『当事者エンパワメントシンポジウム』

今後の展望

岩田
  最後になりますがこれから今後のことをちょっとみなさんと考えていきたいと思います。これからもっともっと地域で自分らしく暮らしていくためにはどうしていったらいいだろうか。そういうことをですね、シンポジストのみなさんにまたちょっと短い時間で、今後の展望、今後どうしていこうかということをお一人お一人お話いただけたらと思います。先ほどの質問なども交えながらご発言いただけたらと思います。

岩田
  わかたけにはお仲間がたくさんいらっしゃると思うのですけど、日ごろお仲間とどんなお話をしてますか。将来のこととかいろいろお話をしていると思うのですけれども。

大川
  これから就職、一般就職したい人とか、自立してどこか一人で住みたい人とか、いろいろそういう人がここ最近出てきています。それと何か自分でいろいろなところに行きたいとか、そんなことですね。

岩田
  例えば、支援者の方にお願いしたいこととかはありますか。これから夢を実現していくにあたって応援してくれる地域の人とか、職員の人とか、いろいろ支援をする人はいるかと思うのですが、その人にお願いしたいと思うことはありますか。

大川
  もっともっと自分たちの事をわかるように、わかってくれたらいいなと思っています。今はちょっと不安があって大変なので、お願いしたいなと思います。


伊波
  今回は当事者エンパワメントということで、やはり先ほど宜野湾の状況どうなっているか、ということとの兼ね合いがありますけれども、身体障害に関するホームヘルプサービスは、本土の進んでいる所と比べますと十分ではないかもしれませんけれども、県内ではわりとやっているところなんですね。それで今6時間という話をしましたけれども、その上で、それが今そういう状況をある程度維持ながら、やはり続けていきたい。また制度によってしっかりやっていきたい。同時にただ、知的なホームサービスというのは実はあんまり少ないのですね。これはどうしてかというと、やはりさっき言いましたけれども、それを受けとめようとする主体といいますか、それを求める者、ニーズの問題だと思いますけれども、そういうものがやはり地域の中に醸成されないと、そしてそれが主体としての部分ができてこないと、なかなかできない面がございます。ですからやはり今日のようなこの集まりを通して、私も何度もイルカやテベの時からの会議に参加をしておりますけれども、今回のように精神も含めてさまざまな障害を共有してこのように集まる事ができたことは、そういう広がりを作るいい機会ではなかろうかと思います。

  それから先ほど介護タクシーの話もありましたけれども、休憩時間の間に低床バスの話も出ました。今日の新聞にも少し載っておりましたが、交通手段を始めいろいろなものが沖縄で求められています。私たちは、宜野湾市としましては、先ほど要望のあります現状の公共施設の改善も含めて、同時に普天間飛行場の返還というのも私たち取り組んでいまして、その後利用というのをいまやっておりますが、その中にもですね、きちんとユニバーサルデザイン、あるいは全体、みんながきちんと暮らせるような仕組み作りをこの中に埋め込むということで、1番のスタートの段階から、そういうみなさんをしっかり、そういう専門家を含めて送りこんでですね、話を続けようということで今スタートしております。ですからそれが10年、15年後、20年後の話であるかもしれませんけれども、将来に対してもそういう視点で取り組んで行きたいと思います。

  今日問題になりました、精神、あるいは他の課題についてもですね、私たちとしてはやっていきたいと思いますし、国や県に対しても制度的な担保を求めてまいりたいと考えております。今日多くのみなさんのご意見をこのように賜った事は、たいへん私たちにとっていい事だと理解しております。宜野湾市でこのように開催されて、また宜野湾で入るかがきちんと活動していることを誇りに思いながら、他市町村にこれが波及していけばとこのように考えているところであります。ありがとうございました。


中西
  身体障害者のサービス、それから身体障害者のサービスの担い手というのはかなり作れてきたんですけど、いわゆる知的障害者の場合まだ利用のしかたも知らないという感じなんですね。4月1日から始まって、彼らは20時間のサービスをうちの市でも使えるんですけれども、ほとんどが使い残している。やはり介助者との関係を作ることが難しいとか、家族や兄弟、作業所の職員以外とは外へでかけたことがないという人たち、そういう人たちのために、ヒューマンケア協会では今、毎月1回行事をやって、ナシをもぎに行く、それからお台場へ行くとか、レクリエーションとかやって、そこで介助者との接点を作って、今度はヘルパーさんと一緒に映画を見に行こうと、ようやく介助の使い方を憶え始めている。

  あと数年するとですね、彼らが地域で暮らし始める。実際月に1回、いま溜まり場的な話し合いの場を持ってますけど、そこでは作業所やマクドナルドやユニクロやいろいろなところに勤めている障害者が、夕方になって集まってきて、自分たちも結婚したいね、1人で暮らしたいね、というような話が始まって、重度の身体障害者のうちに訪問して、ああいう重度の人が暮らせるなら自分も暮らせるかもしれない、ということで、じゃあ体験室を作ってよということで、いま事務所の上に知的障害者用の体験室を作って、いま1週間とか、土日で泊りがけするとか、ということで体験を積んでいます。

  精神の方の場合は、今3名ぐらいピラ・カウンセラーが2年かけて養成されて、その人たちが来年からホームヘルプサービスを提供しよう、その中での相談活動にあたろうということでいま準備中です。それから視覚障害者の人もなかなか出不精なんですよね。20時間の時間を与えられてもあまり外に出ない。それをいま出かけるようにという事で、視覚障害の当事者がコーディネートをして、介助サービス、ガイドヘルパーを提供するようにして、ニーズを喚起するようにしているところです。

  こういう障害種別を超えてサービスが定着していく事はいいんですけども、そうするとお金が足りないという問題が出てくる。そこでいま今日も高嶺さん、ESCAPの職員、障害者関係職員をやってらした、10数年やってきたんですけれども、彼が作り上げていったアジア障害者の10年、それからいま権利法というのが、障害者権利法が国連で議論されています。この中にはESCAPの基本的な案と、DPI日本会議案というのがニューヨークの国連本部の起草的な案の中に入ってますから、この中では介助を受ける権利、地域で暮らしていく権利というようなことが語られています。これに日本も調印してくると、権利としての地域で暮らすことというのが義務付けられて、日本政府に対して外圧として働いて、日本の中に差別禁止法ができてくると。これがだいたい2008年ぐらいには成立するだろうと。介護保険組み込みもだいたい2008年ぐらいには国も入れようとするだろう。そういう関係で障害者が、権利として地域で暮らせるということを、外圧を含めながら予算をきちんと取っていくというふうな形でうまく流れが作れればな、といま思っているところです。


高橋
  いま中西さんのあとにしゃべるのがすごく辛くてですね、どんな話をしようかなと思っているのですが。やはり自分たちでサービスを作り出していくということをいま沖福連として、今年初めて取り組みを始めました。ピアヘルパーを目指してということでですね、ピア・カウンセリングの講座をイルカの皆さんに教わりながら、そして3級の、ホームヘルパー3級の資格を取ってですね、高齢の方ですとか、あと精神の上乗せの9時間も取れるようにして、やはり必要なサービスを必要としている方々に、同じ体験を通して提供する。これまでのサービスの使いづらさだったり、かゆい所に手が届かないということを改善していく動機のきっかけというものを内に持っているサービスのあり方、ということを本当に作り上げていくことが、これからの1番の課題じゃないかなと思っています。

  特に今日こういう出会いをさせて頂いたことを、横のネットワークというのをこれから当事者の間でも、それぞれの障害種別を超えて実現していけたらなと思っています。と言いますのは、これまでいろいろな要望を持っていたり、いろんな事でここをこうして欲しいという事を、伊波さんとか県の方に要望をあげていったりするときに、どうしても縦のラインで動いてきた経過があると思います。もう一方では国のほうからですね、住基ネットのような形で、縦のネットワークというのはどんどんどんどん進んできてますけども、じゃあそれに対応するような、自分たちのお互いの横の顔の見えるつながりができているかと言ったら、古い生活を基盤にした共同体の有り様と言うのは、いま言った国の住基ネットの流れの中で、どんどん潰されてきているというのが現実だろうと思います。だからそういうことに対抗できるような地域の生活を支えるということ、あるいは暮らしを支えるという意味では、住まう事とか働く事とか、いろいろな重層的な社会の有り様を、横のつながりの中で大切にしていく。そういうサービスを自分たちが生み出していく関係っていいますか、そういう事を今日の出会いをきっかけに一緒に考えていけたらいいなと思っています。どうもありがとうございました。


長位
  私たちは今後、やっぱり、障害を持っていても持っていなくても、人としては変わりないんじゃないか。で、生きていく権利、幸せになりたい権利、それは本人も含め、家族もそうだと思うので、やっぱりそれを守っていけるようなシステムを作って、本当に国のほうの障害者計画の中にも「サービスがあるよ」ではなくて、やっぱり権利としてできるようなものを作っていただくために、動いていきたいと思っています。そのためには私たち障害を持っている一人ひとりが人任せにせず、自分の事として、どこにも出かけられるような人たちをたくさんたくさん作っていきたいなと思っています。

  できる人たちがやればいいよ、自分たちは関係ないといったら私たちの生活って何も変わらない。もしかしたらこれまで以下になるかもしれない、という危機感は私は常に持っていますので、そのためにやっぱりやっていきたい。先ほど高橋さんもお話していたのですけれども、これまでは身体障害者とか、本当に障害で区別されていたんです。私が障害者のところに行っても、あんたは言葉がしゃべれるからいいよね、考えられるからいいよね、ではなくて、やっぱり同じ仲間のサポートをしあう、もしかしたら私もサポートをされるかもしれないということを、障害種別を超えて、いろいろな県とか市町村の障害者福祉計画に入っていかなければ、自分たちの生活は何も変わらないということもいますごく考えています。

  あとイルカだけで何でもできるわけではないので、身体障害者だけでも障害者福祉の事がすべてわかるわけではないので、やっぱり知的障害、精神障害、身体障害の中にもさまざまな悩みを抱えている障害者がいますので、その人たちともう少しできるような形を思います。

  もう一つ今私がすごく大切にしているのは教育問題です。これは私たちが本当に教育を受けない、あと分離社会、いまの現状の問題点というのは子供たちには残したくないと思っているので、いま本当に素直な子供たちがなんとかその子たちの願いをかなえるための教育権利を、なんとかやっていければいいなって思っています。そうしたら私たちが年とったときに幸せだなと思う社会がくるんではないか、と考えています。

  あとはもう一つ。先ほども言ったのですけど、本人のエンパワメントと家族の支援っていうか、家族がすべて本人を抱えなくてもいいんだよということを、知的障害とか精神障害の人たち、いますごく思うんですけれども。支援費制度を宜野湾市でそんなに受けている人たちがいないんです。というのは、家族、親が年とってどうなるんだろう、で、やると、施設を作るという形になるけれど、厚生省は施設は作らないっていうふうに打ち出しましたので、やっぱり親亡き後をどうするかということを親と一緒に考えられる事が、これからすごく必要ではないかって思っています。そういう形で少しずつではあるのですけども、ネットワークを広げながらできる限り障害者の生活をゆたかにするっていうことで活動していきたいと思っています。


高嶺 豊(琉球大学)
  いま紹介に預かりました高嶺と申します。この3月までバンコクで国連のアジア太平洋経済社会委員会というところで、障害者問題を中心に活動してまいりました。簡単に私の活動をお話しますと、みなさんアジア太平洋障害者の10年、去年終わりましたけれども、その10年の中心としてわれわれが主張してきたことは、当事者の主体ということです。これからは当事者の主権ということに言い直していきたいと思いますけれど。これをずっと基本にやってきました。それで障害者の自助団体の育成と強化ということを一つの縦軸としてやってきて、その中で各国に障害者問題を取り組む事を提案してきました。その中でわれわれ国連として障害者自身のエンパワメントということで、いくつか障害者のグループの訓練をやってまいりました。その中で気がついた事は、障害を持っている方の中でも、本当に重度の方というのは地域に戻っても、根強く根気よく活動しているんですよね。それで私思いますのは、全身性障害者の方、パワーというのがこれまで障害者問題を動かしてきた、という事実があると思うんですよね。これはアメリカの自立生活運動でも、エド・ロバーツというポリオの四肢麻痺の方などが中心となって、アメリカの障害者運動を開発していました。

  アジアにおいても、そういう例がありまして、筋ジスの人で、もう長生きできないという事を自分で知っていますので、それでインドの地方に帰って、行政を使ってさまざまな要求をやっている方がいます。そういうことでこれから当事者のパワーというのが障害者問題を動かしていくし、さらに世界もですね、われわれの社会をよくするために一緒にしている時代が、この21世紀になってきたと思うのですね。

  そういうことで、みなさんがやられている事は、いまたいへん苦しいと思うのですけれど、それが今後アジア・太平洋地域の障害者、まだまだすごい状況が、たいへん厳しいものがあります。ほとんどの重度の人が、ほとんど生きることすらできずに、亡くなっている例もたくさんあります。そういう状況ですけれども、そういう方などと今後交流を深めて、アジア・太平洋の障害者、およそ4億人、日本の人口の4倍の障害者が住んでいますけれど、その方の自立にむけて、日本のお手本をこれから示していくために、みなさん頑張って欲しいと思うのです。

  これからESCAPのほうもですね、障害者の人権、国際人権条約の締結にむけて活動していますけれど、これからみなさんの権利にかんする声をどんどん出してもらって、これがアジア、あるいは世界の障害者の人権の確立に向かって、進んでいくことになると思います。そのために私は、いま琉球大学で教授として赴任していますけれど、アジアとのパイプも持ちながら、みなさんの活動なども紹介しながら、みなさんと一緒にアジア・太平洋地域の障害者、重度障害者のことも考えてやっていければな、というふうに今日のシンポジウムを聴いて思っていました。