3月12日に開催される第2回国際セミナーを組織するため2月はとても忙しい月になりました。またライフ自立生活センターはニーハム、ソビア、そしてハビブの一ヶ月の研修を準備してくださったヒューマンケア協会、JIL、メインストリーム協会の皆さんに深く感謝します。彼らは研修後の2004年2月末に帰国しました。

 2月3日、シャフィックは路上でノーマンさんという車イスにのった男性に出会いました。ノーマンさんをライフ自立生活センターに招待しましたのですが、最初のうちは行きたくないようでした。

 2月5日、シャフィックとファルークはノーマンさんの家に出向き、彼のご両親と面会しました。そしてノーマンさんが自立生活センターに来られるようにして欲しい旨を伝えました。しかしご両親は、ノーマンさんは家で幸せにしているのだから障害者のための場所には行って欲しくないと言いました。そこでシャフィックは「家だけの生活ではノーマンさんは幸せではない」と主張しました。ファルークも、「一度はノーマンさんをセンターに来させるように」とご両親を説得しました。この面会のあとご両親はノーマンさんが自立生活センターに行くことを受けいれてくれました。

 2月9日、ノーマンさんがご両親と一緒にライフ自立生活センターにやってきました。彼らは重度の障害者と会って驚いた様子でした。ノーマンさんはそれまでこれほど多くの障害者と会ったことがなかったそうです。20歳のノーマンさんは8年前から筋ジストロフィーを患っています。それ以前には歩くことができ、やりたいことができたそうです。しかし時間が経つにつれ筋肉が弱っていき、現在では食事をする以外は自分でできなくなりました。この障害のために彼は教育や社会活動から離れ、家だけでの生活になりました。ノーマンさんは最初とても自信を失っていましたが、自立生活センターに来ることで幸せを感じたようです。そしてご両親にまた自立生活センターに行きたいという希望を伝えました。ご両親はこれに同意しました。

 2月11日、ノーマンさんが再びライフ自立生活センターにやってきました。今回ご両親はノーマンさんを残してセンターを出ていきました。シャフィックとファルークは、生活の問題や家族との関係についてノーマンさんと話合いました。障害のために自分自身ではどこにも行けず誰かを必要としなければいけないこと、しかし誰一人として彼のために時間がないこと、また障害のためにどのようなゲームもできないことなどから、ノーマンさんは障害を憎んでいると言いました。

 ノーマンさんはとても内気な人で、家族以外の人がトイレにつきそうことを嫌がりました。シャフィックは介助者サービスのことを彼に教え、重度障害者は日常で介助者を利用すると良いことを伝えました。このことでノーマンさんは介助者と障害者の関係を知ることになりました。そして自立生活センターのなかでノーマンさんは介助者を食事とトイレのために利用してみました。介助を利用できたことでノーマンさんは満足そうでした。

 家族には役に立たない人と考えられ相手にされていない、とノーマンさんは言いました。このことについて「障害は悪いことではない。それは違う生活スタイルのことなのである。しかし人はそのことの気がついていない。障害を持たない人々のなかに障害についての認識を広めていくことが私たちの使命である」とファルークは言いました。またファールクはノーマンさんに、介助者を利用することで生活を素晴らしいものにして行くことができると伝えました。

 この話合いを通じてノーマンさんは自信と多くの知識を得たようです。その後ノーマンさんは毎日ライフ自立生活センターに来るようになり、多くの時間をここで過ごしています。そして彼の感じる事と問題を他の人々と分かち合い、どのようにそれらを解決していくのか考えています。私たちはノーマンさんの自立に向けたサポートをしていきます。

 2月13日、ソビアがアネーラさんという障害をもつ27才の女性と商店街で出会いました。ソビアはライフ自立生活センターについて話し、彼女を招待しました。最初アネーラさんは躊躇していましたが、ソビアが説得してセンターを訪れることになりました。

 2月14日、アネーラさんが自立生活センターを訪れました。ポリオの影響で片足が不自由なアネーラさんは、この障害のためにとても沈んでいました。彼女の話では、学校で障害を持たない生徒から歩く姿を笑われたために、教育から離れることになったそうです。そして社会からのひどい仕打ちのため外に出たくなくなり、家にこもるようになったそうです。家族は彼女が負担であると考え、彼女を軽視する態度をとるそうです。

 また障害のため誰もアネーラさんと結婚しようとしないそうです。パキスタン社会の大きな問題は、誰も障害を持つ女性と結婚したがらないということです。アネーラさんは自立生活センターを訪れて、とても満足そうでした。彼女にとってこのような場所への訪問は初めてだそうです。彼女は他の障害者と会う事で自信と勇気を得たようです。

 2月16日、シャフィック、ファルーク、ソビアの3人がアネーラさんの家を訪問しご両親と面会しました。そして障害は悪い事ではなく社会の態度に問題があるのだという障害についての考えを伝えました。そしてアネーラさんには家族の精神的な援助と手助けが必要であることを理解してもらおうとしました。

 2月17日、シャフィックはカシフ君という少年と出会いました。彼は軽度の知的障害を持っていますが、話し、理解する事はできます。しかしときどき判断ができなくなるようでした。シャフィックはカシフ君を自立生活センターへと連れて行き話をしたところ、彼は自立生活センターの活動に参加することを希望しました。現在カシフ君は毎日自立生活センターに来ています。そして私たちは彼が興味をしめしているオフィス・ワークと公的な対応について教えています。

 2月19日、ファルークとソビアはある情報をもとに重度障害を持つ女性を訪問しました。ファティマさんという35才の脳性マヒの女性です。ファティマさん車イスを使っていますが、ご自身で歩いたり話すことはできません。

 彼女の妹さんがファティマさんについて話してくれました。ファティマさんの家族には2人の兄弟と4人の姉妹がいて、彼女は姉妹のなかで3番目だそうです。ファティマさんは生まれた時に泣きませんでした。そこで医師が泣くようにと彼女を叩いたのですが、そのとき彼女の体が突っ張りました。そして歩けなくなったのだそうです。ファティマさんはヒザ上に3回、ヒザに2回、ヒザ下に3回の手術を受けました。これらの手術により彼女の体の突っ張りは軽減されたそうです。

 7歳のときにファティマさんは障害者のための特殊学校で教育を受け始めました。その時はお姉さんがファティマさんを学校までつれて行き、つきそっていたそうです。しかし中学を修了したあとでそのお姉さんが亡くなられたため、勉強を続けることができなくなりました。数年後ファティマさんはボランティア活動のために働き始め、ほとんどの時間を費やすようになりました。そこではとても活発に働いたそうです。

 3年前に一番下の妹さんが結婚したことで、姉妹の全員が結婚しました。しかしファティマさんは障害のため結婚できませんでした。このような状況のなかでファティマさんは、ご両親が自分を愛していないのだというコンプレックスを抱くようになりました。ファティマさんは何日も眠らず黙ったままになりました。食事もあまりとらず、心は張り詰めたままでした。そして姉妹は全員悪い人だとも考えたそうです。

 しかし数ヶ月が過ぎたころ彼女はまた活動的になり、自分の時間を費やしました。このときは彼女は自分で歩いて洗面所に行っていたそうです。この話合いのあと、私達はファティマさんと彼女の妹をライフ自立生活センターに招待しました。

 2月21日、ファティマさんが妹に付き添われて自立生活センターを訪れました。そして私たちはさらに話しを続けました。それによると1年前にある男性がファティマさんのところを訪れるようになったそうです。彼はファティマさんの家に行き、彼女と時間を過ごしました。彼はファティマさんを庭園へとつれて行ったり、よく買物に出て行ったそうです。ファティマさんは彼を好きになり、ご両親に彼と結婚したいと言いました。しかしその男性は彼女のそのような気持ちを知ると家に来ることをやめてしまいました。この男性の態度によってファティマさんはひどく落ち込んでしまい、男性が去ったのは彼女の障害のためだと考えてしまいました。また家族にも相手にされていないと考えてしまったそうです。そして彼女は黙り込んでしまい、誰にも話しかけなくなりました。部屋に一人でずっと座っているようになったそうです。

 ファティマさんと妹さんにとってライフ自立生活センターを訪れたこと、そして他の障害者と会って話をして、彼らがどのように幸せに生活を営んでいるかを知ったことは大きな驚きのようでした。ファティマさんは誰とも話をしませんでした。妹さんはファティマさんがライフ自立生活センターに毎日通う事を望みました。私たちはファティマさんのための送迎サービスを準備しました。いま彼女は毎日自立生活センターに来ています。ここでは皆が彼女に話しかけます。最初のころは全く反応してくれませんでしたが、いまは少しですが返事をしてくれるようになりました。

 ライフ自立生活センターを訪れる以前のファティマさんは、きちんと食事をとっていませんでした。またシャワーを浴びる、着替えするなどをしませんでした。しかし自立生活センターに通うようになったいま、彼女は幸せそうにシャワーを浴び毎日着替えをしているそうです。センターの人はみんなファティマさんと話すことを楽しんでいます。そして時が過ぎるにつれ少しづつですがファティマさんは再び話しをしてくれるようになっています。

 ニーハム、ソビア、ハビブ、アシム、そしてアティフが帰国し、日本で得た知識と経験をライフ自立生活センターの人たちと分かち合いました。そして私たち全員が彼らの知識から多くのことを学びました。






2004年3月活動報告

3月12、13日と開催された第2回国際セミナーの準備のために、2月と同様に3月も忙しくなりました。

 3月5日、シャフィックは庭園でカシフさんという方に会いました。22才になるカシフさんは軽度の知的障害を持っています。シャフィックはカシフさんをライフ自立生活センターに招待しました。

 3月8日、カシフさんがお父さんと一緒にセンターにやってきました。軽度の知的障害を持つカシフさんは、精神的・学習的な発達がゆっくりしています。また物事を適切に理解することができません。知的に問題があって何もできず家族にとって役に立たない人として、カシフさんは家族から軽んじられてきました。カシフさんのお父さんはこのような息子はいらないと言いました。しかしシャフィックは、カシフさんは全く問題のない人で必要なのは彼の生活スタイルを理解することだけであると伝えました。またカシフさんの生活スタイルは違うけれども、神の完全な創造物であることも伝えました。

 3月10日、カシフさんがお父さんと一緒に再度センターにやってきました。障害を持たない兄弟たちと同様に、カシフさんが大切で必要な人であることを少しではあるが理解したとお父さんは言いました。またカシフさんが家族からの配慮と重視が必要であることも考えられたそうです。お父さんからの許可が出たので、カシフさんは毎日センターにくることになり、現在オフィス管理の仕事を楽しみながら学んでいます。

 ライフ自立生活センターとマイルストーンは3月に開催される国際セミナーの準備を行いました。セミナーの目的は障害分野からの国際的なリーダーから知識を得ること、そして障害者と非障害者の認識を作っていくことです。

 3月11日、日本から18人のゲストをお迎えしました。ゲストの方々はそれぞれ異なる組織と自立生活センターに所属しています。それらの組織とセンターは日本と海外の障害者の地位向上のために活動をしています。ほとんどのゲストが重度の障害を持ち、介助者を連れていました。

 3月12日、「障害とは何か?」に基づいてセミナーをはじめました。日本人リーダーによる講演では、まず日本の障害者運動と家族と社会の態度についての話がされました。メインストリーム協会の佐藤さんはご自身の生活について講演され、生活の中で直面した問題に対処したことや他の障害者への働きかけについて話をされました。佐藤さんと同様に、平下さんと廉田さんもご自身の生活について講演され、障害の問題について話をされました。

 セミナーやワークショップの開催や、学校での講演を行うことで人々の認識を創ることができる。新しい世代はどこの国でもパワーとなるのだから、人々の認識を創ることでパキスタンの障害者は国を変えることができると廉田さんは話されました。また廉田さんは重度障害者も自立して生きる権利を持っていることと、重度障害者のためのシステムを作ることは政府の責務であることを話しました。セミナーには150人以上の障害者が参加し、日本のリーダーから多くの勇気と知識を得ました。セミナーの後で多くの障害者がそれぞれの問題を日本のリーダーと共有しました。

 セミナーから得られたことは、障害とは外見的なことがらであり、内面的なことではないということです。非障害者でもすべての仕事をこなすことはできません。その意味でその人たちも障害者なのです。

 3月13日には、1)人権、2)移動権、3)自立生活運動、4)介助者サービス、という4つのトピックでシンポジウムが開かれました。

 障害者・非障害者を含めた参加者全員が4つのグループに分かれ、日本人リーダーと一緒にこれらのトピックについて議論を行いました。それぞれのグループでは、参加者が社会的な問題と非障害者の異なる態度について話をしました。

 議論のなかで日本人リーダーが社会を変えるために行ってきた努力と闘いについて話しをしてくれました。その中では、20年前の日本もパキスタンと同様であり、日本の障害者は自分たちの権利について考え、その権利のために一生懸命働いたことを述べられました。またいま共に活動して社会を変えていくことがパキスタンの障害者の責務であることも話されました。

 介助者サービスというトピックは参加者にとって新しいものでした。まず日本人リーダーが介助者という概念を明らかにしました。介助サービスとは重度障害者にとっての命とも言えるものだそうです。パキスタンの障害者は社会を変えるために努力をひとつにすること、そしてこの国で介助サービスを普及させることを結論にしてシンポジウムは終わりました。

 3月14日、日本人リーダーの方々がライフ自立生活センターとマイルストーンを訪れました。リーダーの方々は終日を使って、その知識とスキルを伝えてくれました。この時間はみんなにとって素晴らしいものとなりました。またセンターの重度障害者が身体的な問題をリーダーと話し合い、問題の解決策を得ていました。

 3月16日、日本人リーダーの方々が帰国しました。彼らは今年中にパキスタンを再訪されることを約束してくれました。

 3月19日、シャフィックとファルックは重複障害を持つウスマンさんとショッピング・センターであいました。ウスマンさんはご両親と一緒でした。わたしたちはウスマンさんの自宅のアドレスをいただきました。

 3月20日、シャフィックとファルックはウスマンさんのご自宅を訪れ、ご両親にウスマンさんについて尋ねました。お母さんの言われることには、20才になるウスマンさんは聞いたり話したりすることができないそうです。また視覚にも問題があるそうです。またお母さんはウスマンさんを妊娠しているときに腸チフスで高熱を出したため、強い薬を飲んだそうです。そのためにウスマンさんに障害が生じたとおっしゃいました。シャフィックは彼らをライフ自立生活センターに招待しました。最初は躊躇していましたが、説得したところセンターに来てくれることになりました。 

 3月23日、ウスマンさんがご両親と一緒にセンターにやってきました。その日はお母さんがウスマンさんについて多くのことを話してくれました。ウスマンさんはこれまで多くの問題に直面してきたそうです。聾学校の入学許可を得ようとウスマンさんを連れて行ったところ、その日のうちに校長から入学許可をもらいました。ところが数日したところ教師が入学許可を取り消しにきました。理由として言われたことは、ウスマンさんは視覚に問題があるために他の聾学生と一緒に勉強できないということでした。このためにウスマンさんは手話を学ぶことができませんでした。つぎにご両親は盲学校の入学許可を得ようとしました。しかしウスマンさんが聾者で他の生徒と一緒に勉強できないという理由で入学を断られました。このためウスマンさんは家だけで過ごすことになりました。

 6年前、ウスマンさんは聾唖者の学校の入学許可を再度得ることができました。しかし教師は弱視のウスマンさんは盲学校の許可を得るべきだと考え、協力的ではありませんでした。ウスマンさんは2クラス分の授業を完了することはできましたが、そのあとで校長はウスマンさんを学校から追い出したそうです。

 3月25日、ウスマンさんとご両親が再度センターにやってきました。センターでは他の障害者と一緒に長時間を過ごしていきました。ウスマンさんは話すことはできませんが、センターの人たちと友達になって楽しそうにしていました。ウスマンさんの目は希望に輝いていました。

 ウスマンさんにはお兄さんと妹さんが一人ずついます。しかし2人はウスマンさんを無視しているそうです。また家族に放置されているため、ウスマンさんは一日中自分の部屋で寝ていたりテレビを見ているそうです。

 シャフィックはご両親にウスマンさんも完全な人間であり、非障害者と同様に素晴らしい感覚、感情、思いやりを持っていることを伝えました。また誰一人として、家族でさえも、彼の生活スタイルを理解しようとせず、彼を無視して不必要な人と考えていることを伝えました。シャフィックはまた、ウスマンさんは少し異なる生活のスタイルを持ってはいるが、他の人たちと同様に神の完全な創造物であること、そしてウスマンさんの生活スタイルを理解できないようにしている社会システムが間違っていることを伝えました。

 ライフ自立生活センターの設備にウスマンさんのご両親はとても驚いたようでした。お2人はウスマンさんが定期的にセンターを訪れて生活管理の技術を学ぶことを望みました。そしてお2人はウスマンさんを定期的にセンターへと送り出すようになり、わたしたちは彼に送迎のサービスを行っています。




2004年4月活動報告

4月1日、旅行中のJICAの土佐さんと赤坂さんがライフ自立生活センターを訪れ、2日間滞在されていきました。お2人はセンターの設立と理念に興味をもたれたようでした。シャフィックはお2人に、ここが働くことができず家族に頼って暮らしている重度障害者のために活動するパキスタンで最初の自立生活センターであること、そしてシャフィックがダスキンの1年間のトレーニングを終えた後に、障害者の自立とエンパワーメントのためにパキスタンに「自立生活」の思想をとり入れることを決めたことなどの簡単な説明をしました。またこの活動がJILの支援によって実現したことも説明しました。そして、重度障害者を見つけてその人たちをセンターに招待し、ピアカンの後でその人たちの問題を解決して自立のサポートをする、というセンターの活動についても説明しました。

土佐さんと赤坂さんは3月に開催された国際セミナーに参加されていましたが、その時はライフ自立生活センターのスタッフや会員とは深い交流ができませんでした。しかし今回の訪問では、重度障害者と会ってとても驚いていました。お2人はスタッフ、会員の一人一人と生活や障害についての話をしました。また自立生活センターに来る以前の生活についても聞いていました。そしてライフ自立生活センターの活動をとても評価してくれました。

4月7日、ナエームさんという非障害者の男性がボランティアとしてセンターにやってきました。人々の間に障害者への認識はほとんどないので、これはその認識が広がっているよいサインです。私たちはナエームさんに介助者サービスの内容と、このサービスが重度障害者にとって命といえるものであることを話しました。ナエームさんは介助者としてのトレーニングを受けることを決めました。

4月9日、ファルックはアネーラさんという女性に会いました。27才になるアネーラさんはポリオの障害者です。ファルックはアネーラさんをライフ自立生活センターに招待しましたが、センターに行くための許可が家族から下りないと言われました。そこでファルックはアネーラさんの自宅を訪問してご両親にセンターの目的を話しました。するとご両親はアネーラさんがセンターに行くことが必要であることを理解してくれました。

4月12日、アネーラさんがセンターにやってきました。このような場所は初めてのアネーラさんは、それまでは自分だけが障害者で辛い生活を送っていると考えていたので、ここで重度障害者に出会ってとても驚いていました。話をするなかで、アネーラさんは家族が協力的ではないこと、そして家族が障害者で何もできない彼女が負担であると考えていることなどを伝えてくれました。またそのような扱いを受けるため自分の障害を憎んでいること、家だけで生活していること、そして障害は悪いことで障害者は何もできないと考えていることなどを話してくれました。ファルックはアネーラさんに、障害者であっても非障害者と同様に大切であること、自分がやりたいことを行う権利があることを伝えました。そして障害者のために社会の態度を変えようとするならば、私たち自身がなんでもできることを証明する必要があること、そして私たちの社会のなかに障害者への認識を作っていくことが必要なことを話しました。アネーラさんはこの話にとても感銘をうけ、元気付けられました。エンパワーされたアネーラさんは毎日センターに来ることを決め、家族もまた彼女の活動を支援することになりました。

 4月13日、アティフは庭園でラフィさんという23才になる障害をもった男性と出会いました。ラフィさんはポリオの障害者です。アティフはラフィさんをセンターに招待しました。

4月15日、ラフィさんがお父さんと一緒にセンターにやってきました。重度障害者と会うことはラフィさんには初めてのことであり、ここで時間を過ごして自らの問題を他の障害者と分かちあうことを楽しんでいました。

4月17日、ファルックはショッピングセンターで重度障害を持つアリーアさんという女性と会いました。45才になるアリーアさんは筋ジストロフィーの障害を持っています。車イスの利用者ですが、トイレや食事は自力で行うことはできます。ファルックはアリーアさんをライフ自立生活センターに招待しました。

4月19日、アリーアさんがセンターにやってきました。他の障害者と会えて幸せそうなアリーアさんでしたが、とても抑圧されているように見えました。アリーアさんは長い時間をセンターで過ごし、夕方になって家に帰りました。センターに再び来ることを約束してくれましたが、自分自身のことはあまり話してくれませんでした。

4月20日、アリーアさんが再びセンターにやってきて、自分の生活について話してくれました。まずアリーアさんが6才の時に両親とイギリスに移り住んだそうです。イギリスでは特殊学校の入学許可を受けました。兄弟からは嫌われ、とても軽んじられていたそうです。兄弟たちは彼女を家族の負担であると考えていました。時が過ぎて成長したアリーアさんは障害のために教育から離れることになりました。イギリス政府はアリーアさんに介助者を派遣したのですが、彼女はこの介助者が好きではありませんでした。なぜならそれまで彼女のお母さんに家で介助をしてもらっていて介助者を使ったことがなかったために、送られてきた介助者が彼女の言うことに従ってくれなかったからでした。

9年前にアリーアさんは障害のある男性と結婚し、その2年後に子供が生まれました。けれども夫はよくない人で、仕事をせずにたくさんお酒を飲んで、彼女をひどく殴っていました。出産後、父親としての責任を果たしたくないことを理由に、夫から離縁されたそうです。

独身の女性障害者が一人で子育てをすることを法律が許していないため、イギリス政府は養育のために赤ちゃんをアリーアさんから取り上げました。このような状況のためアリーアさんはとても抑圧されて、イギリスに住むことに罪を感じました。イギリスとイギリス人を憎んでいるそうです。そしてアリーアさんはパキスタンに戻ることを決めました。ご両親と一緒に帰ってきたアリーアさんは、高齢のご両親が医療・高齢保障をイギリス政府から受けていることから、ご両親に彼女を一人にしてイギリスに戻って欲しいと頼みました。アリーアさんはパキスタンで自立して生活することを決めたのです。しかし彼女のご両親は、イギリスのような障害者への制度がないパキスタンでどのようにして一人で生活していけるのかと、とても心配されていたそうです。

しかしここ数日の間でアリーアさんとご両親は私たちと出会いました。私たちはライフ自立生活センターについて話し、アリーアさんとご両親は自立生活センターと介助サービスについて聞いてとても驚きました。そしていま、アリーアさんのご両親はセンターのスタッフと会ってとても幸せです。センターのサポートを受けて自立した生活を遅れるということで、ご両親はアリーアさんをパキスタンに残していくことを決めました。

 4月23日、ライフ自立生活センターにタイのアジア太平洋障害者センター(APCD)から、ニノミヤアキイエさん、千葉寿夫さん、そしてオクイトシユキさんがやってきました。センターの目的と体制を見て感銘を受けたようです。そして私たちの仕事への取り組みと考えを評価してくれました。ニノミヤさんは、ここは草の根レベルから始まった南アジアのユニークな自立生活センターであると言いました。そしてこのセンターは他の国の模範となるとも言いました。そして発展途上国からの障害者がここで自立生活のトレーニングを受けることができるようになると言いました。ニノミヤさんが私たちのセンターにこられたことは光栄なことでした。



2004年2月 活動報告
2004年2月
2004年3月
2004年4月
◆海外の自立生活センターの支援
◆パキスタンからの報告文