パキスタン地震緊急救援基金報告会

日  時: 2005年12月7日(水) 14:00〜16:00
会  場: 新宿区立障害者福祉センター 第一・第二会議室
発表者: Mr. Shafiq ur-Rahman (マイルストーンILセンター所長)
司  会: 佐藤 聡 氏(JIL(全国自立生活センター協議会)事務局長)
三澤 了 氏(DPI日本会議議長)

【目 的】

緊急支援を受けた事後報告と継続的な支援依頼のため
【発 表】 30分のビデオを上映しながら、発表。
写真 東京2
写真 東京1
イメージライン


 今回の地震は10月8日の朝の8時という時間帯に起きたため、家にいた女性、また学校にいた児童・生徒の多くが犠牲になった。
 地震の起きた日の午後2時に、マイルストーンILセンターにバーグの団体から電話が入り、「300人以上の人が亡くなり、水や薬が必要である」と助けを求めてきた。電話を受け、マイルストーンのメンバーで周辺を手分けして歩き、衣服、布団、毛布などの必要な物資を集めた。3500人分の薬、赤い布団(パキスタンでは女性は結婚するまで赤い布団で寝る)、食料、衣服などが集まった。集まったものから、必要なものを選別して、イスラマバードへ向かう準備をした。

 トラックは値段が高いので、バスやバンを借りてイスラマバードまで物資を運んだ。イスラマバードのCIL「LIFE」(JICA帰国研修員たちが立ち上げた自立生活センター)と協力し合い支援体制を確立した。既に、大きい街には、メディアが入り、赤十字(日赤含む)や世界中から支援団体が駆けつけていたので、支援・援助の届きにくい山奥の小さな街や村に入ることにしたが、地震の2日後に雨が降り、更に酷い状況になっていた。余震が続き、二次災害が起きてもおかしくない状態であったが、傾れが起きた山の急斜面を横目にトラックで奥へ奥へと進む。道中も何度も山の上から落石があり、危険を冒しての救助となった。救援物資は、全員に支給することは不可能であったので、家にいて支援の届かない、女性や子供を中心に配ることにした。

 支援に赴いた地域は、昨年、大雪の被害を受けたところで、多くの障害者が避難出来ずに、取り残され凍死したところである。地震の起きた日、その地域では多くの男性が外で働いていたため犠牲になってしまい、男手が失われた。既に外は寒さが厳しくなっていて、日本の12月ぐらいの気候であった。宗教観、文化的背景から男性は女性に直接触れたり、話しかけたりできないので、女性に直接物資を手渡すことができなかった。支援部隊は男性だけで編成されていたので、仕方なく女性には、物資を投げて渡した。物資を届けに入った山奥の街は、りんご園を営み、出稼ぎに行き外貨収入のある比較的豊かな都市であったが、一瞬にして全てを失ってしまい、シャフィックたちが入った時にはテントも届いていないような状況であった。多くの人が生き埋めになり、救助を待ちきれずに住民は穴を掘り、紐をたらして自力で救助活動を行っていた。一番被害の大きいバラコットという風光明媚な観光地では、30万人の8割である24万人が命を落とし、残りの1割の3万人が障害者となった。1つの街が潰れてしまったという感じであった。川の両斜面が崩れ、川までもが消えてしまった。
 パキスタンの家は石造りであるため、下敷きになり、多くが圧死し、頭に外傷を受け知的障害になる者も多くいた。一瞬にして親を失くした子供たちの中にはショックで口がきけなくなったり、行き場所がなく途方に暮れる者もいた。

 シャフィックたちは、テントを張り滞在して、ニーズを探ることにした。障害者となった女の子たちは外に出て来ないので、家を訪ね歩いた。街中、突然、脊髄損傷になり、どうしていいかわからない人々で溢れかえっていた。多くの人はトイレにいくのに不便を感じて、トイレに行くのが嫌になり、水を口にしなくなった。シャフィックたちは腎臓を病んでしまうから水を飲むようにとアドバイスして歩いた。テントを使い、Mobile Independent Living Center(移動自立生活センター)を立ち上げ、データ収集に努めた。イスラマバードに70人、ラホールに25人障害者になった人を連れて来た。イスラマバードの70人は大学で勉強していた女子学生たちである。現在、ラホールのマイルストーンから2名(女性)のピアカウンセラーがイスラマバードに手伝いに行っているが、まだ、カテーテルの使い方などの指導方法を教えてくれる女性が足りない状態である。

 今の希望は、障害者になった人たちにエアーマットと車いすを支給してあげたい。

 今回の地震では上肢、下肢などの切断を余儀なくされた人、頭への外傷から知的障害になった人、そして下敷きになり脊髄損傷を負った人が特に多く見られた。ただ、外に出て来られた人たちは例え障害を負ったとしても幸せな方で、殆どの人は下敷きになって命を落としてしまった。中には、まだ家から出て来られない状況にある障害者も大勢いる。

 パキスタン政府は海外から多額の支援を受けたが、それが障害者に使われることはなかった。政府は損傷を負っても時間が経てば脊髄損傷は治ると信じている。

 今回障害者となった多くの人々は、地震前に障害者がどの様に扱われていたかを思い出し、希望を失くし、死んだ方が良いと思っている。だからこそ、車いすで充分生活していけること、例えば、トイレの行き方、シャワーの使い方などを今回新たに障害者となった人々に教えてあげたい。


今後希望する支援

 現在25名がラホールに70名がイスラマバードの病院に入っているが、退院後に、4月くらいまでかけて自立生活について教え、帰宅前にはそれぞれにエアーマットと車いすを持たせて故郷に返してあげたい。パキスタン政府は施設を建設しているが、シャフィックは自立生活運動について教えてあげ、人生は楽しいということを教えてあげたいと考えている。

【質疑応答】

質 問:

家を借りて住まわせるという話を聞いたが。
回 答: 自立生活プログラムのための家をイスラマバード、ラホールに1軒ずつ借りたいと思っているが、永遠に面倒をみてあげることは不可能なので、各自が自立できるようにしてあげたい。そのために、現在、ラホールからも応援を送り、イスラマバードにCILをもう1つ設立するという話がある。ただ、まだラホールのマイルストーンも立ち上がったばかりで完全ではなく、問題があるので、慎重に進めるつもりである。

質 問:

今回集まった250万円はどう使うのか?
回 答: イスラマバードの70人のために使う。Short-term Program、Long-term ProgramそしてPlan of Actionを書いた。(コピー参照)70人分の衣食住はイスラマバードの裕福なコミュニティが援助してくれている。ラホールはライオンズクラブが援助してくれている。ライオンズクラブは3つのCILにそれぞれ5名ずつのスタッフ雇えるだけの資金を援助してくれる。日本から欲しいのは、専門的な知識である。ピアカウンセリング、障害者の情報、車いすの使い方などの指導方法を教えて欲しい。エアーマットは15000ルピー、車いすも1台12000ルピー。2軒の家を借りるのに、イスラマバードでは1ヶ月5万ルピー、ラホールでは2万5千ルピーかかる。家を借りて、病院から退院した人にILP(自立生活プログラム)を提供したい。*1ルピーは約2円

質 問:

パキスタンでは女性は家族と一緒にいるのが原則であるが、イスラマバードやラホールの病院に入院している女性の家族と軋轢が生じることはないのか?
回 答: 確かに問題はあるが、家族を失ってしまった女性たちや現在妊娠している女性も2名いる。今は、病院に保護されているが、自分は彼女たちの退院後の生活を考えている。退院して家に戻った時に障害者として自信を持って生活できるようにしてあげたい。

質 問:

今回の地震で親が障害者となってしまったりして、捨てられる子供が出たりしないか?
回 答: 親を失くした子供も大勢いるが、多くの子供が今回の地震で犠牲になった。生きているだけで幸運だと思わなければならない。男性が障害者になった場合、女性は変わらずについて行くが、残念ながら、女性が障害者になった場合は捨てられるケースが多い。

質 問:

シャフィックの話から、これから地震で崩壊した街を作り直し、「街づくり」が始まるようだが、障害者がアクセスできるバリアフリーの社会を作る良いチャンスではないか?
回 答: その通りである。今、この2、3ヶ月で3000台の車いすをつくる計画を立てている。短期間、工場を借り受け、車いす製造に当てる。また、JILが弟(ハビブ)の1ヶ月間の日本での研修を実現させてくれ、現在斉藤工房で実習を受けている。出来れば障害者になった人全員に、車いすに乗って故郷へ帰って欲しい。車いすの障害者が街に出て歩くことにより、社会も無視できなくなる。街づくりが始まるこの2、3ヶ月が一番大切な時期であると思う。

質 問:

どのようなサービスが必要か?
回 答: 障害者のロールモデルを見せること。地震で突然、障害者になった人たちは、自分の身体が今までと違うことに気づき、自分の身体をどのように管理したら良いかが分からないでいるので、安心させ、必要な情報を提供してあげたい。エアーマットと車いすの提供と重度障害者になった人には介助者を派遣したい。

質 問:

「難民を助ける会」では既に緊急物資の支援は終えたが、その他にも何か支援できる可能性があるかを聞きたい。
回 答: 現在は眼科医や心臓外科医が脊髄損傷の患者の診察をしているのが現状である。また、パキスタンでは、女性には女性が対応しなければならないので、女性のピアカウンセラーなどの専門家が必要である。自立生活センターで手伝ってくれる障害のある女性を派遣して欲しい。


最後にシャフィックがお礼の言葉と今後も誠心誠意、「志」を持って支援活動に当たることを参加者の前で約束し、報告会を終えた。
名古屋街頭募金の様子
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名古屋記者会見の様子
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名古屋報告会の様子
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