『当事者エンパワメントシンポジウム』

質疑応答


Q.「エンパワメント」とは何だろうか、それから行政に頼らない自立にはどんな方法がありますか。

A.
中西

  エンパワメントを、自分自身の力を高めて行政に頼らず自立して暮らすみたいに理解されたと思うんですけど、全く違うんですね。基本的に障害者が地域で暮らしていくときに、あまりに人に頼りっきり、もたれっきりではですね、その人の支えが無くなると倒れちゃうわけですよね。今日ご質問いただいたのも難病の方だと思うのですけど、地域にサービスが無い状態、一般的に重度の障害者が地域で暮らす事って今まで無かったわけですし、難病の方についてもサービスがほとんど無いわけですよね。まあ精神にしても無いと。無いときにどうするかっていうと、我々はサービスが必要な存在なんだよということを実態として示さなければいけないですね。ニーズを顕在化させるというわけですけれども。

  以前は重度障害者も施設か在宅に放り込まれていたために、その市の中に出ていってサービスを欲しいよといっても、「あんただけの問題でしょう、誰もそういう事は要求していないですよ」と、サービスが無いわけですよね。結局サービスが無ければ地域で暮らせない。暮らせなければ地域にサービスはいつまでもできないというような堂々めぐりをやってきたわけですけど。そこで難病の方も自分のニーズを言ってですね、こういうふうな支援が欲しいんだ、こういうようなサポートが欲しいという事を地域の中で声を上げないとダメなんですね。それを上げるためには、本人が声を上げるほどエンパワメントしてなければいけない。本人が障害を恥ずかしいと思わずに、自分自身がこういう障害を持っているんだ、精神障害を持っているんだ、知的障害を持っているんだ、こういう事で困るんだというふうに自分で声を上げて、行政に訴えていかなければいけないですよね。

  世界中どこでも要求をした所にはサービスが与えられるけれども、ニーズ無きところにサービス無しなんですよね。ニーズが顕在化されなければサービスは世界中どこでも出てこないですから、つまり駅のエレベーターなんかもそうですよね。乗りたいよと言う人がいなければエレベーターは永久につかないですよね。そういうような意味で難病の方も自分の声を上げて自分のニーズを発表して欲しい。この『当事者主権』というこの本の中でも、患者の方は患者のニーズ、女性は女性のニーズ、それをきっちり上げて自分たちの主張をして行きましょうと。そのためには当事者主体ではなくて、主体っていうのはなんか人から祭り上げられて「あなたは主体者よ」と、でも都合の悪い時には主体者から降りてもらうというのが主体者なのですけれど。

  当事者主権と名付けたのは、当事者の意見をまず聞かなければだめだ、当事者が全てを知っているのだから、その人のニーズにしたがってサービスを提供するのが一番効率のいいサービスになるのだと。施設というのは元々障害者が望んだものではなくて、その周りの人があの人たちは憐れな人たちだから箱物作って命を守りましょうということで、チャリティー的にできたといっても過言ではないわけですよね。そうじゃなくて地域で暮らしたいよと。本当の声を我々がエンパワメントしてあげて、それに行政がお金をつけてくるというようなシステムを作り上げて行くという事ですね。無駄なお金を使わず有効な所にお金を使って、みんなが喜ぶような福祉サービスを作り上げて行きたいというのがこの趣旨です。


Q.私は障害者ですが、自立するための方法を教えて下さい。それからそのために親をどのように説得すればいいか教えて下さい。

A.
長位

  今日の資料の最後の辺に書いてあります。事例として載せてあるんですけれども、自立というのがどういうことなのかというと、どういう所で生活していきたいかとか何が食べたいかという、自己選択・自己決定・自己責任ということは、本当に障害の無い人たちがこれまでたくさんの所で言われてきた「自分のことは自分でしなさい」とか「身の回りのこと自分でできないのに自立できないでしょ」という考えとは全く違います。ということで、それでやるためにはやっぱり一つ一つ生活をするノウハウというか、実際にアパートを借りるときにどうするか、不動産と話をするときにどういうふうに伝えるか、あと介助者、ヘルパーさんにどういうふうに自分の意思を伝えて、自分の生活をサポートしてもらうか。そういうことはすごく簡単なようで、もう長い年月かけてトレーニングしなければ、今まで小さい頃から身についている事であれば、ああそうか、そうかという形で経験の応用を利かすことができるんですけども、やっぱり私たち障害者、特に重度の人たちというのは、これまでそういう経験することをすべて奪われてきています。自分の意思とか、自分の気持ちを伝えるのも本当にどう伝えていいかわからない、人の顔色をうかがってしまうっていうことも出てくるんですね。ですからこれは本当に、もし本当に自分の夢をかなえたいと、大きな夢からすぐ行くんではなくて、小さな夢からコツコツコツコツ積み上げて行く事がとっても必要だと思うんです。

  あとは親の説得。私は親ですから、簡単に言います。親を諦めさせろ、それだけなんです。というのは、親はどうしても親が面倒を見ないといけないんじゃないかっていうふうに、これまで社会の中から親自身もすごく傷つけられてきています。障害児を産んでしまった親が最後まで見るのがあたり前じゃないとか、親がサービスを使わなくて面倒見るのが普通じゃないのって、親子関係、親同士でもそういうふうに間違ったメッセージがあるし、社会全体からも子供を面倒見てるっていう事がすごく美化されてきているので、本当に親自身もすごくそこに傷ついています。ですから本当に1回や2回言っても親は危ない。でもそういう重度の人たちが自立しているのを実際に見たことが無いわけですから、親自身も「あんた何言ってるの」という形になるので、これは自分の信念を貫き通すっていうことです。これだけは誰が何と言っても自分が自立したい、家を出たいともし思ったのであれば、それをずっとずっと言いつづけること、そうしたら周りはサポートしやすいです。本人自身が、障害者自身が、ユラユラユラユラ心が動いて、言葉も動いて、関わっている人たちで振りまわされちゃうと、どうサポートしていいかがわからないので、それはずっと言い続けていった方がいいと思います。

  言い続けるためにはやっぱり独自のトレーニング、個別トレーニング、自立生活プログラムと言うのですけれど、それを受けたほうが早いかもしれません。どんなに頭の中で悩んでいても、実際に生活をしたことが無い人たちにどんなに相談をしても、それは解決にならないので、自分の目の前にいる、ロールモデルと言うのですけども、自分と似たような境遇の人、自分より少し先を歩いている人、制度の事、福祉サービスの事、交渉の事とか、いろいろノウハウを持っている人たちに、少しずつ、練習、相談に行った方が早いかなと思います。事例を読まれたらよくわかります。読んでみて下さい。自分の夢は絶対に諦めない。諦めたらそれで終わりです。私は勇気と根性と度胸があれば誰でも自立はできると思っています。


Q.4月からスタートした支援費制度で、時間の配分とかサービスの水準とかどういうように進行しているのか、何がどうなっているのかよくわからない。那覇市にも自立センターを作ってください。支援費制度が始まって最初の自分は125時間、でも後から申し込んだ友人は時間数が減っていた。これからいったい支援費はどうなってしまうのか。基調講演をなさった佐藤さんのように、自立生活をしている方はヘルパーさん等の介助を受けているかと思いますが、そのお金の問題、どうなっているのか。

A.
長位

  自立生活センターを作りたいという障害者がいたら、その地域には自立生活センターができます。その思いだけでできるかといったら、またそれもトレーニング。いろいろ研修会があるので、それは全国的なネットで自立生活センターというのはありますので、本当に運営をしていくこと、経営をしていくこと、今度はたくさんの人たちが関わってくるので、そのノウハウを一つ一ついまの現状から、いまの自分たちに合わせたことから始めたらいいのかな。本当にさっき自立の話もしたのですけど、自立生活センター、どうしてもこの地域に作りたいという思いがあればそれは可能だと思います。その時にはまたイルカに電話をください。ノウハウはすべてお伝えします。いま名護の方で実際に自立生活センターができて、全国自立生活センター協議会への加盟をこの12月にします。本人たちは最初は、本当に自立センター必要だな、誰かやってくれないかなって言ってたんですけど、自分たちが立ち上げるって事をしたらすごく早いんです。そうなんです、気付いた人からしかセンターは作れません。ですから本当に自分たちでやるんだっていうことを何名か、本当に2、3名でできますから、それを進めて行ってください。

  あとヘルパーの上限問題ですけれども、これは私も悩んでいます。私の前に宜野湾市の福祉課がいるのでなんと言っていいのかわからないんですけども、本当にこれは沖縄県でも、今すごくいいって言われている所でも、北海道とか東京とか。北海道は沖縄とそんなにさほど差は無いと思うんですね、人口の差とかお金の差とかは無いと思うんですけど、すごく羨ましい。なぜなんだろうといつも思いながら。と言うことで、本当にこれは人任せにせず、私たち一人一人が交渉のノウハウを身につけて、やっぱり行政に、ケンカをするんじゃないんですけどね、自分たちがそのヘルパーの時間が無いと生活ができないという、そのことだけを言い続けていく。予算を、10月ぐらいから組まれるんですが、10月9月ぐらいに来年度の計画が大体でてきます。その時にどんどんどんどん陳情書みたいなものを出していく。1回や2回でできるはずがありません。諦めずにやっていく。障害者が生きるって大変ですよね。行政の人にわかって欲しいですよね。それを訴えていけるように。

  で、沖縄は格差がひどいです。もう地域格差、本当にすごいんですね。これまで支援費にならなかったときに、ヘルパーを全然やっていなかった、うちには障害者いないんですよっていう市町村が多かったんです。びっくりして。あとどういうふうに支援費を、障害者にサービスをしていいかがわからなくて、という市町村もありました。いま言われているみたいに那覇市の場合にも、いますごく出ています。上限問題、去年の厚生省から出てきて、4時間といわれた時に、それが地方、沖縄では特に、水準というふうになったんですけど、なんか上限になってしまっているような所がいまもあります。国がこういうふうに決めたから4時間だったのに、自分たちは6時間やってるんだよとか、7時間やってるんだよという所があるんですが、これは大きな間違いです。上限は無い、と言うことです。

  後は本当に新しい情報を仕入れてください。市町村に行く時にも、やっぱり前もってその情報をペーパーにするとか、回答文を求めるような文章をやるという事が必要です。でもいま実際に支援費で支給決定を出だされても、不服申立てしても、次どうしていいのがわからない私たちの仲間がいます。それを今度は私たち権利擁護のほうでどうしようかって言うことで、今沖縄県で考えております。沖縄県とか国のほうにどうしたら上限問題を、一人一人のどうしようかっていうことを、みんなで一緒に考えていければいいなって思います。すいません、那覇市の問題って私もちょっと関わっています。以上です。


Q.全国に33万人の入院されている方の中で、7万2千人の社会的入院者を地域にという動きが出ています。長期入院の方を地域で支援していくための社会資源の充実は、今後の行政課題でもあります。一方で地域住民の理解こそが益々必要とならなければならないのに、まだまだ精神障害者の病気というものへの偏見が強いと思います。精神障害者への偏見の無い地域社会をどのように作っていったらいいかお考えをお聞かせください。

A.
高橋

  東京町田市というと、色々な意味で福祉の先進地と伺っています。今年の9月でしたか10月でしたか、町田市の精神のみなさんが沖縄に研修と銘打って多分観光旅行にいらっしゃったと思うんですが、大挙していい交流をさせていただいた経験を持っています。今の偏見の事ですが、精神の当事者のみなさんたち、ちょうど3年前ですかね、ハンセン氏病の訴訟が始まった時に、まだ全然ハンセン氏病の裁判の勝利が見えていなかったんですが、私たちも、当事者が声を上げなければ世の中は何も動かないよという勇気をいただいて、私たちもハンセン氏病のみなさんに習って声を上げて行こうじゃないかっていう全国の大会での宣言がなされたりしたこともあります。

  やはり沖縄だからって言える側面もあるし、沖縄の精神病にかかったみなさんはですね、本土に就職で行かれたり、あるいは学業で行かれたりたり、そこの沖縄と大和の文化のズレって言いますか、違いの中で、ストレスの中で発病して帰ってくる方を多く見てきました。そう言う意味でも、この社会のありようがどんな形でこの病気と関わっているのか、あるいは回復の過程が、どういう受容の過程があるのかということをやはり沖縄の中から発信していけるという意味ではですね、沖縄の当事者のみなさん、あるいは家族の沖福連ですね、本当にこういうことが今求められている、社会に理解を求めたい事を声を上げていくということが一番だと思います。

  そしてもう一つは沖縄県にいま精神障害者のための地域生活支援センター、9ヶ所が動いています。これは多分全国的な地域生活センターの整備状況からすると、一番整備されているぐらいの状況にあると思います。これは7年前に沖福連と県のほうでですね、障害者プランを立てているときに市町村の担当の方々も入っていただいて、本当に当事者と行政の二人三脚で、地域生活支援センターは医療じゃなくて地域でやろうよということを計画の当初の時から練り上げる事ができました。

  当時は県内13ヶ所を目標ということでスタートしましたが、当時の厚生省の基準からするとやっぱり10ヶ所が限度かなというところで、現在9ヶ所まできています。来年、読谷村とか宜野湾市とか、いくつかの所で名前が挙がっていますが、地域生活支援センターがまた大きな役割を果たしていかなければならない課題になっているだろうと思います。当事者の声ということと、地域生活支援センターの役割をみんなでいい形で持っていくことで、いまのご質問の答えが出てくるかと思います。

岩田
  ありがとうございます。どうでしょう、町田市の方、沖縄は離島を抱えていますが、沖福連なんかは離島の人たちに対してもいろいろやっているかと思うのですが、離島の現状なんかも含めてもうちょっとご活動とかお考えを話していただけたら、沖縄のことがもう少しわかるんじゃないかと。

高橋
  フォーマルなサービスというのはなかなか全国的に水準化されたというか平均化されたサービスメニューしか出てこないものですから、特に沖縄の離島ですとか、日本の中でも山間部の過疎の市町村になると、その地域地域の独特のインフォーマルな形のサービスを作り出していくという作業をしないと、一概に適用できない場合が多々あってですね、離島で例えば人口が800名とか1000人に満たないところもたくさんあって、3障害合同で高齢者も含めてケアサービスを立てていこうという時に、それでその担当者は島に一人はいらっしゃるんですけれども、サービスを提供する事業所が無いわけですね。

  するとどうしようかということになってですね、例えば郵便局員さんは郵便物があれば、だいたい土日以外は家々を周りますよね。だから郵便局員さんに、このお宅の誰それさんは今日は元気にしているかな、ということとかを見て頂くこととか、ちょっと社協が手がけている配食サービスというのがありますが、その配食サービスをやりながらお弁当を配って回収して、その時に隣近所の様子も一緒にうかがいながらということで、公的なサービスメニューには入っていないインフォーマルな形の事を色々な所で工夫してですね、しかも一つ一つの小さな島々には支援センターは無いわけですから、作業所の関係だったり家族会のお父さんお母さんだったりがですね、そういう事を本当にいろいろな資源の無い中で工夫されています。だから県全体の視野で言うと、そういう所に対しても自治体として気配りをしていただけるような融通というのですか、そのあたりが期待していることではあります。


Q.当事者の支援をしていきたいというというご説明がありましたが、具体的にはどういう事をお考えでしょうか。現時点の段階で、宜野湾市の行政が障害者に対するサービスがどれくらいできていると思われますか。宜野湾市内には精神障害者の作業所も動き始めていますが、もしご存知でしたらどのように応援していきたいとお考えですか。

A.
伊波

  宜野湾市の支援事業が十分かと言う意味では、私は必ずしも十分ではないとその様に思っています。いま精神障害、高橋さんも話しておられましたが、本市には地域生活の精神障害者地域支援生活センターも無いわけですね。まだ立ちあがっておりません。いま作業所のお話があります。そうしたことについてやはり地域の中で主体ができあがって、そしてそれを受け止めきれる制度、きちんと受け止められるような取り組みができれば、私たちとしては積極的に支援していきたい。制度ですから補助を受けて、それを運営する仕組みが必要であります。来年度、16年度に向けて知的障害の児童の放課後学童をスタートする予定でいま取り組んでいるのですけど、いろんな制度がございます。これらの制度をやはり当事者に知っていただいて、そしてそれが活用できる事をお伝えして、しかしながらまた同時にある人数、実施する主体としての確立ができないと、これができないという事がありますね。ですからそういう話し合い、要請がきたりする時にやっております。

  当事者というのはいろんな意味で、今日の主体であります自立生活センターの全身性の障害者のみなさんだけではなくて、さまざまな障害を持ってらっしゃる方、あるいは障害ではないさまざまな当事者もいるわけですが、それらの声がきちんと、先ほど中西さんがおっしゃってましたけども、ニーズとして言えて届くこと、そして届くことを私たちがしっかり受け止めていきたいと、こういうふうに今お話をさせていただきたいと思います。大変厳しい状況というのは、先ほど中西さんからもありましたように、予算をめぐる問題でいうならば、今年の1月にこの在宅支援のホームヘルプの4時間の枠をかけようとしたことに対して、全国的な運動的なことで跳ね除けているわけですけれども、このようなことが自治体で私たちが実際事業をする時の国からのお金として、その制約が見えないかたちで押しかぶさっている。あるいは今まで補助金で、措置費でまかなわれていたものが一般財源化という名のもとに見えない形でこれだけしかありませんよというふうなものになっていく。こういう中でですね、私たちが具体的にメニューを作って支援をしていくという時に、いろいろな困難な問題もあります。ありますけれどやはり文化的な最低限の生活というのは憲法で保障された権利でありますから、そのことがそれぞれの当事者において実現できるようやはり取り組むということで、今日のわが国に置ける取組みが基本的にあるんだろうと私は理解しておりまして、その憲法も今変えられようとしてますけども、しかしやはりそれがきちんと守られていくような取り組みをですね、市としてはやってまいりたいと、こう思っているところです。


Q.町に障害を持つ人たちがもっと外に出やすい状況を作って欲しい。公衆トイレの事だとか、移動の事だとか、そういう事に対してまだまだ課題があるのではないだろうか。医療的ケアが必要な人の介護についてのご質問ですが、医療的ケアというと看護士さんが行うのが大方の見方となっているけれども、生活の介護の中で医療的ケアをどのようにしていったらいいのか、どのような捉え方をしていったらいいのか、そのことをどのようにお考えか。

A.
伊波

  やはり自立生活をする為にはその地域自体がバリアフリー、あるいはユニバーサルデザインのもとであるということが求められるわけです。一気にできるわけではないと思います。今ご指摘の市の公的な公園とか、公的な施設における障害者トイレの問題でありますけれども、私自身本市のいろいろな施設を見て健常者である私自身がどうしてこうなっているんだろうと、障害者車いすだけでは無くてとても使いにくい、あるいは段差が極めて厳しいとか、そういうのを目にしております。これはずっと前に作られたものだけではなくて、近頃作られたものもそういう事があったりするということを思っています。ですからまず市としましては、職員の意識改革をしていかなきゃ行けないということを一つ考えております。同時に具体的にですね、こういう例えばすぐ近くに陸上協議上がございますけれども、ここに障害者トイレがありますが、通常この障害者トイレがこれまで古くなってしまったために開いてないわけですね。今度は全天候型に替えるのですけれども、来年4月オープンにむけては、このような公園等に付帯している施設の障害者トイレはきちんといつも利用できるような状況を確保しようということで今取り組んでおります。

  ですから今お話のあります公園のトイレ等についてですね、私としてはぜひ今ご指摘を受けた事は改善していきたいと思っています。特に宜野湾市はこの私は今年から就任しましたけれども、来年度を公共施設改善元年と位置付けて、これまで積み残されているさまざまな公共施設の壊れた物でありますとか、これは障害者のみならず一般の利用者にとっても指摘される者については、今全部拾い上げておりまして、来年の予算が終われば6月までには全部回収しようということで今計画をすすめているところです。ですからご指摘のことについては、市としてはできるだけ改善をしていきたいと思っています。

  あともうひとつ鏡ヶ丘の医療ケアの問題ですけれども、わたくし県議会で若干取組んだ事がございますけれども、文部科学省のプログラムで3年にわたって医療的ケアの執行が行われておりまして、それが一時途絶えるということが、いつも何度か予算の措置で結局看護士予算が措置できないということで、県で問題になっております。そのたびにいろいろな声を上げて継続させてきていますけれども、私はやはり本来この医療的ケア、東京などでは保健士では必ずしも無くてもやっているわけですね。しかし誰の指揮のもとでやるかとか、いろいろな危険の問題、万一の事故の問題を想定しての事だと思うけれども、そういう事の指揮系統とかの関係でなかなかそういうことが踏み切れていないというのが現状だと思います。

  ですから今のご指摘は、鏡ヶ丘養護学校に通っているお子さんで、例えば痰を取ったりあるいはそういう事が必要な時に、親御さんが、保護者が一人誰かずっと付いておかなければならない、という規則になっているわけですね。そういうものをやはり取っ払って、ちゃんと学校内での医療的ケアができるように取り組んで欲しいという強い要望がありまして、その事を制度的に試行的に取り組んできた経過があります。それが取っ払われようとした時に、再度今つけているわけですけれども、やはりここはもう少し緩めてですね、そこにいる保健士、教師も含めて、ある程度の所までやれるようにしたほうが私はいいのではないのかなと。東京あたりはもうそうなっています。ですからここら辺については本来日常生活の中に、学校ではなくて普通の例えば将来的に言えば一緒の学校という形になりましても、その時にその場その場みんな保健士が付かなきゃ行けないかという議論になりますから、そこをどのように調和させていくのか、ということだと思うのですね。ですから、衣料の問題というのは、よく議論されますが、当事者の壁になっているのは実は専門家であるという指摘が中西さんの本にもありますけれども、そういうものをどう調和させていくかというのがですね、いろいろな自立生活も含めてこれからの課題ではないかと思います。これについては沖縄県は引き続き鏡ヶ丘等の医療的ケアを制度化してきちんとできるようにしていくべきだと、このように考えております。