◆ 2003年9月報告
 9月の最初、事務所を大きなビルへ移転しました。以前よりも広々としていて、障害者のアクセスにも配慮されています。

 アクマルが休暇のため、アティフ、シャフィック、ファルックが互いに協力し合い、フィールドワークの全てを担当しました。

 9月5日、フィールドワークの途中でアティフは三人の障害者と出会いました。二人は男性で、一人は女性です。ぜひ来るように招待したところ、三人とも私たちのセンターを訪れてくれました。この種のセンターを訪れるのは初めての経験だったようです。彼らは障害について考え方を改め、たくさんのことを学びました。

  1. リズワン・イジャズ (Rizwan Ijaz)。19歳、男性。学生でポリオの障害を持っています。
  2. アディール・アーミド(Adeel Ahmed)。18歳、男性。彼も同様に学生でポリオの障害者です。
  3. メリウム(Maryum)。16歳、女性。片足がポリオによって麻痺しています。

 9月10日、別の訪問で、アティフとファルックは重度の障害を持った青年に出会いました。名前はジーシャム・ボカーリ(Zeeshan Bokhari)、19歳の脳性まひです。ジーシャムにはたくさんの家族(父親、母親、三人の兄・弟、一人の姉・妹)がいますが、家族はカナダに移住しており、現在は祖母と二人で暮らしています。
 
 カナダの移民法を根拠にして、家族は彼を置き去りにしました。家族は彼のことを家族の一員とは考えていません。ジーシャムはそのことで心に傷を負っています。両親にはほったらかしにされています。彼は歩くことが出来ません。はっきり話すことも出来ません。独力で食事をすることもトイレに行くことも出来ません。彼は24時間の介助を必要としています。彼は幼少期にいくらか教育を受けましたが、勉強を続けることが出来ませんでした。障害と、教員の不注意が原因でした。教員は、ジーシャム独自の会話方法を理解しなかったのです。ジーシャムは知性に満ちた青年です。適切な、高い水準の教育を彼は求めています。しかし、脳性まひを持った人々に対して教育を行える機関はこの周辺にはありません。彼は家族のことを愛しています。しかし彼には、そうしたくても家族のもとへ行くことは出来ないのです。近々、彼のお兄さんがカナダから彼を訪ねにきます。

 9月13日、ジーシャムに自立生活プログラムを用意しました。センターに訪れ、他の重い障害を持った人々に会うのは彼にとって、そして彼のお兄さんにとって初めての経験でした。二人ともとても喜んでいました。ジーシャムはひどく無邪気で内気な人で、自分自身について話すことにずいぶん躊躇いを感じていました。ピアカウンセリングのときに、シャフィックが彼に今やりたいことと関心事を尋ねたところ、旅行すること、ゲームをすること、映画を観ることだと彼は答えました。

 彼はパイロットになりたいと言います。誰の手も借りずに飛行機を操縦し、両親のもとへ飛んでいきたいと言うのです。それから彼はがっかりした様子で、どうせ自分には何も出来ないんだ、ゲームをすることも、飛行機を操縦することも何も・・・と呟きました。シャフィックは丁寧な口調で彼に言いました。「全ての人が全てのことを出来るのが、必ずしも必要というわけではないのです。私たちは障害を持っています。それについて考える必要はあります。確かに私達はどんなゲームでも出来るわけではありません。でも、それを観て楽しむことは出来るのです」 ファルックはこう言いました。「私達は自分の障害に誇りを持っていいのです。神による完全な創造物である私達はただ違う生活スタイルを持っているに過ぎません。それを持っている私達は幸せな存在なのです」

 9月15日、ファルックが新たに二人の障害者と出会いました。ともに男性です。
 1. アマナト(Amanat)。19歳の男性で、ポリオの障害を持っています。片方の腕が短くなっています。
 2. ナジャム(Najam)。24歳の男性で、片足がポリオの影響を受けています。

 9月17日、一人の婦人が私たちのセンターを訪ねました。彼女には重い障害を持った娘がいるとのことです。私達は彼女の家を訪問し、その娘さんにお目にかかりました。彼女の名前はヒューマイラ(Humaira)。19歳の女性です。彼女には複数の障害があります。彼女は耳が聞こえません。話をすることも出来ません。歩くことも出来ません。一日中ベッドの上に横たわっているだけです。家族の、彼女に対する態度もひどいものでした。重荷だと彼らは感じています。この種の重い障害を持った人を、私達は今まで見たことがありませんでした。

 9月22日、私達ははじめての試みとして、重度障害者(児)の家族を対象にした自立生活プログラムを企画しました。ジーシャムのお兄さんとヒューマイラのお母さんにも来ていただきました。今回のプログラムでは、参加者に対して、「障害者は社会にとって必要のない存在だ」と考えるのをやめるよう、と説得を試みました。「障害者は、非障害者と変わらずかけがえのない存在です。ただ違う生活スタイルを持っているに過ぎないのです。彼らを動物か何かのように扱わないでください」と。そして私達はこう付け加えました。「そろそろ私達は態度を改める時期に来ています。そうすれば、この社会をきっと変えていくことが出来るでしょう」

 9月29日、新事務所移転を記念する式典を開きました。この式典に、日本リハビリテーション協会の奥平真砂子さんにご出席いただいたことは、私達にとってこの上ない名誉でした。奥平さんが多くの時間を割き私達とともに障害の経験を分かち合ってくださったことは、かえがたい喜びでした。社会の変革を目指してご尽力くださる日本の障害者リーダーの方々のご協力を、私達は決して忘れることが出来ません。
◆2003年7月報告
 7月はとりわけ忙しく、かつ面白いことのあった一ヶ月でした。私たちはマイルストーン協会が主催したスポーツとレクリエーションの小旅行に参加しました。参加した障害者の誰もがとても楽しく、実りある時間を過ごしていました。彼らの大部分は、家族なしで外泊するのは初めての経験でした。私たちは、7月4日から10日までの間、アボッタバード(Abbottabad)というところに泊まりました。

 7月9日にアフガニスタンからラホールへ立ち寄ったトッポン(Topong)が10日、私たちのセンターとマイルストーンの事務所を訪れました。障害者のリーダーと出会うことは私達メンバー全員にとって大きな喜びでした。私達は一日中ずっと彼と過ごし、障害者問題や自立生活にかかわるたくさんの知識を学びました。重度の障害を持ったメンバーは、トッポンとともに、身体的・社会的問題を分かち合いました。トッポンは、その日のうちにタイへ戻りました。

 アクマルは新たに市内の学校、病院、貧民地区を訪問し、三人の障害者に出会いました。7月15日のことです。22歳のサイラ(Saira,)は筋ジストロフィーです。そして、その妹である20歳のサナ(Sana)もまた筋ジストロフィーです。この姉妹はどちらも知性に恵まれていますが、社会や家族から見放されていました。自立生活センターを訪れて、二人ともとてもリラックスしていました。三人目はソーヘイル(Sohail)、19歳の男性です。彼は聴覚障害を持っています。三人のいずれもが厳しい環境での生活を強いられています。

 7月18日、アクマルとアティフ(Atif)はそれぞれ別の場所を訪問し、新たに4人の障害者を見つけました。タンヴィール(Tanveer)は25歳の男性。ポリオの障害を持っています。イドリーズ(Idrees)は35歳の男性。視覚障害者です。ナジャム(Najam)は16歳の男性。ポリオです。そして四人目は14歳の少女で、名前はザーラ・アバス(Zahra Abbass)と言います。ポリオの結果、四肢がそり返り、手を使った動作が出来ません。また歩くことも出来ません。ひじを動かして作業しています。重度障害を持った彼女は、社会や家族から見放されています。

 7月21日、これら7名全てに対して自立生活プログラムを企画しました。今回のプログラムでは、全員の参加者が生活で直面した問題について話し、暮らしの中で失望を覚えた社会の現状についても発表しました。皆、社会は自分達を必要のない存在のように扱うと語りました。そして社会だけでなく家族からも見放されているとも口にしました。参加者の誰もが、こうして同じ場所に集まって話をするのは始めての経験でした。このため、ザーラは私たちと気軽におしゃべりをすることは出来ませんでした。でも彼女は幸せそうでした。

 7月25日、また別の自立生活プログラムを企画しました。参加者は、ニーハムとカムランを含めて8名でした。今回は、ザーラが自分自身について率直に話をしました。障害を持っていることが恥ずかしく感じる、誰にも会いたくないと彼女は言います。また、家族は彼女を見放しています。何をすることもできない存在なんだと家族は思っていると、彼女は口にしました。両親は、障害のない子供ばかりかわいがるそうです。ザーラは、高等教育を受けたいと考えています。とても頭のいい少女なのです。ピアカウンセリングで、ニーハムがザーラに対してこんなことを言いました。「私たちは自分の障害に誇りを持たなければいけません。他人に自分の身体を見られることを恐れる必要はないのです。だって、それがあなたの人生なのですから。あなたは、他の人達と同様に、自分の人生を楽しむ権利を持っているのですから」 ニーハムとシャフィックとのセッションの後、ザーラはとてもすがすがしく、自信に満ちた表情をしていました。7月は私達にとって、とても充実した一ヶ月になりました。障害の垣根を越え、様々な障害者がこの自立生活センターに集まったのですから。

 7月27日、15人でのピクニックを企画しました。庭園に行き、とても楽しい時間を過ごしました。

 現在、私たちは2003年8月12日・13日にイスラマバードで開催されるDPIパキスタン全国集会に参加する計画を立てています。

 自立生活がまさに今、パキスタンでも一つの動きとなりつつあると私は考えています。ただ、それにはもう少し時間と支援が必要です。

シャフィック (Muhammad Shafiq ur Rehman)
企画部長 (Program Manager)
ライフ自立生活センター (LIFE INDEPENDENT LIVING CENTER)
◆2003年5月報告
ライフ自立生活センター
過去六ヶ月間の活動報告 (2003/05)

○設立:
ライフ自立生活センターはパキスタン初の自立生活センターで、どのように重度障害者を元気付け、自立を促すかという点から、半年前より活動を始めています。全国自立生活センター協議会から支援と協力を得て、センターを設立しました。障害者への意識が低い閉鎖的なこの社会を変えるべく、私達に援助を惜しまないjilの方々には厚く御礼申し上げます。私たちのセンターは、この嘆くべき状況を打ち破るのに投じられた最初の一石です。現在までの間に、私達は必ずしも期待したほど多くの成果を挙げているわけではありません。しかし活動はまだ始まったばかりです。将来には社会から今以上の明るい反応が返ってくることを、私達は信じて疑いません。

○発足当初:
センターでの活動を始めた当初は、社会から奇異な目を向けられることがありました。障害者自らが働き、障害者を支援するこの種のセンターを障害者自らが立ち上げたことは、我が国初めてのことだったからです。初期の頃の非障害者の態度は、私たちの気持ちを完全に萎えさせるものでした。センター設立以前、私達の社会では、障害者にリハビリテーションをほどこし、少しでも社会の役に立てる存在にすることが重視されていました。障害は医療によって完全に克服できるものだと考えられていたのです。しかし、我が自立生活センターは、障害者間のみならず、非障害者の間にも新しいビジョンを打ち立てました。すなわち、私達にはリハビリテーションの必要はない、まして医学的治療の必要もない、というビジョンです。私達は障害者におけるノーマライゼーションの概念を生み出しました。

○社会の反応:
社会の反応は複雑なものでした。人々に障害者の存在、さらには障害者の権利を理解してもらうのは容易なことではありませんでした。非障害者の中には、自立生活センターは社会には必要ないと考える人もいます。障害者のために社会を変革することが出来るのは健常者のみだと彼らは言います。また一方で、社会の内外でこうした自立生活センターが作られるのはよい変化だと考える非障害者もいました。彼らによれば、障害者の問題を感知し、その解決策を見つけられるのは他ならぬ障害者だと言います。また彼らは、非障害者には障害者の気持ちを理解することは出来ないとも考えていました。

○障害者の反応:
 私達は数多くの問題とハードルに直面しました。というのも、センターの活動に参加してもらえるように障害者を説得することが難しかったからです。自立生活センターからいかなる恩恵を受けることもないと、彼らは考えていました。
 
 私達が直面している基本的な問題の一つは、社会が障害者に対して開かれていないこと、もう一つは障害者自身が家から外に出ることに恐れを抱いているということです。「お願いだから放っておいてください、私は家にいるんですから」と口にした障害者もいました。
 
 そのような人達に対して私達はこんな言葉を掛けました。「家に閉じこもっているような人生は人生ではありません。どこかの誰かが社会を変革して、そのうち障害者も暮らしやすくなるんだと考えているならそれは間違いです。家を出ましょう。社会を変えられるのはあなた自身です。今の社会では障害者は非障害者に依存しています。私達は障害に意識を向け、自立した存在にならなければなりません。あなたは希望を持ち、自分の人生を過ごすのに十分な権利を持っているのですから」このような考えを、社会的経験を積む機会の奪われた障害者に根付かせることは極めて困難なことです。ときには彼らから反感を買うこともありますが、自立の目標を達成するときもあります。

○家族の反応:
 重度の障害者に出会ったとき、「自立生活」の概念を伝えると誰もがその考えを喜んで受け入れます。彼らは私達に言います。「私達も自立したいとは思います。でも、どうしたらそれが可能なのか分かりません」と。
私達は、自立生活センターこそが「自立生活」の実例なのだと彼らに伝えます。ところが彼らの家族は、なかなか私達の考えに同意してはくれません。障害者が自立して暮らすことなど出来るはずがないと家族は考えているのです。「障害者が家を出てやりたいことをやるなんて、どうやったら可能だというんだ?」と家族は言います。親を説得してその子供に自立生活センターへ来てもらうようにすることが何より難しいことだと私達は感じています。

○訪問者:
 センター設立以来、私達は数多くの障害者を見つけるとともに、そうした彼らがまたセンターへ足を運び、私達の企画したピアカウンセリングに参加して知識を身につけました。この半年間で45人の障害者がセンターを訪れ、自信を取り戻しました。私達のセンターにくるまで彼らは、どうやったら自立することが出来るか分かりませんでしたが、今では生活に対して異なる視点を持ち、自分の人生を楽しむことを知りました。中には実際に自立した人もいます。

○自立:
 私達は、自信を持って自立するための支援を提供しています。しかし当センターで自立を達成した障害者の数はまだまだ少数に留まっています。現状では十分とは言えませんが、まだ始まったばかりです。これで終わりではありません。

○成果:
 自立生活センターを立ち上げたのはパキスタンで初めてのことでした。当初、社会が私達に向けた反応は冷ややかなものでした。私達の住む社会は、まだ未成熟で発展途上だからです。障害者は家でしか暮らせないと考えられているのです。しかし今では、障害者もまた自立して生きる権利があり、アクセシビリティを求める権利があるのだということが理解されてきました。私達は障害者の権利に対する意識を、障害者間のみならず非障害者の間にも浸透させました。

○資金難:
 私達は成果の見返りとして財源の問題に直面しています。もっと多くの障害者の来訪を望んでいるのですが、この理由により十分な資源を確保するのが難しく、今以上の障害者を受け入れることが出来ません。彼らにサービスを供給出来ません。そうしたくても、個別に移送サービスも提供出来ません。とても費用がかかります。

○影響:
 私達のセンターの活動によって、とても前向きな印象が社会に生まれました。自立生活は障害者の新たなライフスタイルです。自立生活センターは障害者の生活観を覆し、彼らに「自立生活」という新たな概念を提示しました。

「ライフ自立生活センター」を設立するにあたり、私達にご協力くださったJILに厚く御礼申し上げます。私達のセンターは、まだ芽を出したばかりの頼りない植物です。これを揺ぎ無い大木にしていくことが今後の私達の目標であり使命です。引き続きJILのご支援をよろしくお願い致します。

今、自立生活センターのプロジェクトにおける、半年間の活動報告を最終的に提出しようとしていることに喜びを感じています。パキスタンに生きる障害者として、実りある経験になりました。パキスタンでは、このような活動は他に例を見ません。自立生活の思想は、我が国ではとりわけ斬新な思想です。運動が日増しに拡大するのを感じるにつけ、私は幸せを感じずにはいられません。いつの日かパキスタンが、アジア諸国における自立生活運動の先例となることを堅く信じています。

JILの方々には引き続きライフ自立生活センターをご支援くださるようお願い申し上げるとともに、実際にご支援の成果をご覧になるため、パキスタンにお越しになる計画を立てられることを心より願っています。

現在直面している主な問題についていくつか述べさせていただきたいと思います。
1. 私達には適切な移送システムがありません。そのためにセンターに訪れることが出来ない重度障害者の方がいます。輸送に用いている自動車は、とても費用がかかります。予算の大部分が輸送のために使われています。
2. より多くのスタッフが必要です。たとえば、
 (1) 重度障害者がセンターを訪れた際に、自動車からオフィスに移送して援助を行う事務所職員
 (2) アクマルの巡回中、重度障害者を自動車に移動させたり、より重度な障害者を訪問したり探索したりするために必要な非障害者職員。
 ※ 現状では、定期的に協力してくれるボランティアを見つけることは極めて困難です。
3. パキスタンを訪れ、生活をチェックしたり助言を与えることの出来るJIL職員の指導が必要です。

そこで私達は、活動の充実を図るため、現在JILから受け取っている月額45000円の援助を70000円に増やしていただくことを希望します。

シャフィック (Shafiq-ur-rehman)
企画部長 (Program manager)
ライフ自立生活センター (LIFE, Independent living center)