基調講演
『ベンチレーターをつけて地域で生きる』

佐藤 喜美代
(NPO法人自立生活センター札幌理事長
全国自立生活センター協議会副代表)



1.はじめに
2.施設から自立生活へ
3.ベンチレーターをつけての生活
4.かけがえのないパートナーとしてのベンチレーター


1.はじめに
  みなさんこんにちは。札幌からやってまいりました佐藤喜美代と申します。今日は短い時間ですが、どうぞよろしくお願いします。昨日は雪で真っ白な寒いマイナス2、3度の札幌から、沖縄のほうに飛行機に乗ってやってまいりました。本当に生まれて初めての沖縄なんですけれど、先ほどこちらの会場に来る前に車の中からとてもきれいな海が見えまして感激しておりました。北海道の海はですね、どちらかというとグレーっぽい海なんですが、沖縄の海はですね本当に青くて、どちらかというとグリーンに近いような色で、ああなんてきれいな海なんだろう、こんなきれいな海を見たのは生まれて初めてかもしれないなと思いながら、今日はこちらのほうにやってまいりました。

  みなさんに、今日はベンチレーターという言葉を初めて聞かれる方もたくさんいらっしゃると思いますが、ベンチレーターをつけての生活の様子、またベンチレーターとは何なのだろうということを、少しお話をさせていただければと思います。どうぞ最後までよろしくお願いいたします。

  まず、私の簡単な自己紹介をさせていただきたいと思います。私は進行性脊髄性筋萎縮症という障害を持っています。脊髄、背骨ですね、脊髄が変形する事によって肺を圧迫し自力で呼吸ができなくなるという障害を持っていまして、そのために喉に1センチくらいの穴を開けて、そこにカニューレという管を入れて人工呼吸器を使っています。ベンチレーターというのは人工呼吸器の呼び方です。私は呼吸器というよりはベンチレーターというように呼んでいます。ベンチレーターをつけたのは12歳の時ですから、もうかれこれ28年近くベンチレーターを使っています。

  みなさん人工呼吸器と聞くとどういうイメージを持たれるでしょうか。例えば交通事故で重病になった方がつける器械、または脳死の方が自力で呼吸もできなくなったためにつける器械というようなイメージが、まだまだ社会の中にはたくさんあります。でもベンチレーターというのはそういった重病の方たちだけが使うのではなくて、最近は私のようにですね、自立生活をしたりとか地域のなかで自分らしく生きたいというように願ってベンチレーターをつけて暮らす人たち、またはベンチレーターをつけながら地域の小学校に通ったりする障害児の子供たちなどですね、ベンチレーターをつけながら社会参加をしていく障害者たちが少しずつですが増えてきています。それでもまだまだベンチレーター、人工呼吸器というは病院の中で使うもの、重病の人が使うものというようなイメージが非常に強くあります。そんな間違った固定観念、イメージを変えていきたいなと思いながら、私はあちこちでこんなふうにお話をさせていただいています。


2.施設から自立生活へ
  私は、先ほども申しあげましたように進行性脊髄性筋萎縮症という障害を生まれつき持っていましたから、子供の時から施設で暮らしていました。施設や病院の暮らしがすごく長かったのですけれども、27歳の時にどうしても自分らしく生きてみたいという気持ちを持って自立生活を始めました。私のいま車イスの後ろに積んでいるのがポータブルの、在宅で使える小型の人工呼吸器、ベンチレーターです。でも20年ほど前は、まだまだ本当にベンチレーターというのは冷蔵庫ぐらいの大きさの物があって、それを外に持ち出す事は不可能な時代がありました。そんな時にベンチレーターを私はつけたのですけれども、ベンチレーターをつけたら本当に病院の天井を見ながら、呼吸につながれたまま生きていくしかないというように言われていました。でも私は本当に一生呼吸器につながれたまま、病院の天井を見ながら一生が終わってしまうのが嫌で嫌でたまらなかったんですね。それで何とか自立をしたいというように20歳を過ぎた頃から思うようになりました。

  みなさんも施設に入ってらっしゃった方、経験がある方はご存知だと思いますが、本当に病院や施設というのはプライバシーが持てない場所です。自由も持つことができません。私のいた施設では本当に食事の時間が決まっていたりとか、おトイレの時間が決まっていたりとか、寝る時間が決まっていたりとかしていました。例えば私がいた施設ではトイレの時間が1日4回というように決まっていて、それ以外の時におトイレがしたいというと、看護師さんが「さっきおトイレしたでしょう」と言って何度も何度も怒られてしまうような人権侵害にあって暮らしていました。

  そして私は長かった施設時代が終わって、その後病院にベンチレーターをつけて入院する事になります。施設から病院に移るのですが、病院に移ったのが25歳ぐらいの時でした。病院というところも本当に生活の場ではなくて、そこは治療する場でした。私にとっては本当にプライバシーが持てない辛い日々でした。例えば私が入っていた病室は8人部屋で、隣のベッドと私のベッドの間がカーテン1枚しきられているだけで、面会にお友達とかが来てくれてもコソコソした声で喋らなくてはいけなかったとか、自分が本当に辛くって声を上げて泣きたいなと思ったときも、たくさんまわりに人がいて思いっきり泣く事すらできませんでした。

  そういった生活の中で、ベンチレーターをつけていてもあたり前に恋をしたりとか、映画を見たりとか、友人と旅行をしたりとか、ドライブを楽しんだりとか、本当にあたり前の普通の生活にあこがれてあこがれて、私は死んでもいいから地域で暮らしてみたい、3日でいいから自分らしく生きたと言えるような人生を送ってみたい、ということでですね、周囲の反対を押しきって13年前に病院を出て一人暮らしを始めました。本当に最初は死んでもいいから3日でいいからというように思って出てきた自立生活も、もう今年で13年目を迎える事になりました。ベンチレーターをつけての生活ということで13年たったのですけれども、私が自立生活をした90年の冬に、ベンチレーター使用者ネットワークという会を作って、全国の人工呼吸器をつけた人が情報交換をしたりだとか、仲間同志の助け合いができるようなネットワークが必要だというように感じて会を立ち上げました。そして呼吸器をつけていても一人の人間として地域の中で自分らしく輝いて暮らせるような社会を作っていきたいということで、ネットワークを作ってきました。

  そして97年に、CIL札幌という地域で自立生活がしたいという仲間をサポートしていくための、自立生活センターを立ち上げました。それがもう今年で7年目を迎える事になり、今ではCILさっぽろには27名ほどのスタッフがいます。そこではですね、障害を持った重度な、本当に24時間の介助が必要な重度の仲間がケアを受けながら仕事をしています。27名の内、大体ですね、半分が重度な障害者です。そして後半分が障害のないスタッフがセンターをおこなっております。


3.ベンチレーターをつけての生活
  今日はですねベンチレーターをつけた人というのがどのように地域のなかで生活をしているのかということがまだまだ広く知れわたっていないところがあって、みなさんにはイメージがつかないのではないかなというように思います。それでスライドを持ってきましたので、みなさんにスライドを見ながらベンチレーターをつけて地域で暮らす私たちの姿を知っていただけたら、というように思っていますので、これからスライドを少しだけ始めたいと思います。ではスライドのほうをよろしくお願いします。

  みなさん見えるでしょうか?これが、今ちょっと2ヶ月ぐらい前に引越しをしたのですけど、私の2ヶ月前まで住んでいたアパートです。一般のアパートにですね、スロープをつけて1階部分で住んでいます。次お願いします。

  このアパートは、約8年ぐらい住んでいたアパートなんですが、玄関から入ることができないので、このように窓にスロープをつけてですね、出入りをしています。私が今乗っている車いすというのは、寝台式車いすまたはストレッチャー式車いすというように言っています。

  これは、部屋の中の様子です。左側の四角い箱のような物が自宅で使っているベンチレーターです。このように自宅にいるときはベッドの上で、自宅用のベンチレーターをつけながら生活しています。ベンチレーターというのは、在宅用に色々な機種があるのですが、どの機種を使うかというのはその人その人で違ってきます。それは体の状態ですとか、呼吸の状態ですとか、後はお医者さんと相談して自分の体に合ったベンチレーターを選びます。私は在宅を始めてからこのベンチレーターをもう13年、14年ぐらい使ってますが、ベンチレーターを自宅で使うときは普通の家庭用の電源を使ってそこで利用しています。外出の時はバッテリーを使います。バッテリーはだいたい24時間近くもつバッテリーもあるので、私はそれを使ってます。

  これも私が自宅で使っている自宅用のベンチレーターです。いま車イスの下に積んでいるのは外出用のベンチレーターになります。よく、電源を使っているので停電をしたらどうしますかというように聞かれるのですが、内蔵バッテリーが約1時間ほど動くことになっていますので、停電しても安心です。

  これはベンチレーターの蛇腹という管を介助者の方が交換しています。みなさんベンチレーターをつけた方は、病院にいるとこういった管の交換などはドクターや看護婦さんが行っていますが、私のように自立生活をしている者にとっては全て介助者の方が行うようにしています。そしてこういったベンチレーターに関する蛇腹交換ですとか、あとは吸引などを介助者ができるようなトレーニングを、CILさっぽろでは行っています。ですから私たちの自立生活センターさっぽろのスタッフはみな吸引ケアができたりとか、ベンチレーターの管の交換ができたりとかっていうことができるスタッフが揃っています。

  これは吸引器です。喉に気管切開をして穴が開いているので、痰がでてきます。吸引を1日、私の場合は5、6回ぐらいしなければいけないので、吸引器を常に持ち歩いたり、自宅においておきながら吸引を1日何回か行います。これは制度の給付でもらえるようになったので、もしぜひ自分の吸引器が必要だという方については各自治体のほうに問い合わせていただければ、詳しい事が判るのではないかなと思います。この吸引器の特徴は、家庭用の電源そしてバッテリーで動きます。もう一つは車のシガレットの所から電源を取ることができます。非常に吸引力があって使いやすい吸引器です。

  これは私の吸引のセットです。病院にいますと消毒をしたりとか管理をするのが結構難しいのですが、在宅の場合はですね自分でお鍋にお湯を沸かしてそこにつぼをいれてですね、煮沸をさせて消毒をしたりして、自己管理をできるようにできるだけ自分なりにやっています。次お願いします。

  私は吸引を自分でもう20年近くやっています。この吸引もですね、私は手が動くので自分でできますが、手の動かない障害を持った方たちはみなセンターで吸引の勉強会を開いてですね、トレーニングをして吸引ケアができるようにということを行っています。自分で吸引をするので「痛くないですか」とか「苦しくないですか」というふうにいわれるのですが、そんなことは全然なくって、きちんと自分で清潔に自己管理ができれば吸引をすることができます。これが病院ではお医者さんや看護婦さんしかやってはいけないということになっているんですけれども、十分にトレーニングを受ければどんな人にでもできるケアです。

  これは月に1回、ベンチレーターの業者の方が訪問されます。それでその時にどこかトラブルは無いか、故障の原因は無いかということを点検してもらう事ができます。そして札幌では24時間体制でベンチレーターの管理をしてもらいますから、何かトラブルがあれば電話をすればすぐに駆けつけてくれるというシステムになっています。次お願いします。

  これは私の、先ほども言いましたが、寝台式車イスです。これはもう10年ぐらい乗っている車イスなんですが、これの電動版もあります。電動は夏によく乗っているんですけれども、冬の間はどうしても雪がたくさん札幌は降るので手動式の車イスに乗っています。オーダーメイドで作りました。特徴はですね、ベンチレーターがとにかく積めること、そして軽くすることですね。そしてコンパクトになるようにというふうに作られています。次お願いします。

  これは先ほどコンパクトにというお話をしましたが、足の所が折れるようになっています。このようにコンパクトにすることで、狭いエレベーターや通路を足を折ってあることで、狭い所も行けるようにと考えられて作りました。

  これは、外出のようすです。週に2、3回買物にいって自分の食べたいものの買物をして、メニューを決めます。そしてヘルパーさんに指示を出してお料理を楽しんでいます。次お願いします。

  これは本屋さんに行った時のスライドです。本屋さんもよく行きます。いま私の生活は週に5日ぐらいは外出をして色々な所に出かけています。本屋さんに行ったりショッピングをしたり映画を見たり、そして毎日仕事をしたり自立生活センターに通ったりとかという生活を行っています。

  これは北海道の大雪山、ちょうど地図でいうと真ん中あたりにある街なのですが、そこの旭岳という山にですね、ロープウェイに乗って友人たちと旅行をした時のスライドです。このように年に何回かは旅行も楽しんでいます。次お願いします。

  これはですね、先ほど自宅で使っていた吸引セットというのがありましたが、これは外出用の吸引セットです。このようにバッグの中に吸引の道具を入れて車イスの下に積んで持ち歩くようにしてます。次お願いします。

  私は年に2、3回飛行機に乗って仕事をしたりとか旅行することが多いのですが、私のように座位が取れなくて寝たまま移動する障害者にとっては、このように飛行機のなかではストレッチャー席というものを利用しています。ストレッチャー席というのは、10席ぐらいの席を全部倒してその上に簡易ベッドを載せて、そこに私が乗る形になります。

  これは機内の風景です。ベンチレーターを座席に積んで10席分くらいの席を使って飛行機に乗るので、航空運賃がものすごくまだまだ高いです。通常の約2、3倍はするということで、先日もですね日本航空のほうに働きかけをして、何とか航空運賃を下げて欲しいということで、国内線ではなくて国際線が少し安くなったのですが、それでもまだ日本から例えばロンドンに行くとすると60万ぐらいのお金がかかります。一般の方は大体6万ぐらいで行けるロンドンに、私は60万ぐらいかかってしまうんですね。日本でいえば例えば東京に行くとしますと、大体みなさん6万ぐらいで通常は行けて、早割りですとかもっと割引を使うと安く本当に2、3万ぐらいで行けたりもするんですが、私の場合は東京に行くだけでも座席をたくさん使うということで倍の12万ぐらいかかってしまいます。この高額ストレッチャーの問題については、これからも日本航空のほうとか、各航空会社に働きかけをして料金の改善を求めていきたいというふうにと考えていますが、なかなか料金が下がりづらいのが非常にいまの私が抱えている問題の一つです。次お願いします。

  これもベンチレーターを積んでいるところです。機内の中でもバッテリーを使ってですねベンチレーターを使用しています。次お願いします。

  先ほども自己紹介の中でお話をしていただきましたが、97年にアメリカのほうに行ってきました。その時のスライドです。これはポリオの方が口からベンチレーターを使用しているというスライドですが、アメリカの方はみなさん気管切開をする方ばかりではなくて、このように口からベンチレーターを使っている方もたくさんいらっしゃいました。次お願いします。

  これも、左側にいる方がベンチレーターを夜間だけ使っている、ポリオの障害を持った女性です。彼女は新聞のジャーナリストということで、福祉関係の記事をよく書かれているそうですが、このようにすたすた歩いているような障害を持った方も、夜間ベンチレーターをつけることによって日常生活が快適に送れるというようなことをお話されていました。

  これもアメリカに行った時のスライドでですね、彼は在宅をされている方です。ご両親と住まれていて、いずれは自分も自立がしたいんだということを私に話してくれました。彼の障害は頚椎損傷で、プールの飛込みによって呼吸ができなくなって、ベンチレーターを24時間使いながら生活をしています。

  これは、今日も一緒にこちらのシンポジウムに参加させていただいているんですが、花田というですねCILのスタッフの一人なんですけれども、彼は筋ジストロフィーという障害を持っていまして、どんどん去年の春くらいにですね呼吸機能が落ちてきました。そしてどんどん元気が無くなってやせていってですね、このスライドを見てもわかっていただけると思うんですが、とても体調が悪くなったんですね。それで気管切開をして、ベンチレーターをつけようかつけまいかということをですね、とても悩んでいた時期です。それで私がいつも、ベンチレーターをつけると体力が回復して呼吸も楽になって元気になるよというようによく話をしていた時期で、このあと彼は3ヶ月後ぐらいに気管切開をしてベンチレーターをつけることになりました。今日は元気にベンチレーターをつけてシンポジウムに参加しているんですけれども、この時は本当に呼吸が苦しそうで、もうやせ細っていて、具合が悪くて、とても辛そうでした。次お願いします。

  その後、彼が先ほどのスライドの3ヶ月後に気管切開をして元気になった姿です。呼吸器をつけてからは、本当に彼は元気になって呼吸が楽になるということで、とても体力が回復されました。次お願いします。

  これが気管切開をして手術をして1週間ぐらい入院していたんですが、1週間後に退院をしてきて、次の日みんなで退院祝いをしようということでレストランに行って、食事会をしてお祝いした時のスライドです。みなさん気管切開をするとやはりなかなか病院から出られないのではないかとか、その後ずいぶん寝こんでしまうのではないかとかというイメージがあるかと思いますが、彼のように元気なうちに気管切開をすることで、すぐに自立生活に戻れるというメリットがたくさんあります。次お願いします。もう終わりですね。ごめんなさい。


4.かけがえのないパートナーとしてのベンチレーター
  スライドを今ちょっと見ていただきましたが、本当にですね、まだまだ医療福祉関係者の間では、ベンチレーターをつけるということは人生においてマイナスな事である不幸な事である、それはもうベンチレーターをつけるのは最終手段である。その人が、生きるか死ぬかの時にベンチレーターをつけるべきであって、ベンチレーターをつけながら社会の中で生きていくというイメージ、発想がなかなかまだまだありません。みなさんも今日はびっくりされている方がいらっしゃるかと思いますが、ベンチレーターをつけると声が出なくなってしまうんじゃないかとか、どこにも外出ができなくなってしまうんではないかとか。 それと一生病院の天井を見て、ベンチレーターにつながれ生きていくしかないんじゃないかというような間違った情報が、まだまだたくさん流れています。その間違った情報を、何とか正しい情報を伝えていきたいというふうに思いながら活動をしています。

  私は施設にいた時代に、20代の前半なんですが、とにかく医療関係者、私のまわりにいたドクターや看護士さんたちはみんな、「呼吸器を外すことで自立ができるんだから呼吸器をはずしなさい」といって、ものすごく呼吸器を外す訓練を、トレーニングをした時期がありました。「呼吸器を外せば病院を出れるよ、呼吸器を外せば自立した生活ができるしあなたが望む生活ができるよ」というように、強制的に、ウイニングというのですが業界用語では、呼吸器を外す訓練をしてきました。でも呼吸器を外す事が自立ではなくて、本当に呼吸器はめがねや車イスと同じような生活の道具なんだということを、私は気付いてくることができてよかったというように思っています。

  本当に医療の世界にとっては、ベンチレーターをつけている姿というのは敗北なんですね。医療の敗北です。機械につながれて生きていくなんて、とてもそんな姿で一人の人間といえるのかということを、私は医者たちによく言われてきました。でもそうではなくて、ベンチレーターというのは私にとってはですねかけがえの無いパートナーであり、個性のひとつというふうに考えています。よく「障害は個性」という言葉をみなさんも聞くことがあると思いますが、わたしもこの言葉が大好きです。本当にベンチレーターというのは重病の人がつけるものだけではなく、わたしの個性のひとつなんだという風にこれからも考えていきたいというふうに思っています。

  20歳の時に、あなたのような重度な障害を持った障害者は一生病院の中でしか生きられないんだ、というふうにいわれました。お医者さんから、『夢を見るのはやめなさい』といわれました。『外の世界にあこがれるのはやめなさい。あなたのような呼吸器をつけた人は一生病院の中で生きていくしかないのだから、病院でできる楽しみを見つけなさい』というふうにいわれました。でもそういうふうにいわれた私がいまはこんなふうに、日本中を飛行機で飛び回り、友人たちと週末は食事に出かけ、そしてかけがえのない仕事を持ち生活しているわけです。地域の中で自分らしく生活をしているわけです。これというのはやはり社会の中のCIL、自立生活センターというサポートがあってこそ今のわたしがあるというふうに考えています。

  本当に重度の障害を持っていてもその人の持つ可能性というのは無限だなというふうによく思います。私も一生病院でしか生きられないというふうにいわれてきましたが、でもこんなふうに自分らしく今は生きることができています。そのためにもやはりその人がその人らしく暮らせるように、豊な人生を送れるようにというサポートが必要だと感じます。そのために全国の自立生活センターがですね、力をつけ、どんなに障害が重い人も地域で暮らせるようなサポート体制を、ますます作っていく必要があるのではないかというふうに考えています。

  今日はベンチレーターについて簡単なお話ですが、させていただきました。本当にこうやって沖縄に生まれて初めて来ることができて、とても幸せに思っています。そしてどこにいっても自立生活センターの障害を持った仲間たちがいる、そして暖かく迎え入れてくれるということが、私はとっても幸せだなというように感じています。今日このような貴重な場でお話をさせていただけることにご尽力をいただきました、自立生活センターイルカのみなさまとですね、関係者のみなさまに、心から感謝を申しあげて私のお話を終わりたいと思います。今日はどうもありがとうございました。