体が出しています。医療費も本人負担は、所得制限がありますけれども基本的にはありません。

ですから石原都政になって私は逆に福祉の水準は上がったと思います。別に知事にこびを売るつもりは全くないのですが、内容を見ていただきたいと思います。これは私たちが逆に知事を広告塔になってもらっていい案にしていけば通るという都政になっていますから、そういう中で実現してきたものです。ですから痴呆性高齢者3000人分と知的障害者1000人分のグループホーム増設、4月1日に本部発足なんですが、トップから汗を流して作っていこうと。ですから具体的な中身を見ていただきたいと思います。

■大熊

中西さん実感としてどうですか。

■中西

 東京都のいまのホームヘルパー制度というのは確かに全国で1、2のものだと思います。ただまだ精神障害者、知的障害者に関しては、先駆的にやっているところは他にもあると思います。ただこの当事者参画を進めていこうという姿勢では、いったり戻ったりはしているところはあるけれども、かなり方向付けははっきりしてきているのかなという気がします。われわれの政策決定レベルへの参加という面では、まだ過去の団体が中心的な政策決定機構に入っていて、われわれのような新進の団体というのは、サービスの現場のニーズを一番良く知っているにも関わらず、そこには参加させてもらっていない。そこで何度かこの東京都の自立生活センター協議会を審議会の委員にするようにという提言をしています。そういう意味では、まだ実態をお知りにならないで政策を作っているということが言えると思います。

われわれはいろいろと調査をやってデータをしょっちゅう集めてやっています。今日も高齢協会と自立生活センターの共同調査というのを舞台の方にはお配りして、何部か余分があるのでみなさん見ていただきたいのですけれども、そういうようなデータ収集はしょっちゅうです。ですから自立生活センターが集めるデータはまことにホット。3日前の調査をここにもってくるということもよくやっています。そういうような一瞬にしてデータ収集ができるシステムが全国レベルであるので、それを国も東京都ももっと使って欲しい。そのあたりが東京都の課題かなと思います。

■有留

古い団体のなかには、トップが80歳とかいうのもありますね。全然違うんですね。何も勉強しないで東京都は何をやっているんだとか、そういうことを平気で言ってくる状況ですから、やはり代替わりをしていかないと。それで年がいっていてもちゃんとした中身があれば、理があればいいのですが、中西さんたちの団体、非常に政策形成能力、データ付きで、あるいは実践を踏まえた形での政策提言能力が飛躍的に高まっているとおもいます。改めて『当事者主権』を読みましたし、議論をいろいろな機会にさせていただいて、ぜひ入っていただきたいなと思っています。

■大熊

公開の席上でのお約束といってもいいのでしょうか。塩田さんはどうでしょうか。厚労省も古い古い団体が審議会の中枢にいるかと思いますが。

■上野

ちょっと口を挟みますが、さきほど千葉県で当事者参加の全く新しい方式をこれからおやりになるところだということでしたが、大熊さんはそれをちょっとご紹介くださったらどうでしょうか。ぜひお聞きしたいのは、どうも行政の方は政策立案設計者というプロ集団という誇りと責任をもっていらっしゃることはよくわかるのですが、『当事者主権』という意味でいうと、当事者参加のシステムをどのようにお作りになられるのかというシステムもノウハウも構築されていないように見えるので、千葉県という自治体の政策決定の仕組みとしてそのような手続きを作っているのかを紹介してください。

■大熊

この1年間ずっとやってきたことなんですけれども、作業部会に例えば知的の方、精神の方、目の見えない方、耳の聞こえない方、耳の聞こえない方を入れるときにかなり情報保障でちゅうちょがあったんですけれども、また盲導犬で遠い所からくる方だと送迎の問題とか、そういう審議会にそういう方が入ることによって行政の人たちの意識がどんどん変わっていきました。いまHPをごらんになると、とりあえずは地域支援計画の骨子、素案というのができて、もうすぐこれが出ることになりますけれども、予算が組んでいないので全部手弁当という形でやっています。

面白いのは一番最初に事務局から出てきた案の中に、「理不尽な理由で辛く悲しい思いをしている人はいないか」という5原則の一つがありまして、それにみんなが県の中にもこういう文章を書く人がいるのかということで信頼感が生まれ、そこから手弁当でも自分たちの知恵を出そうということで、現場に根ざした提案がどんどん出てきているということです。仕組みができたけれども予算がなかったので参加する人は結果として手弁当になっているということです。

 そういったさまざまな委員会というのは報告書を出すと、「ご苦労様。後はわれわれがかんがえますから」と言われるところを、その委員は永続的にそのままとどまって、ちゃんとそのように行政がやっているかの見張り役になる。それも仕組みとして書き込まれているところが面白いところです。堂本知事がいるからそういうことができているのかなと思います。

■上野

 これは次のように考えていいですか?これまでの行政のいわば審議会方式というものを、行政評価のシステムまで組みこんで当事者が事後評価までやるということですか?

■大熊

そういうことです。最初は障害福祉の分野から始まったんですけれども、段々県庁の中のほかの分野が影響を受けていて、その方式がいま広がりつつあるといったところです。でもこれも鷹巣と同じで、来年堂本さんが負けてしまうとまた揺れ戻しがあるかもしれません。大阪もかなりよくやっていて、例えば知的なハンデを持つ方が1人ぽつんといてもだめだから複数にするとか、精神の方も複数になるとか、それだけではなくて専門委員としてはいるので、もっと多角的に入っていくようなところがあります。国もそのレベルに追いついてくれるといいなと思います。

千葉でやってきたことは一つのモデルがありまして、むかしデンマークに行った時に寝たきり老人という言葉がなかった。それからサービスの質がとてもいい。なぜだろうかということで、1980年代に気がついたことは、地方分権ということです。市町村にまず権限が移り、それからさらに現場に権限が移っているということでした。80年代には現場が発言するからきめこまかくて良くなるんだよということを言っていました。さらにその後追跡してみると、現場がさらにそれぞれの利用者に権限を下しているということがわかりました。ユーザーデモクラシーというのにあたるデンマーク語が使われています。第一の分権は市町村に、第二の文献は現場に、第三の分権は当事者にと、そのようにうまくいっている国もあります。


塩田

国の政策決定に当事者の方が参加するというのは大事なことだと思います。歩みは非常にのろいかもしれませんが、地域生活の検討会にしろようやくというか当事者の方にも入っていただいて、活発な意見をいただいているところで、これからも努力したいと思います。

それからまもなくでる障害者基本法の中に、中央と地方に障害者政策決定のための協議会が規定されているのですが、そのメンバー構成については障害者意見、当事者の意見が反映されるような構成にしなさいという条文が入ると聞いております。それも一つのきっかけになると思います。

■大熊

ご質問の中に「基本法改正か権利条約化で討論がありますけれども、当事者主権はきちんと明文化されるのでしょうか」というのがありましたが、これは明文化されるということでしょうか。

■塩田

そうです。障害者基本法については前国会は与野党の話し合いがつかなかったそうですが、この国会はどうやらだいたい話し合いがついたらしくて、さきほどいったような協議会の構成についても、議論の途中では過半数という意見もあったのですが、一応抽象的に、意見が反映されるようになるという規定になったと聞いています。

それから権利条約擁護の新しい法制度や、差別禁止の新しい法制度を求める声も非常に強いのですが、今度の基本法ではそのあたりは非常に抽象的な条文が入る程度でありますので、たぶんそれは次の宿題ということでまた与野党で話し合いがされるということだと思います。私の個人的な立場からいえば、前回は障害者基本法は与野党の話がつかなかったのですが、今度はぜひ与野党全会一致で通していただいて、たぶん内容的には一歩も二歩も前進で、各省折衝では到底実現しないような内容が含まれていますので、ぜひ積極的に応援という立場で活動していただければと思います。

■大熊

今回のタイトル「エンパワメント」に関して上野さんと樋口さんに一言づつお願いします。上野さんに対してのご質問は「私のことは私が決める。この会場にいる私は当然のことと思って生きています。ですが、私の母親は妻として、母として、嫁としてしかなく、私を持てないまま生きてきました。いまさら70才、私の考えで生きてみるのは無理だといっています。母のような人に何かアドバイスがあったら教えてください」

樋口さんには「義母は92才。介護サービスの1割負担が気になって受けようとしません。結果的に3人の息子の嫁3人に負担をかけています。こうした高齢者がいる実体を変えていく方法をどうお考えでしょうか」

■上野

 有留さん、塩田さん、中西さんのやり取りを興味深く拝見しておりました。口にはださねど中西さんには「私が私の専門家なんだから、私に聞けよ」というのがありありと出ていました。実は大熊さんがまだご紹介になっていないアンケートの中に、政策設計者の方たちはプロとしての責任と自負というものを持っておられて、これはどちらかといえば管理とか統制のお立場なんだろうかというようなご反応が、会場からあったのですが、専門家とは誰かといったら当事者主権の考えから言えば「私の専門化は私だ。私のことを私以上に知っている専門家なんているわけがない」という専門家批判がはっきりあるのです。

もちろん政策立案のプロというのももちろんいるでしょうけれども、それでも福祉行政だって当事者はものすごく多様性があるわけですし、裾野は広いし幅は広い。だとしたら私に聞けよオレに聞けよと。それをですねお二人とも当事者の声を聞くことは大切だとおっしゃるのですが、それを精神論ではなくて仕組みとして作っていっていただきたい。絶対に当事者の声が必ず反映する仕組み。

例えば私もいま頭にきているのが、政府が少子化対策だ何んだとか言っていろいろな審議会を作っているのですが、子生み時の女を過半数入れろよと。子生み時の女というのが当事者だとしたら、そういう人を入れずにオヤジがあれこれ言うなよと。こういう当たり前のことが保障されていかないのかなと思います。でもその気になれば当事者の声を聞くようなタネもシカケもいろいろできるのだから、そのやり取りをこれからもやっていく必要があるのだろうなと思います。

■樋口

この1割負担ですけれども、充分負担できるにも関わらず本人が負担したがらない場合と、ご家族が年金などを家計に組みこんでしまって、負担をしたがらない場合と両方あって、家族が一緒にいるということはこの負担の点からもずいぶん問題と思ってます。本来は負担できるし介護を受けた方がいいのにご家族がケチで受けないというのは、悪徳商法とか悪徳NPOと同じようにもう悪徳家族といってもいいのじゃないかと。介護保険というのはそういった悪徳家族の存在を浮かび上がらせていると思って、こっちのほうは問題の方向性がはっきりしているのですけれども、本人が嫌がるのはどうしたらいいのでしょうね。これは困りますね。でもやはりうちのおばあさんはああだからしょうがないといってしまうのも、また一つの棚上げ的差別だと思っています。やはりお分かりになる方でしたら繰り返し繰り返し高齢者の権利としてできたものであって私が提供しているよいサービスが提供できることを、高齢者に繰り返し説得することだと思います。

■大熊

「行政の自負というのは支配したいということではないかと感じますが、自覚はあるでしょうか。もっと気楽に当事者に参画してもらえばいい、共に作ればいいと思う」という質問兼ご意見がありますが、有留さん、塩田さんどうですか。

■有留

われわれプロなのでプロ意識を持つことは当然だと思ってます。ただし人を支配しようとか、われわれの世代に共通だと思っていますが、70年前後を通じて、やはり自己実現なんですね。偉くなるとかそういう意味ではなくて、自分の考えを出して現状を改革してこう変えていくんだという意味で自分も当事者であるというプロ意識であって、人を統制におこうとか支配しようかという気持ちは全くないです。それから私は現場主義というのを徹底しています。繰り返し山谷の例を言っていますけれども、毎朝ホームレスが300人も並んで団子状態になっている。それを体当たりして一列にしていくんですね、団子整理って言うんですけれども。結核の罹患率がじつは10%で、一般人の都民の250倍で危ないのですけれども、それを所長が先頭に立ってやっていくと。でも私も虚しかったんですね。牛乳とパンを毎日あげて、厳しい時に臨時宿泊という応急援護。ボランティア団体も、炊き出しをやっても全然顔ぶれが変わらない。そういう現場の中から政策を生み出した。そういうホームレスが今度ヘルパー2級になってホームレスのお世話をしている。そんな事例があって山谷のNPOなどに今日はぜひ来いと言いました。運動体と事業体。これは八王子のヒューマンケア協会の中西さんと会わせたかったんだけれども、残念ながら今日は来ていないようです。それからアルコール依存症の山谷マックというようなグループ、これは伝統のあるところですが、他にも訪問看護ステーションをやっているグループとかと多様な自主活動団体と交流や連携を行ってきました。そういう意味で山谷は私の大学、現場は私の大学だと思っているので、言われているような他人の統制・支配という発想は全くありません。

塩田

私は法律を作ったり制度を作るために、財務省の人を説得したり国会議員を説得したりする点についてはプロだと思っているのですが、障害者福祉の内容についてはプロではありませんので、当然現場の人とかみなさんの話を聞いて、その声を法律や制度にどう反映させるかということなのです。その点については責任を持ってやりたいと思っています。中西さんとの関係で言えば、ほとんど弁友のようにご意見を聞いて参考にさせていただいております。これからも気楽に話し合いができる雰囲気をと思います。

■中西

『当事者主権』という本も出たし、当事者エンパワメントという言葉もいまはやらせようとしているわけですけれども、こういうように世の中というのは5年単位で変わっていくし、10年同じことを言えば変わっていくのだなということを、運動をやっていく中で実感しているのです。確かに障害当事者の自立生活なんていうのは15年前には何を夢いっているのだといわれたわけです。でも、そういう障害者は家族に面倒を見てもらえばいい、なんでわざわざ家族が面倒を見られない一人で暮らしているのだ、と言われた時代は過去のことになりましたよね。駅の階段にエレベータをつけてくれと10年前に言った時には、年に1回か2回しかこない障害者にどうしてエレベータをつけなければならないんだ、あれは1億も2億もかかるんだと言われて帰ってきたわけですれけども、いまは全駅にエレベータをつけるという国の方針が決まって、どこでもエレベータ化の工事をやっていますよね。それほどごく当たり前のことになって、われわれが朝8時半に駅に降り立ってくるという姿には駅員もそれに対して文句を言わない。そんな出勤時間に障害者はくるんじゃない、と言われた昔とは全く社会の受けいれ態度も変わってきました。それがこの10年間に行われてきたことです。

その間にはDPIの日本会議が毎年12月10日の障害者の日に駅に2000名の障害者を、新宿駅には300名の車イス者が向かわせて、新宿駅も300名の臨時雇いの駅員を雇ってわれわれ300台の車イスを駅のホームに担ぎ上げると言うことを8年間繰り返したわけですね。それでようやく建設省も動いてアクセスのバリアフリー法ができてきた。世の中はこの自立生活運動と共に変わってきたと思うのですね。その背景に地域で暮らせるサービスというのができてきたことがある。それだからこそ駅に朝8時半に行けるようになってきたと言うことですけれど、これは大きな社会資源を作り上げたことだと思います。いま地域で重度の障害者が暮らせるようになってきた。この状況を何とかバックさせないで先に進めていきたい、施設で一生を終わってしまう障害者を何とかすべて救出したいと。僕も施設から出てきた人間ですから、施設に残してきた障害者のことがやはり気になります。彼らが一生あそこで終わるのではなく、地域で1週間でも10日でも暮らして欲しい。

そういうささやかな希望なのですけれども、これを実現するためにはアクセスまでも変えなければいけない大事業だったということですね。これからは高齢者も呼吸器をつけた人もALSの人もみんな地域でごく当たり前のように暮らしていけるようにしていく。日本の経済力からすればできるでしょう。われわれ支援費制度でお金がないといわれていますが、たった200億とか300億とか高速道路1キロ分にしかあたらない費用で「無いよ」と言われている。これは国の政策への考え方の問題ではないか。考え方を変えれば200億は安いねと言うようになるわけです。われわれは塩田さんにそこを変えてもらいたい。彼はそれだけの力を持っている人だと思っている。

■塩田

30年前に大学を出て厚生省に入りましていろいろな仕事をして、ここ5年間はリサイクルの仕事に没頭しておりましたが、何か厚生省にやり残した仕事があるなと思ったのが実はこの分野の仕事です。中西さんのご期待にこたえられるようにぜひ上手に使っていただきたいと思います。

■有留

ある都外施設に行ったときに名刺を出されたんですね。職員かと思ったら利用者だったのです。会社をリストラされて施設に戻ったと。私は愕然としました。まだまだ東京も含めて日本の福祉は遅れていると。なぜ施設が嫌なのだろうと聞いたときに、その施設長から「施設は人間倉庫だ」と言われたんですね。私も病院に入院して分ったんですけれども、管理される生活は嫌ですね。ですから非障害者が嫌なことは障害者も嫌なのだということを本当にその時に実感しました。やはりそういうエネルギーを地域支援に具体的に形あるものにしていくのが、先ほどから批判を浴びていますけれども、私たちプロの役割かなと思っています。

■樋口

今度の介護保険の改正あまりにも唐突に出すぎています。やはりこれは行政の責任で、改革をしようと思うときにいろいろな人の意見を聞くことと同時に、やはりできるだけ隠しダマを作らずに、作るときから公開していくことではないかと思います。その意味でビジョンをまだ見せてもらっていない。3つくらい案があっても結構ですから、早くビジョンを提案してもらって、その提案された中で私たちも議論をしていきたいと思っています。

高齢者というのは、先ほどから何度も言いましたけれども、要介護者としては永遠の初心者なのです。これが高齢者のエンパワメントの難しさなので、私たちがやはり同世代の人間として初心者であることを、いかにコミュニケーションと想像力によってエンパワメントしながら当事者になっていくかということはとても大切だと思っています。

私はこの10年間嫌なこともたくさんありましたけれども、中西さんと全く同じで、交通バリアフリー法ができまして、3年前に車イスに乗っていた時とまるで違う国にきたみたいです。それはやはり中西さんの運動と共に、やはり急激な高齢化というものが後押ししていたと思います。それからいま東京都はいろいろあるにしても、都知事にしても県知事にしてもみんなわりと元気になっているのは、地方分権一括法などができて、地方と国との対等な関係が目指されていることがあると思います。また男女共同参画社会基本法などができて、女性と男性との対等なパートナーシップが進んでいる。それからNPO法がどこまで効力を発揮しているかどうかは別として、何はともあれ官と民とのパートナーシップも始まっている。ですから私はこの10年間全然絶望せず、逆風はあるものの、いろいろな市民の対等なパートナーシップが進んだ10年だと思っています。

障害当事者に元気付けられながら高齢者たちの意識も変わってきているので、介護保険法自体も変わっていく兆しはあると思います。その一つですが、厚労省の老健局長の私的諮問機関に「2015年の高齢者介護」というのがあります。こちらにはもう家族の存在というのがほとんどでてきません。一人暮らしということがかなりの基本になっています。そこで10年前の高齢者自立支援システム研究会という、介護保険の出発点になった時のキーワードは「自立」と「選択」、「自己決定」でした。今度のキーワードは「尊厳」です。これは座長の堀田力さんのコメントですが、10年前の介護保険の基礎になったシステム研のレポートが憲法25条型の介護であったとするならば、つまり健康にして文化的な生活の国による保障ですね、今回は憲法13条型の介護ではないかということです。もちろん自己決定ということは入っているのですけれど、それと同時に憲法13条は個人の尊厳と幸福追求権というもう一味進化した自分らしい生活というのが入ってきている。そのように介護のあり方も変化しようとしておりますので、介護保険の方が支援費制度に近づいてくるという可能性は私は大いにあると思います。お互いに勇気付け合いながらこの10年に絶望せず、これからの10年をご一緒にやっていきたいと思ってます。ありがとうございました。

■上野

 『当事者主権』という本を出した理由は、当事者といっておくと小異を捨てて大同につくというか、実は小異どころではなく大異なんだよと樋口さんはおっしゃっているけれど、障害者とオンナってこれまで対立、敵対さえしてきたんですよね。それが当事者というだけで障害者と高齢者と女性運動が、このように一つの流れに合流する事ができる。この場で当事者と行政、アクティビストと事業者と研究者、こういう人たちが一同に会して、一つの看板のもとで同じことを考えることができる、そういう時期が来てよかったなと思っています。

とりわけ研究者って何となくこれまで専門家とか有識者とか言われて審議官の委員などになっていたんですけれど、アクティビストから運動と理論の乖離とか研究はクソの役にも立たないと言われてきた。でも調査研究って役に立ちますよ。そうではありませんか中西さん。自立生活センターには東大上野ゼミ生が何人かリクルートされておりまして、東大に行くと人間は腐るんだそうですが、東大生も役に立たせていただいているようでございます。

その点で最後に私は誰も言わなかったことをどうしてもひとこと言いたいのですが、研究の世界で当事者学というものをきちんと作るべきだと考えてやってきました。その心は何か。学問研究に客観・中立はないということです。つまりそれは当事者の目線に立つか、それとも当事者を支配・管理・ついでに差別する側に立つか、このどちらかしかない。当事者の目線から私こそが私の問題についての専門家であるという人々を学問研究の場で育てていきたい、作り出したい。それが私の強い望みです。みなさんとご一緒にやって行けたらなと望んでおります。ありがとうございました。